銀色の雲の上

二人は少しだけ、泉の畔で話をした。

「母さまはね、本当に美しい人なんだ」

少年は、まるで自分の母親に片思いをしているような口調だ。

アレクサンダーは隣でその様子をジッと見つめていた。

「ぼく、ぜんぜん良い子じゃないから、母さまを怒らせてばかりで……」

少年が哀しそうに目を伏せる。

泉には葉っぱが揺蕩(たゆた)っている。

「いっしょうけんめいやっているつもりだけど、母さまの言いつけどおりには上手くできないんだ……」

泉に心もとなげに浮かぶ葉っぱを見つめながら、少年はギュッと半ズボンの裾を握りしめている。

アレクサンダーにしてみれば、悪ガキと呼ばれて平然としている自分よりも、目の前の少年の方がよっぽど聞き分けが良さそうに見えた。

やはり少年の母親は厳しい人なのかもしれない。

「なんだか、いつもあたまの上に重くて灰色の雲が乗っかっているみたいな気がするんだ。ねえ、君はそんなふうになること、ない?」

少年が顔を上げてアレクサンダーに尋ねる。

「ない」

アレクサンダーはきっぱりと答えた。

「そう……」

少年はうなだれている。

落ち込ませてしまっただろうか。

アレクサンダーに他意はなく、ただ事実を伝えただけのつもりだったのだが。

二人の間にしばし、気まずい沈黙がおりる。

泉を眺める少年は、なんだかとても寂しそうに見えた。

胸の中に空風(からかぜ)を胸に飼っているような、そんな表情(かお)だ。

アレクサンダーは少年の横顔を見つめていたが、ふいに空を見上げて眼を奪われた。

「なあ!」

少年を見つめ肩をつかむと、力いっぱい空を指さした。

「銀色の雲の上を見てみろよ」

つられて少年も空を見上げる。

そこには、金と銀の燦然とした光の柱が、天と地をつなぐ姿があった。

光芒に照らされた雲は、ふくよかに銀色に光を含み、湧き立ち、うねり、幾重にもかさなりあいながら太陽を抱きしめている。

銀色の雲に掛けられる光の梯子からは、天使が舞い降りそうだ。

その瞬間のことである。

二人の間を、ザァッと力強く風が吹き抜けた。

ザザザ、ざわざわ、ザザザァ。

木立がざわめき、泉にさざ波が駆け走る。

水面に浮かぶ葉っぱたちが上に下にと大きく揺らめいていた。

二人は目を見張り、しばらくのあいだ立ちすくんでいた。

「……まるで魔法みたいだね」

少年は見惚れながら、頬をバラ色に紅潮させている。

空は、全てを包み込んでいた。

照らされた泉は、楽園であった。

「ああ……」

アレクサンダーも呆然と空を見上げていた。

あたかも少年を励ますかのようだと、アレクサンダーは思った。

二人でしばらく空に見惚れていると、少年がハッと顔色を変える。

「もう帰らなくちゃ! 母さまに叱られちゃう!」

少年は慌てて踵を返す。

「待って!」

「素敵な人形をありがとう!」

アレクサンダーはとっさに少年をつかまえようとしたが、風のようにすり抜けて行ってしまった。

アレクサンダーはその場に立ち尽くす。

「あ、これ!」

手には、返し忘れたリリーを握りしめていた。

「明日も、ここへ来るかな…」

しかし、少年は二度と泉へは来なかった。

「ああ、なんで名前を真っ先にきいておかなかったんだ」

少年の存在に夢中になって、尋ねそびれてしまった。

アレクサンダーは激しく後悔した。


―――――……アレクサンダーは寝台の上でハッと目が覚めた。

まだ八歳だった頃の夢。

あの夢をこんなにもはっきりと見たのは何年ぶりだろう。

つっけんどんなミハエルも、最近は少しだけ警戒心を解いてくれているような気がする。

やっぱり、明日ミハエルにもう一度はっきり訊いてみよう。

そして、あのとき大事そうに抱きしめていたリリーを返してあげなくては。

まどろみながら、そんなことを思った。

アレクサンダーは、いつの間にか再び眠りに就いていた。