そんなこんなで、早十日。
オルブライト公爵家の家紋が描かれたぴかぴかの魔導四輪に乗り、公爵夫妻とともにグラッドストン伯爵邸へやってきた婚約者は――。
「結婚してください」
「……えぇと、はい。そのために参りましたので……」
初対面でうっかりプロポーズしてしまうほど、とてもとてもかわいらしくて美しい、まるで天使のような姿をした少女だった。
腰まで伸びる艶やかな銀髪は、まるでそれ自体が彼女を飾る豪奢な装飾品のよう。
長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳より美しい宝石など、きっとこの大陸のどこにも存在しないだろう。
完璧に整った小さく美しい顔の中で、ふっくらとした淡い薔薇色の唇が幼い印象を与える。なのに、凜とした眼差しはひどく大人びていて、そのアンバランスさが危うい色香を漂わせていた。
つまり、クリストファーの婚約者としてやってきたエレオノーラ・オルブライトという令嬢は、彼の好みにどストライクな超絶美少女だったのだ。
(神さまありがとうございます。詐欺師タヌキのおっさんに、ほぼ騙された感じでこの家の後継者になってしまったときは、正直アナタに八つ当たりしたくなったこともございましたが、申し訳ありません。こんなかわいくてきれいで素敵な女の子がオレの嫁になってくれるとか、とりあえず傭兵時代に稼いだ金を、丸ごと神殿に寄付させていただきます!)
――いい年をして一目惚れをした初恋の相手が、すでに自分の婚約者でした。
そんな一瞬で処理するには少々濃すぎる衝撃に、クリストファーの脳はしばしの間ショートしてしまっていたようだ。
真顔で婚約者へプロポーズした彼が、緊張のあまりおかしなことを口走ったと思ったのだろうか。かなりの強さでクリストファーの背中を叩いたセドリックが、その場を取り繕う言葉を語っていくのを、どこか他人事のように聞き流す。
(あ、かわいい。めっちゃかわいい。すごくかわいい)
向かいの席に座るエレオノーラが瞬きをするたび、穏やかな声ではじめて聞く言葉を口にするたび、彼女のかわいい指数がどんどん上がっていくような感じがする。
他人に聞かれたら「バカなの……?」と真顔で問われそうな思考が、クリストファーの脳内を埋め尽くしていって、それに抗う気にもならなかった。
かわいいって、すごい。
エレオノーラを見ているだけで、ものすごく幸せなぬくもりで全身が満たされる。
結局、ろくな挨拶もしないままひたすら婚約者のかわいらしさを堪能しているうちに、親世代が揃っての顔合わせの場は終わることになったようだ。
あとは若いふたりで、というセドリックの指示に従い、彼女とともに庭へ出たところで、ようやく我に返る。
自分の少しあとを続いて歩くエレオノーラを勢いよく振り返ると、瞬きをした彼女が軽く首を傾げて見上げてきた。かわいい。
明るい日差しの中で見るエレオノーラは、自然と背筋が伸びるような立ち姿をしていて、まるで彼女の周囲だけ光の密度が違っているかのようだった。
こんなにきれいな生き物が、生きて動いていることが不思議だとさえ思ってしまう。
「あの……クリストファーさま。どうかなさいましたか?」
鈴を転がすような声が、耳に心地よい。
叶うことならずっと黙って聞いていたいけれど、彼女の言葉を無視するのが大変よろしくないことくらいは、今のクリストファーにも理解できる。
――はじめて顔を合わせたときから、エレオノーラはクリストファーの姿に怯える素振りを一切見せなかった。視線を逸らすことなく、ただ穏やかに笑ってくれた。
彼女の母親が、あからさまに不快げに顔を顰めてみせただけに、紛れもない貴族の令嬢でありながら、まるでそれらしい反応をしない彼女に興味を引かれる。
エレオノーラが本当はどう感じているのかは、わからない。
それでもクリストファーにとって、『貴族階級の女性』がまっすぐに自分と向き合ってくれるというのは、はじめての経験である。
