銀色の雲の上

アレクサンダーはビロード張りの長椅子に座り込んで、烈しく後悔していた。

(ミハエルを傷つけてしまった)

物事を深刻に突き詰めない性質(たち)のアレクサンダーも、只ならぬ出来事に今回ばかりは多少の混乱と猛省の念が込み上げてくる。

泉の少年と再会できたという興奮から、いつの間にか躍起になっていたのかもしれない。

泉で少年のことを、常に探し、追い求め続けてきた。
ミハエルと泉の少年が同一人物であるということに半ば確信を抱いていたとはいえ、それも紐解いてみれば単なるアレクサンダーの思い込みに過ぎないのだ。

十六年というまだ長いとも言えないアレクサンダーの人生において、泉の少年との出会いはあまりにも印象的だった。

少年の美しさが、空の力強さが、アレクサンダーの心を今も揺さぶり続けている。

ミハエルとはただ、そんな劇的とも言える共通の思い出を分かち合いたかっただけのはずだ。
それに、大切な人形を持ち主になんとしても返してあげるべきだという思いも強かった。
近頃ミハエルも少しだけ心を開いてくれたような手ごたえがあった。
今なら“リリー”を受け取ってくれるのではないかとう期待がアレクサンダーの中にあった。

結果、それらのすべては押し付けになってしまった。

ミハエルに人形を床に叩きつけるように払いのけられ、その尋常でない態度に、初めて己の過ちを悟った。

今更である。

ミハエルはこれまでも自身が泉の少年ではないことを、言葉で、態度で、示してきたはずだ。
例えば出会ってすぐにアレクサンダーがミハエルの席で“リリー”を見せつけた時。
それから廊下で呼び止めた時。
それなのに、アレクサンダーは自らの強引さにかまけて、何度もミハエルに突きつけるようなことをしてしまった。

アレクサンダーは、ずるずるとソファに深く沈み込む。

(俺ってサイテーだ)

アレクサンダーは天井を眺めるともなく眺める。
いつもは華やかに見える天井が、今はただ能天気に映る。

それでもアレクサンダーはこの期に及んで、どうしてもミハエルが泉の少年に思えてならなかった。
年数が経っているとはいえ顔の造形や立ち姿への面影、可愛い物に対する興味。 

長椅子に寝そべりながら、なおも泉の少年とミハエルとをこじつけようとしている己に気がついて、アレクサンダーは苦笑する。

アレクサンダーは心の中で決意した。
二度とミハエルの前で泉の話はしない、と。

これは、“誓い”だ。

正直なところ、本当に人違いなのか、それとも、ミハエルに打ち明けたくない事情があるのか疑わしい。

いずれにしても、ミハエルが嫌がるならば決してこれ以上触れるべきではない。

アレクサンダーにとって泉の少年との出会いが特別であったことは間違いない。
けれどもそれは、ミハエルを傷つけてまでして突き止めるようなことではなかったはずだ。

アレクサンダーは、ミハエルに今後どう接すべきかを長椅子に寝ころんだまま考え始めた。
ミハエルを怒らせた瞬間に咄嗟に詫びたものの、謝罪は改めてきちんとするべきでだと思えた。
そして泉に関する一連の話題に二度と触れないことも、はっきりと伝えてあげるべきだという気がした。
その方がミハエルも安心するのではないか、と。

アレクサンダーとしては、謝罪の後に改めてミハエルと友情関係を築いていきたいところであるが、ミハエルはアレクサンダーとの友情などこれっぽっちも望んでいないのかもしれない。
少なくともアレクサンダーがつなぎとめなければ、ミハエルとの友情は脆くも消えてなくなってしまうだろう。
ミハエルはきっと、さっさと心の扉を閉めて引き返してしまう。
そもそも、わずかにでも二人の間に友情が芽生えていたと思うなど、アレクサンダーの都合の良い妄想に過ぎないのかもしれないのだ。

ここまで考えて、またもアレクサンダーは己に苦笑する。
嫌がるミハエルを、尚もつなぎとめようとしている自分は、いったい何だというのだろう。

アレクサンダーは、ソファに深く沈み込んだ。

「……………………」

アレクサンダーは長い時間、静止したまま悶々と思いを巡らせる。

「だぁっ!!!!!」

アレクサンダーは、突然、ガバリとソファから飛び起きると、思いきり叫んだ。

バシッと頬を叩く。


「しっかりしろ、俺!」
どんなこともミハエルの感情を無視してやるべきことではない。
もちろん、本音では、このままミハエルとの関係が壊れてしまうなど絶対に嫌だと思っている。

ともかくも、明日のミハエルの反応を見てみてそれから考えよう、そう決断する。

「坊ちゃん、どうかされましたか?」

廊下の外まで声が漏れていたらしい。使用人が部屋の外で扉を叩いている。

「なんでもない!」

アレクサンダーは扉の向こうに叫びながら、リリーを書机の奥底に仕舞い込んだ。