ちょっと天然の女子はきらきらでピカピカになる

 ***

「大丈夫ですか?」

 ……。

 調理用の白衣を着たおじさんの顔と、スーツを着た若い男の人の顔が、ふたつ、ありました。

 ……。

 私は、床に倒れていました。

 気を失っていたようです。

「大丈夫です」

 私は、自分の足で、立ち上がりました。

 ちょっと、体がふわふわする感じがします。

「本当に大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」
 白衣を着たおじさんが心配そうに訊いてきました。

「大丈夫です。救急車なんて、呼ばないでください。本当に、大丈夫ですから」

「そうですか?」

「あの……、すみません、できたら、お水をいただけますか」

「お持ちして」
 白衣のおじさんが、スーツの若い男の人に言いつけ、男の人は店の奥へ小走りに走っていきました。

「こちらにお座りになってください」
 おじさんは、私を、すぐ近くの空いているテーブルの席に座らせてくれました。
 キツネのきれいなお姉さんが座っていた席です。

 あ! 
 枯れ葉!

 テーブルの上には、枯れ葉がありました。
 二つに破れています。

 私は、その枯れ葉を、食い入るように見ました。

 ……。

「失礼いたしました」
 おじさんは少しも慌てることなく、落ち着いていました。
 客が食べ終えた食器を片付けるかのように、枯れ葉を手に取ります。
 そして、近くを通りかかったウェイトレスにそれを手渡しました。

 ウェイトレスは、私に会釈をして、店の奥へ、枯れ葉を持っていなくなりました。

 ……。

 と、少し離れた席に、あの大学生らしきカップルがいます!

 丼です!
 スジコ丼を食べています!
 しかも、笑顔で!

