銀色の雲の上

「いつからこの建物はあるんだ?」

ミハエルは答えたくなさそうにしながらも、しぶしぶ教えてくれた。

「先祖の誰かが、上流階級の真似事で作ったんだよ。君たちのような暮らしに憧れてね」

昔、庭師を住み込みで雇っていたのだという。

使用人を雇うことはつまり、その家の社会的地位(ステータス)を表す。
中流階級でも、一人でも良いので使用人を雇って家格を上げて見せたい家庭は少なくない。

ダミッシュ家も父の前の代までは庭師をって雇いたらしいが、何かの折にその庭師が辞める運びとなった。
それ以来、ここは物置小屋としてしばらく放って置かれた建物なのだという。

「それ以上の詳しいことは知らない。僕が生まれた頃には完全に物置小屋として(ほう)っておかれた建物だから」

ミハエルは鞄の教材を書机の棚に戻しながら、そう教えてくれた。

(最初から物置小屋として造られたものかと思いきや、もともと人が住むために造られた建物だったのか)

煌々と燃える暖炉の炎を見つめながら、アレクサンダーは納得した。

純粋に物置小屋として建てられたものならば暖炉が備えつけられる必要がない。
人が住むことを想定して造られたのならば、はなから壁に暖炉が設けられていることにも合点がいく。

当時よりもダミッシュ家の使用人の数は増えているらしいが、庭の管理は、外から定期的に通ってもらっているのだという。
家の方針は当主によって変わるものである。

「ここでどうやって生活しているんだ?」

ミハエルは黙り込む。触れてほしくなさそうだ。

「必要なものは使用人がぜんぶ用意してくれる」

それで察しろというように、結局何も教えてくれなかった。

ミハエルは、カーテン代わりのボロ布をおもむろにめくると、窓の外を確かめている。

「外も暗くなってきたことだし、早く帰れよ」

「今来たばかりなんだが」

否、押しかけてきた(・・・・・・・)ばかりである。

「もしかして用事って、遊びに来たとかいう、それだけじゃないだろうな」

ミハエルにじろりと睨みつけられ、そういえば、とアレクサンダーは鞄の中をごそごそと探りはじめる。

「お前さ、一週間休んでいた分の授業が遅れているだろう」

ほら、とノートを差し出す。

ミハエルはきょとんとしている。

「貸してやる。内容が追いついたら返してくれればいい」

ミハエルはノートに恐る恐る手を伸ばした。

「……いいの?」

パラパラとめくって内容を確認している。

アレクサンダーは頷く。
突き返されるかと思いきや、ミハエルはお礼をいいながら素直に受け取った。

少し意外に思いながらも、アレクサンダーは満足して木戸の方へ向きなおった。

「帰るの?」

「なんだ? 本当は帰ってほしくないのか?」

アレクサンダーはニヤニヤする。

「ち、違う。確認しただけだ。あれだけ強引に訪ねてきたわりに、すんなり帰るんだなと思っただけで………っ」

ミハエルは焦って説明し始めた。

「ノートだって、わざわざここでなくても、学舎で渡してくれれば用事が済んだろ」

ミハエルは必死だ。

「学舎じゃ、ろくに会話してくんねーからな」

言われて、とたんにミハエルは気まずそうな顔になる。
思い当たる節があるらしい。

ミハエルの言う通り、ノートは学舎で渡してもよかったのだが、アレクサンダーとしてはこの場所を訪ねるための口実がひとつでも多くあった方がいい。

ミハエルがノートを抱えながら静かに口を開いた。

「なんでこの場所のことを、誰にも言わなかったんだ」

「昨日約束しただろ。言わないって」

「そうかもしれないけど……」

ミハエルは神妙な面持ちで目を伏せた。

かと思うと、キッとアレクサンダーを睨みつける。

「だったら、二度と押しかけて来ないって、今すぐ約束しろよ」

「ははは、それは断る」

アレクサンダーは手をひらひらさせる。

「まあ、またゆっくり話そうぜ」

そしてアレクサンダーは、ああ、そうだ、ともう一度鞄の中をごそごそと探った。

中から小さな紙袋を取り出して、ミハエルに差し出した。

「これは?」

ミハエルは(いぶか)しげに紙袋の中を覗きこんでいる。

「差し入れだ」

紙袋の中には蜂蜜飴(ホーニヒボンボン)が入れてある。蜂蜜と砂糖と生姜汁を煮詰めて固めたものだ。

昨日はなんとなくミハエルがやつれて見えた。
蜂蜜飴(ホーニヒボンボン)なら気軽に受け取ってもらえて少しは滋養になるかと思ったのだ。

ミハエルは紙袋を持ったままどうしたらいいのか分からないように突っ立っている。

「でも……」

遠慮がちに返そうとしてくる。

「いきなり押しかけたお詫びだと思って、受け取っておけ」

ぐいっとミハエルに押しつける。

ミハエルは受け取りながら、ハタと顔をしかめた。

「やっぱりわざと押しかけてるんだよな?」

「まあ、そう気を悪くするな」

ははは、とアレクサンダーは笑いながら、声を穏やかにした。

「勉強で分からない箇所があったら俺にきけ」

アレクサンダーは木戸に手をかけた。

「待って」

ミハエルに呼び止められる。

「このことは誰にも」

振り返ると、昨日のようにミハエルは顔を強張らせていた。

アレクサンダーは手をひらひらとさせながら答える。

「言わねーよ」

バタンと木戸を閉めた。

この日もミハエルは見送りには出て来なかった。