「そうですか。では、私がその場に居合わせることになっても、問題はありませんよね?」
「……それは」
有無を言わせぬ圧に、言葉が喉で詰まった。
正直に言えば、嫌だ。美咲先輩に励まされてやっとここに座っているけれど、本来の自分は争いごとなど縁遠い人間だ。
ましてや、相手は――片思いしている人の“恋人”。
お上品で、美しくて、自分にはない余裕を持つ女性。勝ち目などあるはずもなく、逃げられるものなら今すぐ逃げ出したい。
「……それは、私が決めることではありません。私としては……できれば遠慮していただきたいですが。相原さんとご相談なさってください」
背中を伝う汗が、やけに冷たく感じる。
にこやかな笑みを浮かべる彼女の前で、心境は蛇に睨まれた蛙そのものだった。動けない。目を逸らせない。
――もうヤダ、泣きそう! 誰か助けて!
心の中で悲鳴を上げていると、田中さんは一息つくように紅茶を口に含み、一拍置いてから再び口を開いた。
「……そのカバン」
「えっ?」
「ひよりさんのカバンにつけているストラップ、とても目を引くものね。愛らしいわ」
ふふっと微笑まれて、一瞬で全身が熱くなる。……褒められた? いや、違う。これは馬鹿にされてる。
「誤解しないでね? 決して悪く言っているわけじゃないのよ。むしろ、ひよりさんにはよく似合っていると思っているわ」
(……嘘だ)
信じられない。言葉は甘くても、そこに込められた棘をはっきり感じるのに。反論したいのに、喉から声が出てこない。
「ただ――相原さんにはどうかしら?」
「……」
「可愛らしいストラップをつけた方と親しげに話しているなんて、周囲の人はあまり良い印象を抱かないんじゃないかしら。……あなたはどう思う?」
相原さんは、そんな人じゃない。私の趣味だってきっと受け入れてくれる。……でも。
もし、私と一緒にいることで相原さんが周囲から軽んじられてしまったら――。
「あなたは会社が違うからご存じないと思うけれど……実は今、相原さんの社内での評価が少し下がっているの」
「えっ?」
思いもよらない言葉に、胸がぎゅっと掴まれる。
「特に女性社員から、ね。あまり良い噂を耳にしないの。もしこのまま白い目で見られ続けたら、業務に差し障りが出るかもしれないわ」
「どうして……」
声が震える。
「毎朝、決して恋人ではない他社の女性と楽しそうに通勤している。彼女がいるのに、どういうつもりなのか――そんなふうに言われているの」
少し眉を寄せ、悲しげに目を伏せながらそう告げられる。
そんな……私と一緒にいるせいで、相原さんの立場が悪くなっている……?
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「一応ね、私も皆には伝えたのよ。『きっと幼いお嬢さんに話しかけられて、無下にできず応じているだけでしょう』って。でも……やっぱり周りは納得してくれないみたい。みんな私のことを思って忠告してくれているだけで、決して悪気はないのだけれど……」
軽くため息をつくその姿は、哀れみすら帯びているように見えた。
……つまり私は、彼に言い寄っている図々しい女だと思われている。
そしてそれが、相原さんを追い詰めている。
「今すぐとは言わないけれど……ひよりさんが、いずれ賢明な判断をしてくださることを願っているわ」
穏やかな声音で告げられて、何も返せなかった。
ただ唇が乾いて、言葉がひとつも出てこない。
「それじゃあ、失礼するわ」
すべてを言い終えたというように、彼女は静かに席を立った。
その背中は、まるで最初から勝敗が決まっていたかのように揺るぎない。
……どれだけの間、席に座り込んでいただろう。
気づけば窓の外はすっかり暗く、静かに雨が降り始めていた。
「……それは」
有無を言わせぬ圧に、言葉が喉で詰まった。
正直に言えば、嫌だ。美咲先輩に励まされてやっとここに座っているけれど、本来の自分は争いごとなど縁遠い人間だ。
ましてや、相手は――片思いしている人の“恋人”。
お上品で、美しくて、自分にはない余裕を持つ女性。勝ち目などあるはずもなく、逃げられるものなら今すぐ逃げ出したい。
「……それは、私が決めることではありません。私としては……できれば遠慮していただきたいですが。相原さんとご相談なさってください」
背中を伝う汗が、やけに冷たく感じる。
にこやかな笑みを浮かべる彼女の前で、心境は蛇に睨まれた蛙そのものだった。動けない。目を逸らせない。
――もうヤダ、泣きそう! 誰か助けて!
心の中で悲鳴を上げていると、田中さんは一息つくように紅茶を口に含み、一拍置いてから再び口を開いた。
「……そのカバン」
「えっ?」
「ひよりさんのカバンにつけているストラップ、とても目を引くものね。愛らしいわ」
ふふっと微笑まれて、一瞬で全身が熱くなる。……褒められた? いや、違う。これは馬鹿にされてる。
「誤解しないでね? 決して悪く言っているわけじゃないのよ。むしろ、ひよりさんにはよく似合っていると思っているわ」
(……嘘だ)
信じられない。言葉は甘くても、そこに込められた棘をはっきり感じるのに。反論したいのに、喉から声が出てこない。
「ただ――相原さんにはどうかしら?」
「……」
「可愛らしいストラップをつけた方と親しげに話しているなんて、周囲の人はあまり良い印象を抱かないんじゃないかしら。……あなたはどう思う?」
相原さんは、そんな人じゃない。私の趣味だってきっと受け入れてくれる。……でも。
もし、私と一緒にいることで相原さんが周囲から軽んじられてしまったら――。
「あなたは会社が違うからご存じないと思うけれど……実は今、相原さんの社内での評価が少し下がっているの」
「えっ?」
思いもよらない言葉に、胸がぎゅっと掴まれる。
「特に女性社員から、ね。あまり良い噂を耳にしないの。もしこのまま白い目で見られ続けたら、業務に差し障りが出るかもしれないわ」
「どうして……」
声が震える。
「毎朝、決して恋人ではない他社の女性と楽しそうに通勤している。彼女がいるのに、どういうつもりなのか――そんなふうに言われているの」
少し眉を寄せ、悲しげに目を伏せながらそう告げられる。
そんな……私と一緒にいるせいで、相原さんの立場が悪くなっている……?
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「一応ね、私も皆には伝えたのよ。『きっと幼いお嬢さんに話しかけられて、無下にできず応じているだけでしょう』って。でも……やっぱり周りは納得してくれないみたい。みんな私のことを思って忠告してくれているだけで、決して悪気はないのだけれど……」
軽くため息をつくその姿は、哀れみすら帯びているように見えた。
……つまり私は、彼に言い寄っている図々しい女だと思われている。
そしてそれが、相原さんを追い詰めている。
「今すぐとは言わないけれど……ひよりさんが、いずれ賢明な判断をしてくださることを願っているわ」
穏やかな声音で告げられて、何も返せなかった。
ただ唇が乾いて、言葉がひとつも出てこない。
「それじゃあ、失礼するわ」
すべてを言い終えたというように、彼女は静かに席を立った。
その背中は、まるで最初から勝敗が決まっていたかのように揺るぎない。
……どれだけの間、席に座り込んでいただろう。
気づけば窓の外はすっかり暗く、静かに雨が降り始めていた。


