銀色の雲の上

十一月も中旬に入った頃、ミハエルがギムナジウムを欠席した。

担任教師が言うには、彼は風邪をひいたのだという。

(大丈夫なのか?)

アレクサンダーは頬杖をつきながら窓の外を見やる。

曇天で薄暗く、乾いた風がしなりながら校舎を鞭打っていく。
雪こそまだ降らないものの、 最近の寒さは、登下校するのがなかなか辛い。

この南の地域は、帝国一の寒冷地といわれている土地だ。

街のすぐ下には隣国との国境が横たわり、堂々たる山脈が連なっている。
冬は帝国の他の地域よりも降雪量が多いといわれている。
一年の半分とまでいかなくとも冬の期間は長い。

もう少し日にちが進めば、本格的に雪が降りはじめることだろう。
そうすれば、街全体が氷漬けのようになる。

(ここまで寒いと、風邪を引いてしまうのも無理はないよな)

教室に他にもポツポツと空席があるのをぼんやりと眺めながら、アレクサンダーはそんなことを思った。

ミハエルは、次の日も、その次の日も学校を休んだ。

週末を挟んでついに一週間を過ぎてもまだ欠席が続いたとき、アレクサンダーは思い切って、お見舞いに行くことにした。

(家の場所は分かっている)

簡素でありながら荘厳な門を持つ家。
それでいて、あの地の一帯では最も裕福そうな家。

アレクサンダーは二人の間に流れる微妙な空気を打破するきっかけが欲しかった。

教室の中がどんなに騒がしかろうと、ミハエルは振り返りもしない。
アレクサンダーと教室や廊下ですれ違っても目も合わせない。

ミハエルが教室でまともに視線を合わせるものといえば、授業中の教師と黒板、それから教科書くらいだ。

これらに課外読書が加わるくらいか。
よくもまあ、と思うほど遮断しきっている。

けれどもこれらの態度はきっと、アレクサンダーがこのギムナジウムに来るずっと前からミハエルの中で繰り返されてきたことなのだ。
傍から見て異様なほど独りで過ごすミハエルは、常に淡々としていた。

挨拶くらいならミハエルに声をかけても良いのではないかと思わなくもなかったが、「かまうなよ」の唸るような声と鋭利な瞳を思い出すと、やはりためらわれるのだった。

廊下でのあの一件以来、ミハエルはまるで先端を尖らせた透明な柵を張り巡らせているかのようだ。


授業が終わると、アレクサンダーは足早に校舎を出た。

空を見上げると、雲まで凍てつきそうな色をしている。

ミハエルの家に向かうべく、ギムナジウムの門を出るとダミッシュ邸の方角へ石畳の道を歩き出す。

びょうっと風がアレクサンダーの頬を打つ。

()み」

思わずアレクサンダーは外套の襟をかき集める。
外は薄雲りだが、それなりに明るい。まだ日の入りまで少し時間がある。

足元で枯葉がカサカサと音をたてるのを踏みしめながら、アレクサンダーは急ぎ足でミハエルの家へ向かうことにした。

しばらく大通りの石畳を歩いていくと、ダミッシュ家の正門の前に辿り着いた。

(ここはひとつ、裏門から声をかけてみるか)

アレクサンダーは、直感的にそう思いつく。

手入れされた厳格な正門の前を通り過ぎ、小路から裏門にまわり込む。

裏門は、正門とは打って変わって鄙びた印象だ。
しかし、こちらも丁寧に手入れがなされているようだ。
落ち葉もなく、こざっぱりとしている。

アレクサンダーは、小路の裏門の外から柵の向こうの敷地内を覗きこんでみた。

と、裏門の近くで女の使用人が作業しているのを見つける。

アレクサンダーはすかさず声をかける。
使用人の女はすぐに気づき、門の方へ近づいてきた。

「何かご用ですか?」

裏門を開けて、使用人の女はアレクサンダーに要件を尋ねる。

言い方は丁寧でありながら、彼女の声の調子からは、この若き客人を(いぶか)しく思っているのが伝わってくる。
わざわざ裏門から訪問しているのだから仕方がない。
使用人の女は、アレクサンダーの身なりや様子をジロジロと見つめている。

