***
「大丈夫ですか?」
……。
調理用の白衣を着たおじさんの顔と、スーツを着た若い男の人の顔が、ふたつ、ありました。
……。
私は、床に倒れていました。
気を失っていたようです。
「大丈夫です」
私は、自分の足で、立ち上がりました。
ちょっと、体がふわふわする感じがします。
「本当に大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」
白衣を着たおじさんが心配そうに訊いてきました。
「大丈夫です。救急車なんて、呼ばないでください。本当に、大丈夫ですから」
「そうですか?」
「あの……、すみません、できたら、お水をいただけますか」
「お持ちして」
白衣のおじさんが、スーツの若い男の人に言いつけ、男の人は店の奥へ小走りに走っていきました。
「こちらにお座りになってください」
おじさんは、私を、すぐ近くの空いているテーブルの席に座らせてくれました。
キツネのきれいなお姉さんが座っていた席です。
あ!
枯れ葉!
テーブルの上には、枯れ葉がありました。
二つに破れています。
私は、その枯れ葉を、食い入るように見ました。
……。
「失礼いたしました」
おじさんは少しも慌てることなく、落ち着いていました。
客が食べ終えた食器を片付けるかのように、枯れ葉を手に取ります。
そして、近くを通りかかったウェイトレスにそれを手渡しました。
ウェイトレスは、私に会釈をして、店の奥へ、枯れ葉を持っていなくなりました。
……。
と、少し離れた席に、あの大学生らしきカップルがいます!
丼です!
スジコ丼を食べています!
しかも、笑顔で!
おいしんでしょうか。
生臭くなくなったんでしょうか。
……。
私は、スカートのポケットに、そっと手をいれました。
……。
ありました!
一万円札!
なくなってなんかいません。
「本当に大丈夫ですか?」
おじさんは私の表情を見ていたようです。
嫌だわぁ。
恥ずかしい……。
「本当に、本当に、大丈夫です。ありがとうございます」
私は、照れながら笑顔をつくると、両の肘を曲げて、二の腕の筋肉をつくる真似をしてみせました。
「ほら、こんなに大丈夫です」
おじさんは、目尻にしわをつくって、微笑んでくれました。
私は立ち上がって、頭を下げました。
「ご迷惑をおかけして、すみません」
「そんな。気にすることなんてありません。どうぞ、お座りになってください」
おじさんは、もう一度、私を座らせ、自分も向かいの席に腰をおろしました。
そこへ、スーツの若い男の人が、グラスと、銅製らしいピカピカの水差しを手にして、戻ってきました。
手ずから、水をグラスに注いでくれます。
私はお礼を言うと、両手で冷たいグラスを包むようにして、水を飲みました。
搾ったレモンの味がかすかにします。
ああ……。
体が生き返るのがわかります。
私はグラスの水を一気に飲み干しました。
「おいしい……」
私は思わず、言いました。
だって、本当に、おいしかったんですもん。
生まれてからこれまで飲んだ水の中で、一番おいしかった。
若い男の人は、黙って、またグラスに水を注いでくれます。
私は、合計、三杯の水を飲んだところで、表にいるリクちゃんのことを思い出しました。
「すみません。友だちが外で待っているんです。友だちにも、お水を飲ませてあげてもいいですか」
もしかしたら、リクちゃんも、おしゃれなお店の前で、緊張して、倒れているかもしれません。
おじさんは、若い男の人に命じて、リクちゃんを店の中へと連れてきてくれました。
リクちゃんは、店の中をきょろきょろと見ています。
元気そうです。
よかった……。
私は、ほっと胸を撫でおろしました。
白衣のおじさんは席を立って、リクちゃんに、そこへ座るよう、促しました。
どうやら、リクちゃんは、なぜ自分が店の中へ呼ばれたのか、わかっていないようで、落ち着きなく、まるでサバンナから連れてこられたオサルさんのようでした。
リクちゃんの胸のマントヒヒが、私にそう思わせたのかもしれません。
マントヒヒは相変らず、野性味あふれた顔をして、リクちゃんと一緒に動いていましたから。
「すいません」
ぺこりと頭を下げて、リクちゃんは席につきました。
そして、答えを求めるような目で、私の顔を覗きこんできます。
「私、緊張しすぎて、倒れちゃって。それでお水、いただいちゃったの」
「ええっ! 大丈夫?」
「うん。お店のみなさんのおかげで」
私は座ったまま、もう一度、白衣のおじさんとスーツの若い男の人に頭を下げました。
と、リクちゃんも、テーブルにおでこがつくくらい、二人に頭を下げていました。
私は、そんなリクちゃんを見て、申し訳ない気持ちと、うれしい気持ちが、ごちゃまぜになりました。
ありがと、リクちゃん……。