ほんのささやかな、子どもじみた小さな喜び。
なのに、なぜだろう。
ほかの誰でもない、彼女が自分にその経験をくれたことが、本当にたまらなく嬉しかった。
ひとつ深呼吸をして、できるだけ穏やかな声で口を開く。
「……失礼いたしました、エレオノーラさま。あなたとお会いできたことが嬉しくて、少々舞い上がってしまったようです」
軽く頭を下げて詫びると、エレオノーラが瞬いた。
長い銀色の睫毛が揺れて、柔らかな光がまき散らされるようだ。
「嬉しい……ですか?」
困惑した響きのその声に、クリストファーは小さく笑う。
(まあ……政略結婚しにきた相手に、いきなりそんなことを言われりゃあ、そうなるわな)
改めて、状況を整理する。
どんなに手強い魔獣だろうと、その性質をきちんと把握して適切な対処をすれば、必ず倒すことができるものだ。
色恋にその経験則が当てはまるかどうかは非常に謎だが、ほかに使えそうな経験も情報も持ち合わせていない以上、手持ちの武器で勝負するしかない。
そしてクリストファーは、人生のかかった勝負では決して博打は打たない。堅実に、確実に、ありとあらゆるものを利用して、必ず完璧に勝ちにいく。
だからこそ、今までこうして生きてこられた。
生粋の貴族であるエレオノーラと、元は平民のクリストファー。
互いの価値観も、今まで経験してきたことも、自分が大切に思うものも、おそらく何もかもが違っている。
それでも今、彼女は自分の手の届くところにいる。
言葉を交わすことを許される位置に、いてくれるのだ。
澄み切ったアイスブルーの瞳が、本当にきれいで。
「はい。――私の妻になってくださる方が、あなたで嬉しい。エレオノーラさま」
ゆっくりと、少しずつ。
決して怯えさせることがないように。
「ご存じの通り、私がこの家の人間になってからまだ日が浅い。学ぶことばかりの毎日です。それでも、あなたが私の婚約者である以上、私はこれから何があろうと必ずあなたを守ります」
エレオノーラが、わずかに目を瞠る。
「クリストファーさま……?」
その声で名を呼ばれるだけで、全身にぞくぞくと歓喜が走り抜ける。
まだ、手は伸ばさない。
今の自分が彼女にとって、単なる『親に定められた婚約者』である以上、不用意に距離を詰めるようなことはしない。
「お恥ずかしい話ですが、今の私にはそれしかお約束できることがありません。……エレオノーラさま。もしよろしければ、教えていただけますか? あなたのお好きな色や、お好きな食べ物。嫌いなものや、苦手なことなど」
彼女のことを、もっと知りたい。
大切にしたい。
信じてほしい。
今はまだきれいなだけのその瞳に、自分への情愛が浮かぶようになったなら、それはいったいどれほどの福音だろう。
「わたくし、は……」
少しだけ掠れた、細い声。
そして一度目を伏せたエレオノーラが、再びクリストファーを見上げて、ふわりとほほえんだ。
先ほど応接室で浮かべていた微笑とはどこか違う、幼い印象の柔らかな笑顔。
クリストファーの心臓が、ちょっと命に関わりそうなレベルで、ばっくん! と跳ねた。
危ない。
婚約者の笑顔にときめきすぎて死ぬというのは、それはそれでものすごく幸せそうな死に様ではあるけれど、さすがに心残りが大きすぎて死にきれない。
内心、盛大に冷や汗をかいていたクリストファーに、エレオノーラが言う。
「わたくしも、旦那さまになってくださる方がクリストファーさまで、とても嬉しく思います。……何かと至らない身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
心臓が、痛い。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ぐっと、手指を握りしめる。
(オレの! 婚約者が! 世界一かわいいぃーっっ!!)