アレクサンダーはニコニコと人の好さそうな笑顔を浮かべ、素直に要件を伝えた。

「ミハエルに会いに来ました」

使用人の女はますます訝しげな顔をして、

「……ミハエル、坊ちゃまですか?」

明らかに戸惑っている。
使用人の態度から、ミハエルへの訪問者が相当に珍しいのではないかと思わされる。

アレクサンダーはうっすらとした直感で、この使用人が何か理由をつけて自分を追い返すのではないかと察知した。

アレクサンダーは、とっさにハッタリをかますことにした。

「ミハエルとは親友なんです」

ミハエルから避けられているのを隠し、さも仲が良いように言い切る。
ちなみに、物事を言い切るのはアレクサンダーにとって自分の意見を通すためのコツである。

「本当は今日、ギムナジウムでミハエルと大事な打ち合わせがあったはずなんです。
行事について話し合うよう、先生から言いつけられていたもので」

にこやかに話しながらも、しっかりと使用人の目を見つめる。

実際には、ミハエルと話し合わなければならない学校の行事など、ない。

「ミハエルが休んでいたから、話し合いの締め切りが間に合わなくて」

困ったように、わざと肩をすくめてみせる。

「お見舞いもしたいですし、少し話をしたいんですが、ミハエルは?」

使用人の女は、うろたえるのを隠そうとしているようだ。

「ギムナジウムを休んでもう一瞬間経ちますけど、まさか、まだ寝込んでいるなんてことは」

ないですよね?と、最後の方は語気を強めて念押しをした。

アレクサンダーから事情を聴いた女の使用人は、

「か……確認してまいります。表の玄関にご案内しますので、そちらで少しお待ちいただけますか?」

「いや、ここで待ちます」

アレクサンダーは断じて動かない。
使用人の女は困惑している。

二人は何度か問答を繰り返した後、ついに使用人は、目の前の客人がまったくもって動く気がないことを察したようだ。

仕方なくアレクサンダーをその場に残して、敷地の奥に向かって行った。

アレクサンダーは、すかさず使用人の後ろ姿を眼で追う。

そして彼女が足を向けたのが本邸でないことを見逃さなかった。

(物置小屋?)

使用人の女は、裏門から見える小さな茂みの、何か物置小屋のようなところに向かって行った。

アレクサンダーは、ほんのかすかな違和感を覚える。

それは、初めてミハエルの後ろをこっそり追いかけていった日に、ミハエルが正門を通り過ぎて、わざわざ裏門から屋敷の敷地に入っていったのと同じ種類の違和感だ。

アレクサンダーは、その違和感の正体を見極めたくなった。

足元が芝生であることを確認すると、気づかれないように使用人の女の後ろを、足音を立てないようにして追う。

(咎められたら謝罪すれば良い)

アレクサンダーは、こういったことを平気でやってのける。

少し先を行っていた使用人に追いつくと、そっと背後をつけていく。

使用人の女は、そんなアレクサンダーにはまったく気がつかない様子で、静々(しずしず)と物置小屋に近づいている。
アレクサンダーは気配を消し、なおも使用人の後ろをついていく。

その小屋は、本邸とは反対の、敷地の分厚い垣根の(きわ)にあった。

小屋の周りは、ぐるりと植え込みに囲まれている。
小屋の入り口のあたりは人が出入りできるようそこだけ木が取り払われ、足元が砂利になっている。

そこに人影がある。

まだ少し明るい夕暮れ時。
外套を肩に羽織り、小屋の前で裏門に背を向けるような形でミハエルが突っ立っていた。