傲慢な兄の身代わりだった公爵令嬢は、元傭兵の婚約者に一目惚れされたようです。

「エレオノーラ。おまえの嫁ぎ先が決まった。グラッドストン伯爵家の次男、クリストファー・グラッドストンどのだ。十日後に先方の屋敷で顔合わせをしたのち、おまえはそのまま行儀見習いのため結婚式まであちらに滞在することになる。準備を整えておくように」
「は……?」

 その日の晩餐が終わる頃、父親のオルブライト公爵からそう告げられたエレオノーラ・オルブライトは、驚きに目を瞠(みは)った。
 彼女が貴族の娘である以上、親が婚姻相手を決めてくるのは当然のことだ。
 そして、屋敷の内向きを取り仕切るのは、当主の妻の役割である。その家独自のやり方や作法も多いことから、婚姻前にそれらを学ぶため、行儀見習いとして過ごすというのも珍しいことではない。

 しかし、なんの事前情報もないまま十日後に顔合わせ、しかもそのまま先方の屋敷に入るというのは、さすがに話が性急すぎる。
 先月の誕生日で十八歳になったエレオノーラは、この春にフィニッシングスクールを卒業したばかり。それ以降は、貴族の家に生まれた者の務めとして、日々領内の慈善事業や魔獣討伐に勤しんでいた。
 学生時代にはそこそこ優秀な成績を修めていたし、王宮で大きな発言権を持つオルブライト公爵家の娘である彼女に、縁談を持ちかけてくる家は引きも切らない。
 だからこそ父公爵は、エレオノーラの嫁ぎ先について吟味に吟味を重ね、より条件のいい政略結婚を結ぼうとしていると思っていたのだが――。

「申し訳ありません、お父さま。グラッドストン伯爵家には、ご嫡男のチャーリーさま以外にお子さまはいらっしゃらないと聞いています。そのご次男? のクリストファーさま、というのは……?」

 困惑を隠せず問いかけた彼女に、父より先に口を開いたのは、一歳年上の兄のマクシミリアンだ。

「安心しろ、エレオノーラ。クリストファーどのは、先日正式にグラッドストン伯爵の後継者として議会にも承認されている。紛れもない伯爵の実子だよ」

 ただし、とエレオノーラと同じ銀の髪にアイスブルーの瞳をしたマクシミリアンが、嘲るような口調で言う。

「彼の母君は、元々伯爵家の厩番の娘だったそうだ。チャーリーどのが伯爵家を出奔して除籍されるまでは、フリーの傭兵として生計を立てていたらしいぞ」

 エレオノーラは、小さく息を呑む。
 グラッドストン伯爵家は、建国当初から続く武門の家柄だ。
 質実剛健を旨とし、勇猛果敢な兵士を育てる術に長けた彼の家は、王家からの信任も厚く領地経営も至って順調だと聞く。
 そういった条件だけを見るなら、嫁ぎ先としてはかなりの優良物件であるといえよう。

 だが、現在のグラッドストン伯爵家は、少々――否、かなり大きな醜聞の真っ只中という状況だった。
 何しろマクシミリアンが言った通り、数ヶ月前、嫡男のチャーリーが平民階級出身の恋人と手に手を取って、隣国へ駆け落ちしてしまったのである。
 グラッドストン伯爵は、当然ながらチャーリーを連れ戻そうと、手を尽くして捜索したらしい。
 しかし、若い恋人同士はよほど入念に準備を整えたうえで逃走したのか、伯爵がふたりの駆け落ちに気付いたときには、すでに国境を越えたあとだったようだ。

 その後、武門の家柄である伯爵家としては前代未聞の醜聞の中、嫡男を貴族籍から除籍した伯爵は、いずれ縁戚の中から自らの後継者を選ぶのだろうと言われていた。
 だがまさか、ここで伯爵自身の私生児が出てくるとは驚きである。
 マクシミリアンが、くっくっと肩を揺らして笑う。

「クリストファーどのの母君は、彼が幼い頃に亡くなられたそうだ。面倒な姑がいなくて、よかったなあ?」

 エレオノーラは、思わず眉をひそめた。

「お兄さま。亡くなられた方のことを、そのようにおっしゃるものではございませんわ」

 チッと、舌打ちが返ってくる。

「相変わらず、優等生ぶったことだ。――まあ、いい。そんなおまえの鬱陶しい顔を見なければならんのも、あと十日だ。すでに、おまえたちの婚約は成立している。おまえが伯爵家の次期当主とは名ばかりの、まっとうな教育を受けていない傭兵上がりの妻となるのは、もう決まったことだからな」

 吐き捨てるようなマクシミリアンの言葉に、父が頷く。

「ああ。おまえは、ろくに兄の顔も立てられないような不出来な娘だが、間違いなく我がオルブライト公爵家の娘だ。そのおまえを、貴族社会の右も左もわからんような後継者に嫁がせてやると言ってやったら、グラッドストン伯爵はむせび泣かんばかりに喜んでいたぞ」

 そんな父に続いて、母もゆったりとほほえんだ。

「あなたは、フィニッシングスクールでの成績はよかったようだけれど、少し生意気なところがありますからね。未来の旦那さまがどれほど粗野で無能な方でも、妻としてしっかり務めるのですよ」

 エレオノーラとその婚約者を蔑むようなことばかりを言う彼らの姿に、無意識に両手の指を握りしめる。
 そんな彼女に向けてフッと笑ったマクシミリアンが、両親に向かって楽しげに言う。

「父上、母上。私の魔獣討伐用の装備を新調しても構いませんか? 以前のものはだいぶ古くなっておりますし、公爵家の後継者が使うには少々恥ずかしいのです」
「ああ、もちろんだ。最新型の立派なものを揃えるといい」
「まあ、マクシミリアン。なんて素晴らしい心構えなのでしょう。私はあなたの母であることを、心から誇りに思いますよ」

 きっと多くの者が、心温まる家族のやり取りだと思うに違いない会話を聞きながら、エレオノーラは自分の胸が冷え切っていくのを感じる。
 ――昔から、そうだった。
 エレオノーラが物心ついたときには、すでにこの『家族』の形は完成していた。
 両親であるオルブライト公爵夫妻と、嫡男であるマクシミリアン。
 この三人だけでできあがっていた『家族』の中に、エレオノーラも弟のスタンリーも入っていない。
 長い晩餐テーブルの上座で楽しげに語り合う三人と、少し離れた下座で向かい合う形で座っているエレオノーラとスタンリーの位置関係が、そのままこの屋敷の『家族』の形だった。