銀色の雲の上

寒く薄暗い道を、二人は並んで歩く。

アレクサンダーはいつものようにこの日あったことを一方的にミハエルに喋った。

ミハエルは帽子を目深にかぶり、前を向いて足早に歩いている。

アレクサンダーは喋りながら、帽子で顔の隠れたミハエルの様子を伺う。
無言ではあるものの、アレクサンダーの話には耳を傾けてくれているようだ。

帽子からは波打った襟足が毛束となって、うなじを隠すようにはみ出ている。

過去の勝手に触れた不届き者たちを擁護するわけでは無いが、ミハエルがもっと幼かった頃には、きっと精巧な陶磁器人形(ビスクドール)に触れるようにして、思わず美しいものに誘われるように手を伸ばしてしまった者もいたのではないかと思う。
そう思いたくなるほどに、ミハエルは美麗な見た目をしていた。

顔だけではない。
あまり筋肉のついていないしなやかな身体は、その中性的な容姿を強調するかのようだ。
手足が長く、すらりとしている。

もちろんミハエルにしてみれば、面識のない相手から突然触れられるなど恐怖以外の何ものでもなかっただろう。
そのことが心的外傷(トラウマ)になっていたとしてもおかしくはない。 

それこそ、アレクサンダーに何気なく触れられるのを嫌がったとしても何も不思議ではないだろう。

しばらく冷たい石畳の道を歩いて、二人はダミッシュ邸に着いた。

ミハエルはいつものようにランプに灯りをつけている。
それから、暖炉の火を焚く作業に取り掛かった。アレクサンダーはふと思いたって、ミハエルにお願いしてみる。

「その作業、俺にやらせて」

アレクサンダーの家では、暖炉の管理は全て使用人がやる。
いつもミハエルを見ているうちに、暖炉の火を焚べる作業に興味を惹かれるようになった。

「なんでまた」

怪訝そうにしているミハエルからマッチを取り上げる。

「こうか?」

アレクサンダーは、組んだ薪にマッチの火を入れようとしてみる。

「ああ、違う。その枯葉の下の………そう、そこに火を入れて」

アレクサンダーの手際の悪さに、思わずといった様子でミハエルが口を出す。

ミハエルに言われた箇所にマッチの火を入れてみると、うまく枯葉が燃えはじめた。

アレクサンダーが顔を上げると、隣でミハエルが暖炉の前に(ひざまず)き、じっと炎を見つめている。
ミルクを流しこんだような、なめらかな肌に、長い睫毛が繊細な影を落としている。

ミハエルと、ハタと目が合う。

「なんだよ……火から目を離すなよ?」

見つめられていることに気がつき、ミハエルは決まりが悪そうな顔をしている。

「お、おお」

アレクサンダーも柄にもなく動揺してしまった。
二人は火を焚べる作業に戻った。

ミハエルは暖炉の前に跪いたまま、先ほどの火種が大きくなるのを見守っている。

アレクサンダーがもう一度、こっそりミハエルの方を見ると、ミハエルの眼がチラチラと暖炉の灯りに反射していた。
炎のゆらぎに合わせて虹彩が角度を変えて煌めいている。

碧や翠の玻璃を嵌め込んだステンドグラスに光があたったかのような、並々ならぬ輝きを放っていた。

(あの時の少年と同じ……)

アレクサンダーは、見入っていた。

「おい、火が安定するまでちゃんと見てろってば」

ミハエルにたしなめられ、ハッと我に返る。
いつの間にかミハエルの眼に吸い込まれそうになっていた。

アレクサンダーは再び作業に戻る。
暖炉では、薪にじわじわと火が燃え移り炎が大きくなったかと思うと、そのうち安定した。

二人が暖炉から離れると、ミハエルは火よけの柵を置いている。

「おもしろいな」

アレクサンダーの無邪気さに、ミハエルは呆れた顔をしている。

「おもしろい? 面倒なだけだよ。灰を掻き出すのもひと苦労なんだ」

ミハエルにとって、暖炉の管理は生活そのものだ。
手間でしかないのであろう。

「で、お前の用事ってなんだったんだっけ?」

アレクサンダーは、からかうように尋ねる。

「別に……」

ミハエルは、気まずそうな顔をしている。

そんなミハエルに、アレクサンダーは仕切り直すつもりで声をかけた。

「課題、始めようぜ」

二人がテーブルに教科書を並べると、たちまちミハエルは一心不乱に課題に取り組み始める。
アレクサンダーから見て、ミハエルはかなり集中力がある方だと思う。

普段アレクサンダーの前ではつっけんどんにしていながら、勉強に集中しているときは取り繕いも何もない、素の表情をしていることがたびたびある。

ミハエルはきっと気づいていないだろう。

それにしても、やはりこの日はなんだかミハエルの顔が蒼白い気がする。

「やっぱり、体調が悪いのか?」

ミハエルはハッとしたかと思うと、ますます蒼ざめて、ううん、と首を横に振った。

勉強熱心なのは良いことだが、ちゃんと息抜きも出来ているのだろうか。

この日も教室で日中の休憩時間に一人で勉強をしていたが、はたして午後の授業で体力が持つのか心配になるほど熱心にやっていた。
どう見ても疲れが溜まっていそうだ。

加えてあの食事の量である。エネルギーも足りなくなるのではなかろうか。

アレクサンダーは、鞄から差し入れを取り出した。

「そういうのはやめろって……」

アレクサンダーの動作に気づき、咄嗟にそこまで言いかけたミハエルは、紙袋の中身を見せられて、ふ、と表情をやわらげた。
中には、人形の形に焼き固めたブレーツン(プレッツェル)が入っている。

ほどよい塩味の、ゲルステンビュッテル家自慢のブレーツンだ。
パン焼き職人にお願いして特別に作ってもらった。

可愛く形成されたブレーツン(プレッツェル)を見て、ミハエルの眼がかすかに煌めいて見える。

「気に入ってくれたか?」

アレクサンダーはミハエルの顔を覗きこむ。

ミハエルは気恥ずかしそうに頬を染めた。

「そういうつもりじゃ……」

「うちのパン焼き職人が心を込めて作ったんだ。受け取ると喜ぶと思うぜ」

穏やかに諭され、ミハエルはアレクサンダーを見上げると、しずしずと紙袋を受け取った。

「じゃあ……パン焼き職人の方に、お礼を伝えておいて」

(こういう言い方をすると、受け取ってくれるんだな)

アレクサンダーはミハエルに物を渡す際の秘訣を心得た気がした。