そのとき脳内で、全力で婚約者への愛を叫んでいたクリストファーは、自分が傭兵稼業の中で完全無欠のポーカーフェイスを身につけていたことを、心から神に感謝した。
現在、婚約者一色に染まってしまった自分の脳が吐き出す言葉たちが、フルオープンにするには少々恥ずかしいものであることくらいは、さすがに自覚しているのである。
オルブライト公爵家の家紋が描かれたぴかぴかの魔導四輪に乗り、公爵夫妻とともにグラッドストン伯爵邸へやってきた婚約者は――。
「結婚してください」
「……えぇと、はい。そのために参りましたので……」
初対面でうっかりプロポーズしてしまうほど、とてもとてもかわいらしくて美しい、まるで天使のような姿をした少女だった。
腰まで伸びる艶やかな銀髪は、まるでそれ自体が彼女を飾る豪奢な装飾品のよう。
長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳より美しい宝石など、きっとこの大陸のどこにも存在しないだろう。
完璧に整った小さく美しい顔の中で、ふっくらとした淡い薔薇色の唇が幼い印象を与える。なのに、凜とした眼差しはひどく大人びていて、そのアンバランスさが危うい色香を漂わせていた。
つまり、クリストファーの婚約者としてやってきたエレオノーラ・オルブライトという令嬢は、彼の好みにどストライクな超絶美少女だったのだ。
(神さまありがとうございます。詐欺師タヌキのおっさんに、ほぼ騙された感じでこの家の後継者になってしまったときは、正直アナタに八つ当たりしたくなったこともございましたが、申し訳ありません。こんなかわいくてきれいで素敵な女の子がオレの嫁になってくれるとか、とりあえず傭兵時代に稼いだ金を、丸ごと神殿に寄付させていただきます!)
――いい年をして一目惚れをした初恋の相手が、すでに自分の婚約者でした。
そんな一瞬で処理するには少々濃すぎる衝撃に、クリストファーの脳はしばしの間ショートしてしまっていたようだ。
真顔で婚約者へプロポーズした彼が、緊張のあまりおかしなことを口走ったと思ったのだろうか。かなりの強さでクリストファーの背中を叩いたセドリックが、その場を取り繕う言葉を語っていくのを、どこか他人事のように聞き流す。
(あ、かわいい。めっちゃかわいい。すごくかわいい)
向かいの席に座るエレオノーラが瞬きをするたび、穏やかな声ではじめて聞く言葉を口にするたび、彼女のかわいい指数がどんどん上がっていくような感じがする。
他人に聞かれたら「バカなの……?」と真顔で問われそうな思考が、クリストファーの脳内を埋め尽くしていって、それに抗う気にもならなかった。
かわいいって、すごい。
エレオノーラを見ているだけで、ものすごく幸せなぬくもりで全身が満たされる。
結局、ろくな挨拶もしないままひたすら婚約者のかわいらしさを堪能しているうちに、親世代が揃っての顔合わせの場は終わることになったようだ。
あとは若いふたりで、というセドリックの指示に従い、彼女とともに庭へ出たところで、ようやく我に返る。
自分の少しあとを続いて歩くエレオノーラを勢いよく振り返ると、瞬きをした彼女が軽く首を傾げて見上げてきた。かわいい。
明るい日差しの中で見るエレオノーラは、自然と背筋が伸びるような立ち姿をしていて、まるで彼女の周囲だけ光の密度が違っているかのようだった。
こんなにきれいな生き物が、生きて動いていることが不思議だとさえ思ってしまう。
「あの……クリストファーさま。どうかなさいましたか?」
鈴を転がすような声が、耳に心地よい。
叶うことならずっと黙って聞いていたいけれど、彼女の言葉を無視するのが大変よろしくないことくらいは、今のクリストファーにも理解できる。
――はじめて顔を合わせたときから、エレオノーラはクリストファーの姿に怯える素振りを一切見せなかった。視線を逸らすことなく、ただ穏やかに笑ってくれた。
彼女の母親が、あからさまに不快げに顔を顰めてみせただけに、紛れもない貴族の令嬢でありながら、まるでそれらしい反応をしない彼女に興味を引かれる。
エレオノーラが本当はどう感じているのかは、わからない。
それでもクリストファーにとって、『貴族階級の女性』がまっすぐに自分と向き合ってくれるというのは、はじめての経験である。
