天然で眼鏡な彼は、まだ恋を知らない

《真一side》
 桐島さんに会えない日々が続いた。
 彼女が体調が悪いと言った翌日から、朝の電車でその姿を見かけることはなかった。メッセージを送ってみても返事はない。

 ただの風邪ではなかったのだろうか。それとも――僕が知らないうちに、何か彼女を怒らせてしまったのだろうか。考えても答えは出ないのに、不安ばかりが募っていく。

 僕にできることはないのか。そう自問するうちに、一つの考えにたどり着いた。
 彼女があんなに熱心に話していたゲーム。少しでも理解できれば、彼女のことを今より近くに感じられるかもしれない。


 ***


 ​その日の会社帰り。僕は突然思い立ち、実家に立ち寄ることにした。

「日菜子、いるか?」

 妹の部屋のドアをノックすると、中から元気な声が返ってきた。部屋に入ると、壁には僕の知らないキャラクターのポスターが貼られている。

「どうしたの、また何か聞きたいことでもあるの?」

 日菜子が面白そうに僕を見た。

「前に話していたゲームを貸してくれ」

 僕の言葉に、日菜子は目を丸くする。

「え、お兄が? どういう風の吹き回し? 彼女にでも影響された?」

 心臓が一瞬跳ねた。思わず視線を逸らし、「……まあ、そんなところだ」と曖昧に答える。

 彼女が楽しそうに話していた世界を、自分も覗いてみたかった。どうしてそこまで夢中になれるのかを知りたかった。

 日菜子はいくつかソフトを取り出し、「お兄にはこれがおすすめ」と一つを渡してくれる。表紙には、僕が見ても名前すら分からないキャラクターが大きく描かれていた。

 言われるままにソフトとハード機を借り、その足でマンションに帰る。早速ゲームを起動すると、そこには桐島さんのストラップと同じキャラクターが登場した。

「ああ、この子か……」

 未知の世界。主人公の選択肢は、社会人としての僕の感覚では理解できないものばかりだ。

「なんでこれを選ぶんだ……? 僕には理屈が分からない……」

 戸惑いながらも、彼女の気持ちを知りたい一心で進めていく。画面のキャラクターが喜ぶたびに、ふと桐島さんの笑顔がよみがえった。――もしかすると、これが彼女の言っていた“楽しい”なのかもしれない。


 ***


 ​ある日の会社帰り。ホームで電車を待ちながら、なぜだか分からないまま、ふと後ろを振り返った。そこに立っていたのは――桐島さんによく似た人だった。

「……桐島さん?」

 最初は見間違いかと思った。でも振り返ったその顔を見た瞬間、胸の奥が一気に熱くなる。間違いなく本人だ。元気そうな様子に、心の底からほっとした。

「……こ、こんばんは……」

 おずおずと返してくれた声に、嬉しさが込み上げる。小野の言う通り、もし僕のことを誤解しているなら、無視されるかもしれないと不安だったからだ。

「……ずっと会えなかったので心配してました。あれから体調の方は大丈夫ですか?」

 久しぶりに同じ電車に乗る。隣に並んでいるのになぜか遠く感じて、何を話せばいいのか分からなかった。けれど勇気を出して口を開くと、桐島さんは少し笑顔を見せてゲームの話をしてくれた。
 その笑顔に、僕はまた希望を持てた。

「……また明日、朝の電車でお会いできませんか?」

 思い切ってそう誘う。困ったようにうつむく彼女を見て、胸が締め付けられる。
 ――ただ必死に、うなずいてほしいと願った。

 控えめながらも頷いてくれた瞬間、嬉しさが込み上げて抑えきれなかった。