銀色の雲の上

ミハエルは一人テーブルについて夕食をとっている。

(アレクサンダーが来ると、狭い小屋の中が一層狭くなるな)

アレクサンダーが帰った後、人一人(ひとり)分そっけなくなった空間でパンを齧っている。

いつも独りぼっちでいる空間に、先ほどまで二人でいたことを思い出すと不思議な感覚である。

口の中でパンの酸味を感じながら、一方で頭の中でアレクサンダーの明瞭な声を思い出す。

勉強の遅れていた箇所はアレクサンダーのおかげで予定よりもかなり捗った。

アレクサンダーの説明は、彼のノートの取り方と同じく端的で分かりやすい。

(彼をこの場所に入れるのは、あくまで勉強のために許しているだけで………)

遅れをとっていた箇所が完全に追いつけば、この関係も区切らなければ。

そう思っているのであるが、ここまで踏み入られておいて、アレクサンダーをうまく突き放すことなんて出来るのだろうか。
一抹の不安がよぎる。

冷えきったソーセージを咀嚼しながら、じっと考え込む。

(そこまでしてアレクサンダーは何のために自分に近づいてくるのだろう)

泉だとか、人形だとか、思い出に浸るため?

あるいは、同情とか、憐れみとか、そういった類のことか?

それとも、単に人の世話を焼きたいだけなのだろうか。

もしくは、その全てなのかもしれなかった。

なんにせよ、面白半分に詮索されてはたまらない。

ミハエルは最後にキャベツの漬物(ザワークラウト)の残りを食べ終わると、空っぽの籠を小屋の隅の整理棚に片付けた。

それから、ミハエルはおもむろに鏡の前に立つ。

シャツをめくって、先日ゲオルグにつけられた痣の痕を確認する。
左脇には青黒く内出血が浮かび上がっている。

ゲオルグは、父から託されたお金を定期的に渡しにくる。
そして、人目につかないやり方で、ミハエルを地獄に突き落とす。
ミハエルはゲオルグに痛めつけられているあいだ、必死に身を縮こまらせて嵐が去るのを待つしかない。

ゲオルグと出会った頃から、もう何年もこんなことが続いている。

年齢を重ねるごとに体格に差が出てきており、ただでさえ華奢なミハエルの体は耐えられなくなってきていた。

(惨めだ)

ミハエルは、書机の引き出しから陶器の貴婦人の人形を取り出すと、そっと、おでこにあてた。

(……アレクサンダーには、こんな自分のことなんて、知られたくない)

みすぼらしい小屋で生活していることがばれてしまった今、家の人たちからどのような扱いを受けているか、更なる詮索を避けたかった。

アレクサンダーどころか、誰にも知られたくない。

それに、とミハエルは思う。

今でこそ親切そうに近づいてくるアレクサンダーも、どうせすぐにゲオルグに巻き取られ他の生徒のように遠巻きにし始めることだろう。

人は、事実を確認せずに、いとも簡単に噂話や他人の評価を信じてしまう。
実際、第八学年(プリーマ)の生徒たちだって、ゲオルグが作り上げた悪辣なミハエル像を鵜呑みにしてしまっている。

アレクサンダーも、所詮、他の同級生たちと本質など変わらないに違いない。

ミハエルは、アレクサンダーに遠巻きにされる姿を想像する。

そうこうしているうちに、鬱屈とした悪い妄想に引きずり込まれて止まらなくなった。 

(突き放される前に、こちらから突き放すのが賢明だ)

本宅の方では、家族が団欒を過ごしている。

ミハエルは、やりきれない気持ちになって勉強に取り掛かることにした。

(この家に居る限り、永遠に自分の立場は変わらないんだ)

すぐにでも、文字や数式で淋しい気持ちを打ち消したかった。