銀色の雲の上

翌日。

午前の授業が終わり手短に昼の食事を済ませると、ミハエルは手洗いから戻ってきた。
午後の授業が始まるまで、席で課外読書を読んで過ごすつもりだ。

教室の窓の外では、近ごろ曇天続きだったが、この日は久しぶりに太陽が顔を覗かせていた。

といっても気温はすこぶる低い。
生徒たちにとって教室のストーブだけが暖をとるための唯一の拠り所である。
ミハエルは入口のストーブで少しだけ体を温めることにした。

アレクサンダーの力強い号令が、教室中に響き渡る。

「おい、みんな、校庭へ出ようぜ!」

彼の声に、昼食を終えた生徒たちが活気づく。

「アレク、今日は何をする?」

学舎内でアレクサンダーと最も長い時間を過ごしているモーリッツが、活発な声で尋ねた。

投球(シュラークバル)だな」

アレクサンダーが窓の外の天候を確認しながら言う。

投球(シュラークバル)とは、打者が(ボール)を打って支柱(ポール)を往復し、その間に攻撃側に(ボール)を当てられるのを避けながら得点を競う遊技(ゲーム)である。

「ゲェ、外は寒いぜ」

「せっかく日が出ているんだぜ。地面のぬかるみもない。今日が投球(シュラークバル)試合(ゲーム)納めだ」

アレクサンダーのその一言で、皆の気持ちが固まった。

「人数が必要だよね。他の学年にも声をかけてチーム分けしよう!」

アーレンが提案する。
以前アレクサンダーに処置してもらった箇所は、みるみる治っていったらしい。

毎年この時期になると、冬の寒さにつられてなんとなく教室の中が静かに、そして閉塞的になってくる。
それと同時に、生徒たちは教室に閉じこもりがちになる。

ところがこの冬は、アレクサンダーがいるだけで華やかな雰囲気に包まれていた。

「もちろん、ヘルマンも参加するよな?」

アレクサンダーは、教室の隅で皆のことを羨ましそうに見つめているヘルマンに声をかけた。
ヘルマンは慌てて首を横に振る。

「僕は、ヘ、ヘタクソだから遠慮するよ」

ヘルマンは真面目であるが、いつもどことなくオドオドした生徒だ。
今も、外に遊びに行く生徒たちの方を、首を引っ込めるようにして見つめている。

ヘルマンはあまり運動が得意ではない。

「そうか? 別に気にしなくていいんだぜ」

「でも……参加したら皆に悪いよ」

ヘルマンは自信無さげだ。
アレクサンダーを取り囲む生徒たちの顔色を眼鏡ごしにチラチラと窺っている。

「水臭いことを言うな」

アレクサンダーは馴れ馴れしくヘルマンの肩に腕をまわした。

「難しければ俺がコツを教えてやる。だから、一緒に校庭へ出ようぜ」

ヘルマンはおずおずと、しかし、嬉しそうに返事をしたかと思うと、皆に連れられて教室の外に出て行った。

「みんな、しっかり着込めよ」

ドヤドヤと教室の外に出ようとする生徒の塊の邪魔にならないよう、ミハエルは席に戻った。

(よくやることで)

ミハエルは、生徒らが教室を出て静かになると、古典の課外読書を鞄から取り出した。

他に教室に残っている者はというと、自宅に午餐をとりに帰ってまだ戻らない者、昼寝をしている者、他にやるべきことがあって誘いを断った者たちなどだ。

人影のまばらな教室にさりげなくゲオルグがいないことを確認し、ミハエルは内心ホッとする。
ゲオルグは先ほど、アレクサンダーたちとは別に教室を出て行った。

教室でゲオルグとの接触はほとんど無い。
彼と同じ空間に居るだけで、監視されているようで息が詰まる。
ゲオルグのいない教室で、ミハエルは少しだけ落ち着いた気持ちになった。

静かに本の文字を目で追う。

そうやってしばらく読書に没頭しているうちに、窓の外からアレクサンダーの声が聞こえてくる。

「おーい、どこ見てんだよ!」

わははは、とアレクサンダーの威勢の良い笑い声が響いてくる。
かと思うと、それからひときわ大きな声でヘルマンらしき人物に何か教示(アドバイス)のようなものを叫んでいる。

ひと呼吸遅れてワッと他の生徒たちの歓声が聞こえてきた。

ワイワイと楽しそうな気配に、ミハエルは誘われるようにして、いつのまにかふらふらと窓の外を覗いていた。

校庭では様々な学年の生徒たちが入り混じりバラバラと投球(シュラークバル)の陣系を整えている。

まさしく一人の生徒が、(ボール)を投げようとしているところだった。

他の生徒より背丈が頭ひとつ抜けたその投手が、アレクサンダーであることがすぐに分かる。
アレクサンダーは大きく(ボール)をトスすると、勢いよく木製棒(バット)で打った。
かと思うと、屈強な走りであっという間に支柱(ポール)を往復している。

ミハエルはいつの間にか見入っていた。

(…………………)

少ししてミハエルはハッと、自分が思いのほか長い時間窓の外を眺めていたことに気づく。
平静を装いながら席に戻る。

教室をこっそり振り返る。

残っている生徒たちは誰もミハエルのことを気にも留めていない様子だ。
ミハエルは小さく安堵の息をつくと、再び読書に戻った。

ミハエルは、アレクサンダーが編入してきたばかりの頃、彼が自身の姓にかかる称号を振りかざせば、すぐに教室の者たちから煙たがれるだろうと思っていた。

しかし、アレクサンダーがこの教室で居丈高にしている姿など、今のところ見たことがない。

彼がこのギムナジウムへ籍を置いてまだほんの数ヶ月であるが、例えばその社交性がこのギムナジウムでの処世術として戦略的に行われているのだとしても、凄いことだと思う。

窓の外の歓声を聞くともなく聞きながら、ミハエルはそんなことを考えた。