リクちゃんは、腰をぬかしたまま、チッチャを乗せたバンを見送っていました。
「全然、ちっちゃい声じゃなかった……」
「そうだよね! 私も思った!」
「あれのどこがちっちゃい声って言うのか、わからない……」
私たちの話など、おじさんには聞こえるはずもなく、林道に入っていくバンは、すぐ、木々の中に見えなくなりました。
川の中の人や河原の人は、というと、驚いている人もいれば、そうでない人もいました。
驚いているのは、おそらく、チッチャの声を聞いた人たちでしょう。
何事もなかったようにしているのは、おそらく、チッチャの声に気づかなかった人たちでしょう。
チッチャのいた畳石から離れた所にいたら、声なんて聞こえるわけがないだろう、って思われるかもしれません。
でも、今、驚いている人たちは、畳石のそばにいた人だけではないんです。
私とリクちゃんが立っていた所だって、畳石からは、大分、距離がありました。
だから、チッチャの声が聞こえたか、聞かなかったかというのは、ただ単に距離のせいだけではないように、私、思うんです。
腰をぬかしていたリクちゃんが、ゆっくりと立ち上がりました。
「あれは、チッチャじゃない。デッカだ。デッカイ声の、デッカ」
私は、笑いかけましたが、リクちゃんは真顔でした。
それで、私は笑うのをやめておきました。
「そうね。私たちは、ちゃんと大きな声を聞いたんだから、デッカって呼ぶことにしましょ」
「うん。アシカのデッカ! ぴったりの名前だ!」
「かっこいいね」
「うん。かっこいい! でも、かっこいいってのは、ホントに自分の耳でデッカの声を聞いた人にしか、わからないことだ。それだったら、ネットなんかにも、投稿しないで、自分の心の中に大事にしまっておいたほうがいい」
「リクちゃん、ネットに投稿しようと思ったの?」
「うん。ちょっと思った」
リクちゃんは少し照れて言いました。
「でも、やめたんだ?」
「うん。やめた」
「そう。チッチャ……、ううん、デッカのためにも、きっと、それがいいね」
驚いている人たちも、リクちゃんや私と同じような気持ちだったのではないでしょうか。
色めきたっている様子は、まるでありませんでした。
みな一様に、満ち足りて、幸せそうでした。
チッチャと過ごした時間が、そうさせているように、私には感じられました。
「賛成だね」
カッパーさんです。
いつの間にか、私とリクちゃんのすぐそばに立っていました。
盗み聞きでしょうか。
でも、カッパーさんだし、まっ、いっか。
「カッパーさんも、聞きました?」
私が訊ねると、カッパーさんはこくりとうなずきました。
「聞いたよ」
「でも、あの声を聞いた人と聞かなかった人がいるみたいなんです」
「どうして、そう思う?」
「だって、驚いてる人と、驚いていない人がいるんですもん」
「驚いていない人の中にだって、聞こえていた人はいると思うよ。ああいう声を今までに何度も聞いている人だったら、そんなに驚かないよ」
……。
私は、声がでませんでした。
「そういう人もいるんですか?」
リクちゃんが、私に代わって訊いてくれました。
「いるよ」
「もしかして、カッパーさんも?」
カッパーさんは、にっこりとしてうなずきました。
「何の声を聞いたんですか?」
「それは僕の中に大事にしまってある。リク君もさっき、そう言ってたんじゃないのかい?」
「ああっ……」
リクちゃんは、それ以上、言葉を続けませんでした。
私は、言わないカッパーさんも、しつこく訊かないリクちゃんも、二人とも正しいように思われました。
「でも、アユちゃんが言ったように、驚いていない人の中には、聞こえなかった人も、おそらくいたろうね」
カッパーさんは、私を見てから、川のほうに目をやりました。
「シズク村でも、ああいう声を聞けない人が、増えてきていることは確かだ」
「それって、どういうことですか?」
「ずっと、山と川だけのシズク村だったからね。ちょっと前だったら、ああいう声は、村の者なら、みんな、聞こえたんだ。それが、だんだんと聞こえなくなってきているんだね」
私は、リクちゃんと顔を見合わせてから、カッパーさんに言いました。
「水族館のおじさんは、あのアシカの声を、ちっちゃいって話していたんです。でも、私もリクちゃんも、大きな声に聞こえたんです」
「水族館の人も、だんだん、聞こえなくなってきているってことだね」
カッパーさんは、そう言って、空を見上げました。
……鳥。
タカです……。
つばさを広げ、ゆうゆうと飛んでいました。
「この村にも、新しい道路が通って、高いビルが建って、いろいろな人が入ってきている」
「いろんな人がシズク村に来るのは、いいことじゃないんですか?」
私は、シズク村の広報紙の見出しで「村の税収 増えてウハウハ」というのを見た記憶があります。
「何かを手に入れると、何かを失うものだよ」
「じゃあ、チッチャの声が聞こえなかった人は、新しく何かを手に入れてるんですか?」
「たぶんね」
「何ですか、それは?」
「人それぞれだね。いいものかもしれないし、悪いものかもしれない。まあ……、いい、悪いなんてのは、そのときどき、見方でも、立場でも、変わるものだ」
カッパーさんはそう言って微笑むと、監視小屋のほうへと行ってしまいました。
「カッパーさんの話、わかった?」
私がリクちゃんに訊くと、リクちゃんは、口を半開きにして、空を見上げていました。
リクちゃんたら……。