 おいしんでしょうか。
 生臭くなくなったんでしょうか。

 ……。

 私は、スカートのポケットに、そっと手をいれました。

 ……。

 ありました! 
 一万円札! 
 なくなってなんかいません。

「本当に大丈夫ですか?」
 
 おじさんは私の表情を見ていたようです。

 嫌だわぁ。
 恥ずかしい……。

「本当に、本当に、大丈夫です。ありがとうございます」

 私は、照れながら笑顔をつくると、両の肘を曲げて、二の腕の筋肉をつくる真似をしてみせました。

「ほら、こんなに大丈夫です」

 おじさんは、目尻にしわをつくって、微笑んでくれました。

 私は立ち上がって、頭を下げました。
「ご迷惑をおかけして、すみません」

「そんな。気にすることなんてありません。どうぞ、お座りになってください」

 おじさんは、もう一度、私を座らせ、自分も向かいの席に腰をおろしました。

 そこへ、スーツの若い男の人が、グラスと、銅製らしいピカピカの水差しを手にして、戻ってきました。
 手ずから、水をグラスに注いでくれます。
 
 私はお礼を言うと、両手で冷たいグラスを包むようにして、水を飲みました。

 搾ったレモンの味がかすかにします。

 ああ……。

 体が生き返るのがわかります。

 私はグラスの水を一気に飲み干しました。

「おいしい……」

 私は思わず、言いました。

 だって、本当に、おいしかったんですもん。

 生まれてからこれまで飲んだ水の中で、一番おいしかった。
 
 若い男の人は、黙って、またグラスに水を注いでくれます。

 私は、合計、三杯の水を飲んだところで、表にいるリクちゃんのことを思い出しました。

「すみません。友だちが外で待っているんです。友だちにも、お水を飲ませてあげてもいいですか」
 
 もしかしたら、リクちゃんも、おしゃれなお店の前で、緊張して、倒れているかもしれません。
 
 おじさんは、若い男の人に命じて、リクちゃんを店の中へと連れてきてくれました。

 リクちゃんは、店の中をきょろきょろと見ています。

 元気そうです。

 よかった……。

 私は、ほっと胸を撫でおろしました。
 
 白衣のおじさんは席を立って、リクちゃんに、そこへ座るよう、促しました。

 どうやら、リクちゃんは、なぜ自分が店の中へ呼ばれたのか、わかっていないようで、落ち着きなく、まるでサバンナから連れてこられたオサルさんのようでした。

 リクちゃんの胸のマントヒヒが、私にそう思わせたのかもしれません。
 マントヒヒは相変らず、野性味あふれた顔をして、リクちゃんと一緒に動いていましたから。

「すいません」
 ぺこりと頭を下げて、リクちゃんは席につきました。
 そして、答えを求めるような目で、私の顔を覗きこんできます。

「私、緊張しすぎて、倒れちゃって。それでお水、いただいちゃったの」

「ええっ! 大丈夫?」

「うん。お店のみなさんのおかげで」

 私は座ったまま、もう一度、白衣のおじさんとスーツの若い男の人に頭を下げました。

 と、リクちゃんも、テーブルにおでこがつくくらい、二人に頭を下げていました。

 私は、そんなリクちゃんを見て、申し訳ない気持ちと、うれしい気持ちが、ごちゃまぜになりました。

 ありがと、リクちゃん……。
 
 それから、リクちゃんは、お水をたて続けに、五杯、飲みました。
 その度に、「うまい!」って言いました。
 そうです、五回も。
 「うまい!」って。

 リクちゃんたら……。

「スジコ丼なのですが」
 私たちが落ち着いたようなのを見計らってか、白衣のおじさんが言いました。
「確かに、特別メニューとして、スジコ丼はあるのですが、この暑さの中、お持ち帰りでお売りすることはできないんです」

 私は、それはそうよねと思いました。
 私の喉がカラカラになったのも、緊張のせいだけではなかったはずです。
 とにかく、今日は暑いんです。
 河原へ持ち帰るまでに、スジコは暑熱で傷み、グリズさんは「オロロローッ!」になってしまうでしょう。
 残念ですけど、グリズさんには、野外でのスジコ丼をあきらめてもらうしかありません。

 と、私は、この時、おじさんが、オーナーシェフのジョンソンさんであることに気づきました。
 白衣の胸の、かなり横長の金色の名札に、「Dombey Johnson=ドンビィ・ジョンソン」と刻まれていたんです。
 カタカナ書きがされているから、英語を知らない人にも、ジョンソンさんはちゃんと名前を呼んでもらえますね。
 カッパーさんたちのシャツの「RESCUE=救助」と同じです。

 と、リクちゃんはチンパンジーのように、両手で頭を抱えていました。
 何やら、呟いています。

「スジコ丼……、託されたのに……、どうしよう……」

 そうでした、リクちゃんは、グリズさんと固い握手を交わし、自らピン札を受け取り、スジコ丼を託されていたのでした。

 でも、しょうがないよ、リクちゃん。
 グリズさんも、事情を説明すれば、わかってくれるよ。

「ここでめしあがることはできないのですか?」
 ジョンソンさんが私に訊いてきました。

「はい。私たちが食べるんじゃないので」

「そうですか……」
 ジョンソンさんはそう言ってから、小首を傾げ、チンパンリクちゃんを見ながら、少し考えているようでしたが、 
「お持ち帰りになったら、すぐにめしあがるのですか?」とまた私に顔を向け、訊いてきました。

「はい。チェリー川で」

「では、焼き鮭のおにぎりをつくってさしあげましょう」

「え! そんな、いいんですか?」

「大きいのを、四つも、にぎれば、よろしいですか?」

「はい!」
 私は、笑顔でうなずきました。
 ジョンソンさんのおにぎりは、なんだか、特別なおにぎりのような気がしました。
「ありがとうございます!」
 私の脳裏には、グリズさんが、鮭のおにぎりを、さわやかにワイルドに、そしておいしそうに食べる姿が浮かんでいました。

「うわーっ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
 リクちゃんも笑顔で、ジョンソンさんにお礼を言いました。
 もう、頭を抱えて困るチンパンリクちゃんでは、ありません。
 ハッピーチンパンリクちゃんです!
 
 ジョンソンさんは、にこにこしながら、シェフハットというのでしょうか、コックさんの帽子をかぶりました。