ほんのささやかな、子どもじみた小さな喜び。
なのに、なぜだろう。
ほかの誰でもない、彼女が自分にその経験をくれたことが、本当にたまらなく嬉しかった。
ひとつ深呼吸をして、できるだけ穏やかな声で口を開く。
「……失礼いたしました、エレオノーラさま。あなたとお会いできたことが嬉しくて、少々舞い上がってしまったようです」
軽く頭を下げて詫びると、エレオノーラが瞬いた。
長い銀色の睫毛が揺れて、柔らかな光がまき散らされるようだ。
「嬉しい……ですか?」
困惑した響きのその声に、クリストファーは小さく笑う。
(まあ……政略結婚しにきた相手に、いきなりそんなことを言われりゃあ、そうなるわな)
改めて、状況を整理する。
どんなに手強い魔獣だろうと、その性質をきちんと把握して適切な対処をすれば、必ず倒すことができるものだ。
色恋にその経験則が当てはまるかどうかは非常に謎だが、ほかに使えそうな経験も情報も持ち合わせていない以上、手持ちの武器で勝負するしかない。
そしてクリストファーは、人生のかかった勝負では決して博打は打たない。堅実に、確実に、ありとあらゆるものを利用して、必ず完璧に勝ちにいく。
だからこそ、今までこうして生きてこられた。
生粋の貴族であるエレオノーラと、元は平民のクリストファー。
互いの価値観も、今まで経験してきたことも、自分が大切に思うものも、おそらく何もかもが違っている。
それでも今、彼女は自分の手の届くところにいる。
言葉を交わすことを許される位置に、いてくれるのだ。
澄み切ったアイスブルーの瞳が、本当にきれいで。
「はい。――私の妻になってくださる方が、あなたで嬉しい。エレオノーラさま」
ゆっくりと、少しずつ。
決して怯えさせることがないように。
「ご存じの通り、私がこの家の人間になってからまだ日が浅い。学ぶことばかりの毎日です。それでも、あなたが私の婚約者である以上、私はこれから何があろうと必ずあなたを守ります」
エレオノーラが、わずかに目を瞠る。
「クリストファーさま……?」
その声で名を呼ばれるだけで、全身にぞくぞくと歓喜が走り抜ける。
まだ、手は伸ばさない。
今の自分が彼女にとって、単なる『親に定められた婚約者』である以上、不用意に距離を詰めるようなことはしない。
「お恥ずかしい話ですが、今の私にはそれしかお約束できることがありません。……エレオノーラさま。もしよろしければ、教えていただけますか? あなたのお好きな色や、お好きな食べ物。嫌いなものや、苦手なことなど」
彼女のことを、もっと知りたい。
大切にしたい。
信じてほしい。
今はまだきれいなだけのその瞳に、自分への情愛が浮かぶようになったなら、それはいったいどれほどの福音だろう。
「わたくし、は……」
少しだけ掠れた、細い声。
そして一度目を伏せたエレオノーラが、再びクリストファーを見上げて、ふわりとほほえんだ。
先ほど応接室で浮かべていた微笑とはどこか違う、幼い印象の柔らかな笑顔。
クリストファーの心臓が、ちょっと命に関わりそうなレベルで、ばっくん! と跳ねた。
危ない。
婚約者の笑顔にときめきすぎて死ぬというのは、それはそれでものすごく幸せそうな死に様ではあるけれど、さすがに心残りが大きすぎて死にきれない。
内心、盛大に冷や汗をかいていたクリストファーに、エレオノーラが言う。
「わたくしも、旦那さまになってくださる方がクリストファーさまで、とても嬉しく思います。……何かと至らない身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
心臓が、痛い。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ぐっと、手指を握りしめる。
(オレの! 婚約者が! 世界一かわいいぃーっっ!!)
そのとき脳内で、全力で婚約者への愛を叫んでいたクリストファーは、自分が傭兵稼業の中で完全無欠のポーカーフェイスを身につけていたことを、心から神に感謝した。
現在、婚約者一色に染まってしまった自分の脳が吐き出す言葉たちが、フルオープンにするには少々恥ずかしいものであることくらいは、さすがに自覚しているのである。