空では、タカが、ゆっくりと、大きく旋回していました。
「全然、ちっちゃい声じゃなかった……」
「そうだよね! 私も思った!」
「あれのどこがちっちゃい声って言うのか、わからない……」
私たちの話など、おじさんには聞こえるはずもなく、林道に入っていくバンは、すぐ、木々の中に見えなくなりました。
川の中の人や河原の人は、というと、驚いている人もいれば、そうでない人もいました。
驚いているのは、おそらく、チッチャの声を聞いた人たちでしょう。
何事もなかったようにしているのは、おそらく、チッチャの声に気づかなかった人たちでしょう。
チッチャのいた畳石から離れた所にいたら、声なんて聞こえるわけがないだろう、って思われるかもしれません。
でも、今、驚いている人たちは、畳石のそばにいた人だけではないんです。
私とリクちゃんが立っていた所だって、畳石からは、大分、距離がありました。
だから、チッチャの声が聞こえたか、聞かなかったかというのは、ただ単に距離のせいだけではないように、私、思うんです。
腰をぬかしていたリクちゃんが、ゆっくりと立ち上がりました。
「あれは、チッチャじゃない。デッカだ。デッカイ声の、デッカ」
私は、笑いかけましたが、リクちゃんは真顔でした。
それで、私は笑うのをやめておきました。
「そうね。私たちは、ちゃんと大きな声を聞いたんだから、デッカって呼ぶことにしましょ」
「うん。アシカのデッカ! ぴったりの名前だ!」
「かっこいいね」
「うん。かっこいい! でも、かっこいいってのは、ホントに自分の耳でデッカの声を聞いた人にしか、わからないことだ。それだったら、ネットなんかにも、投稿しないで、自分の心の中に大事にしまっておいたほうがいい」
「リクちゃん、ネットに投稿しようと思ったの?」
「うん。ちょっと思った」
リクちゃんは少し照れて言いました。
「でも、やめたんだ?」
「うん。やめた」
「そう。チッチャ……、ううん、デッカのためにも、きっと、それがいいね」
驚いている人たちも、リクちゃんや私と同じような気持ちだったのではないでしょうか。
色めきたっている様子は、まるでありませんでした。
みな一様に、満ち足りて、幸せそうでした。
チッチャと過ごした時間が、そうさせているように、私には感じられました。
「賛成だね」
カッパーさんです。
いつの間にか、私とリクちゃんのすぐそばに立っていました。
盗み聞きでしょうか。
でも、カッパーさんだし、まっ、いっか。
「カッパーさんも、聞きました?」
私が訊ねると、カッパーさんはこくりとうなずきました。
「聞いたよ」
「でも、あの声を聞いた人と聞かなかった人がいるみたいなんです」
「どうして、そう思う?」
「だって、驚いてる人と、驚いていない人がいるんですもん」
「驚いていない人の中にだって、聞こえていた人はいると思うよ。ああいう声を今までに何度も聞いている人だったら、そんなに驚かないよ」
……。
私は、声がでませんでした。
「そういう人もいるんですか?」
リクちゃんが、私に代わって訊いてくれました。
「いるよ」
「もしかして、カッパーさんも?」
カッパーさんは、にっこりとしてうなずきました。
「何の声を聞いたんですか?」
「それは僕の中に大事にしまってある。リク君もさっき、そう言ってたんじゃないのかい?」
「ああっ……」
リクちゃんは、それ以上、言葉を続けませんでした。
私は、言わないカッパーさんも、しつこく訊かないリクちゃんも、二人とも正しいように思われました。
「でも、アユちゃんが言ったように、驚いていない人の中には、聞こえなかった人も、おそらくいたろうね」
カッパーさんは、私を見てから、川のほうに目をやりました。
「シズク村でも、ああいう声を聞けない人が、増えてきていることは確かだ」
「それって、どういうことですか?」
「ずっと、山と川だけのシズク村だったからね。ちょっと前だったら、ああいう声は、村の者なら、みんな、聞こえたんだ。それが、だんだんと聞こえなくなってきているんだね」
私は、リクちゃんと顔を見合わせてから、カッパーさんに言いました。
「水族館のおじさんは、あのアシカの声を、ちっちゃいって話していたんです。でも、私もリクちゃんも、大きな声に聞こえたんです」
「水族館の人も、だんだん、聞こえなくなってきているってことだね」
カッパーさんは、そう言って、空を見上げました。
……鳥。
タカです……。
つばさを広げ、ゆうゆうと飛んでいました。
「この村にも、新しい道路が通って、高いビルが建って、いろいろな人が入ってきている」
「いろんな人がシズク村に来るのは、いいことじゃないんですか?」
私は、シズク村の広報紙の見出しで「村の税収 増えてウハウハ」というのを見た記憶があります。
「何かを手に入れると、何かを失うものだよ」
「じゃあ、チッチャの声が聞こえなかった人は、新しく何かを手に入れてるんですか?」
「たぶんね」
「何ですか、それは?」
「人それぞれだね。いいものかもしれないし、悪いものかもしれない。まあ……、いい、悪いなんてのは、そのときどき、見方でも、立場でも、変わるものだ」
カッパーさんはそう言って微笑むと、監視小屋のほうへと行ってしまいました。
「カッパーさんの話、わかった?」
私がリクちゃんに訊くと、リクちゃんは、口を半開きにして、空を見上げていました。
リクちゃんたら……。
空では、タカが、ゆっくりと、大きく旋回していました。