それから、リクちゃんは、お水をたて続けに、五杯、飲みました。
その度に、「うまい!」って言いました。
そうです、五回も。
「うまい!」って。
リクちゃんたら……。
「スジコ丼なのですが」
私たちが落ち着いたようなのを見計らってか、白衣のおじさんが言いました。
「確かに、特別メニューとして、スジコ丼はあるのですが、この暑さの中、お持ち帰りでお売りすることはできないんです」
私は、それはそうよねと思いました。
私の喉がカラカラになったのも、緊張のせいだけではなかったはずです。
とにかく、今日は暑いんです。
河原へ持ち帰るまでに、スジコは暑熱で傷み、グリズさんは「オロロローッ!」になってしまうでしょう。
残念ですけど、グリズさんには、野外でのスジコ丼をあきらめてもらうしかありません。
と、私は、この時、おじさんが、オーナーシェフのジョンソンさんであることに気づきました。
白衣の胸の、かなり横長の金色の名札に、「Dombey Johnson=ドンビィ・ジョンソン」と刻まれていたんです。
カタカナ書きがされているから、英語を知らない人にも、ジョンソンさんはちゃんと名前を呼んでもらえますね。
カッパーさんたちのシャツの「RESCUE=救助」と同じです。
と、リクちゃんはチンパンジーのように、両手で頭を抱えていました。
何やら、呟いています。
「スジコ丼……、託されたのに……、どうしよう……」
そうでした、リクちゃんは、グリズさんと固い握手を交わし、自らピン札を受け取り、スジコ丼を託されていたのでした。
でも、しょうがないよ、リクちゃん。
グリズさんも、事情を説明すれば、わかってくれるよ。
「ここでめしあがることはできないのですか?」
ジョンソンさんが私に訊いてきました。
「はい。私たちが食べるんじゃないので」
「そうですか……」
ジョンソンさんはそう言ってから、小首を傾げ、チンパンリクちゃんを見ながら、少し考えているようでしたが、
「お持ち帰りになったら、すぐにめしあがるのですか?」とまた私に顔を向け、訊いてきました。
「はい。チェリー川で」
「では、焼き鮭のおにぎりをつくってさしあげましょう」
「え! そんな、いいんですか?」
「大きいのを、四つも、にぎれば、よろしいですか?」
「はい!」
私は、笑顔でうなずきました。
ジョンソンさんのおにぎりは、なんだか、特別なおにぎりのような気がしました。
「ありがとうございます!」
私の脳裏には、グリズさんが、鮭のおにぎりを、さわやかにワイルドに、そしておいしそうに食べる姿が浮かんでいました。
「うわーっ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
リクちゃんも笑顔で、ジョンソンさんにお礼を言いました。
もう、頭を抱えて困るチンパンリクちゃんでは、ありません。
ハッピーチンパンリクちゃんです!
ジョンソンさんは、にこにこしながら、シェフハットというのでしょうか、コックさんの帽子をかぶりました。
「大丈夫ですか?」
……。
調理用の白衣を着たおじさんの顔と、スーツを着た若い男の人の顔が、ふたつ、ありました。
……。
私は、床に倒れていました。
気を失っていたようです。
「大丈夫です」
私は、自分の足で、立ち上がりました。
ちょっと、体がふわふわする感じがします。
「本当に大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」
白衣を着たおじさんが心配そうに訊いてきました。
「大丈夫です。救急車なんて、呼ばないでください。本当に、大丈夫ですから」
「そうですか?」
「あの……、すみません、できたら、お水をいただけますか」
「お持ちして」
白衣のおじさんが、スーツの若い男の人に言いつけ、男の人は店の奥へ小走りに走っていきました。
「こちらにお座りになってください」
おじさんは、私を、すぐ近くの空いているテーブルの席に座らせてくれました。
キツネのきれいなお姉さんが座っていた席です。
あ!
枯れ葉!
テーブルの上には、枯れ葉がありました。
二つに破れています。
私は、その枯れ葉を、食い入るように見ました。
……。
「失礼いたしました」
おじさんは少しも慌てることなく、落ち着いていました。
客が食べ終えた食器を片付けるかのように、枯れ葉を手に取ります。
そして、近くを通りかかったウェイトレスにそれを手渡しました。
ウェイトレスは、私に会釈をして、店の奥へ、枯れ葉を持っていなくなりました。
……。
と、少し離れた席に、あの大学生らしきカップルがいます!
丼です!
スジコ丼を食べています!
しかも、笑顔で!
おいしんでしょうか。
生臭くなくなったんでしょうか。
……。
私は、スカートのポケットに、そっと手をいれました。
……。
ありました!
一万円札!
なくなってなんかいません。
「本当に大丈夫ですか?」
おじさんは私の表情を見ていたようです。
嫌だわぁ。
恥ずかしい……。
「本当に、本当に、大丈夫です。ありがとうございます」
私は、照れながら笑顔をつくると、両の肘を曲げて、二の腕の筋肉をつくる真似をしてみせました。
「ほら、こんなに大丈夫です」
おじさんは、目尻にしわをつくって、微笑んでくれました。
私は立ち上がって、頭を下げました。
「ご迷惑をおかけして、すみません」
「そんな。気にすることなんてありません。どうぞ、お座りになってください」
おじさんは、もう一度、私を座らせ、自分も向かいの席に腰をおろしました。
そこへ、スーツの若い男の人が、グラスと、銅製らしいピカピカの水差しを手にして、戻ってきました。
手ずから、水をグラスに注いでくれます。
私はお礼を言うと、両手で冷たいグラスを包むようにして、水を飲みました。
搾ったレモンの味がかすかにします。
ああ……。
体が生き返るのがわかります。
私はグラスの水を一気に飲み干しました。
「おいしい……」
私は思わず、言いました。
だって、本当に、おいしかったんですもん。
生まれてからこれまで飲んだ水の中で、一番おいしかった。
若い男の人は、黙って、またグラスに水を注いでくれます。
私は、合計、三杯の水を飲んだところで、表にいるリクちゃんのことを思い出しました。
「すみません。友だちが外で待っているんです。友だちにも、お水を飲ませてあげてもいいですか」
もしかしたら、リクちゃんも、おしゃれなお店の前で、緊張して、倒れているかもしれません。
おじさんは、若い男の人に命じて、リクちゃんを店の中へと連れてきてくれました。
リクちゃんは、店の中をきょろきょろと見ています。
元気そうです。
よかった……。
私は、ほっと胸を撫でおろしました。
白衣のおじさんは席を立って、リクちゃんに、そこへ座るよう、促しました。
どうやら、リクちゃんは、なぜ自分が店の中へ呼ばれたのか、わかっていないようで、落ち着きなく、まるでサバンナから連れてこられたオサルさんのようでした。
リクちゃんの胸のマントヒヒが、私にそう思わせたのかもしれません。
マントヒヒは相変らず、野性味あふれた顔をして、リクちゃんと一緒に動いていましたから。
「すいません」
ぺこりと頭を下げて、リクちゃんは席につきました。
そして、答えを求めるような目で、私の顔を覗きこんできます。
「私、緊張しすぎて、倒れちゃって。それでお水、いただいちゃったの」
「ええっ! 大丈夫?」
「うん。お店のみなさんのおかげで」
私は座ったまま、もう一度、白衣のおじさんとスーツの若い男の人に頭を下げました。
と、リクちゃんも、テーブルにおでこがつくくらい、二人に頭を下げていました。
私は、そんなリクちゃんを見て、申し訳ない気持ちと、うれしい気持ちが、ごちゃまぜになりました。
ありがと、リクちゃん……。
それから、リクちゃんは、お水をたて続けに、五杯、飲みました。
その度に、「うまい!」って言いました。
そうです、五回も。
「うまい!」って。
リクちゃんたら……。
「スジコ丼なのですが」
私たちが落ち着いたようなのを見計らってか、白衣のおじさんが言いました。
「確かに、特別メニューとして、スジコ丼はあるのですが、この暑さの中、お持ち帰りでお売りすることはできないんです」
私は、それはそうよねと思いました。
私の喉がカラカラになったのも、緊張のせいだけではなかったはずです。
とにかく、今日は暑いんです。
河原へ持ち帰るまでに、スジコは暑熱で傷み、グリズさんは「オロロローッ!」になってしまうでしょう。
残念ですけど、グリズさんには、野外でのスジコ丼をあきらめてもらうしかありません。
と、私は、この時、おじさんが、オーナーシェフのジョンソンさんであることに気づきました。
白衣の胸の、かなり横長の金色の名札に、「Dombey Johnson=ドンビィ・ジョンソン」と刻まれていたんです。
カタカナ書きがされているから、英語を知らない人にも、ジョンソンさんはちゃんと名前を呼んでもらえますね。
カッパーさんたちのシャツの「RESCUE=救助」と同じです。
と、リクちゃんはチンパンジーのように、両手で頭を抱えていました。
何やら、呟いています。
「スジコ丼……、託されたのに……、どうしよう……」
そうでした、リクちゃんは、グリズさんと固い握手を交わし、自らピン札を受け取り、スジコ丼を託されていたのでした。
でも、しょうがないよ、リクちゃん。
グリズさんも、事情を説明すれば、わかってくれるよ。
「ここでめしあがることはできないのですか?」
ジョンソンさんが私に訊いてきました。
「はい。私たちが食べるんじゃないので」
「そうですか……」
ジョンソンさんはそう言ってから、小首を傾げ、チンパンリクちゃんを見ながら、少し考えているようでしたが、
「お持ち帰りになったら、すぐにめしあがるのですか?」とまた私に顔を向け、訊いてきました。
「はい。チェリー川で」
「では、焼き鮭のおにぎりをつくってさしあげましょう」
「え! そんな、いいんですか?」
「大きいのを、四つも、にぎれば、よろしいですか?」
「はい!」
私は、笑顔でうなずきました。
ジョンソンさんのおにぎりは、なんだか、特別なおにぎりのような気がしました。
「ありがとうございます!」
私の脳裏には、グリズさんが、鮭のおにぎりを、さわやかにワイルドに、そしておいしそうに食べる姿が浮かんでいました。
「うわーっ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
リクちゃんも笑顔で、ジョンソンさんにお礼を言いました。
もう、頭を抱えて困るチンパンリクちゃんでは、ありません。
ハッピーチンパンリクちゃんです!
ジョンソンさんは、にこにこしながら、シェフハットというのでしょうか、コックさんの帽子をかぶりました。
