ちょっと天然の女子はきらきらでピカピカになる

 私は、はあ、はあ、息を切らせ、ときどき、石によろけながら、足を前へ、前へと進ませました。

 後ろのほうでは、「フグ」という声と一緒に笑い声がまだしています。

 私は、ミンミンゼミにがんばってもらって、その笑い声をかき消してほしいと思いました。

 林に近づき、ミンミンゼミの声が、どんどん大きくなってきます。

 木陰の中のお姉ちゃんは、にやにやしていました。

 シオカラトンボが、私の目の前の宙でとどまり、私はドキリとして、足を止めました。

 でも、トンボはそれから、ついと、どこかに飛んでいきました。

 ……。

「やっぱり笑われたでしょう!」
 お姉ちゃんが、声を投げてきました。 

「笑うほうがおかしい!」
 私は、お姉ちゃんに近づきながら言いました。

「だったら、堂々としてなさいよ」

「してるもん」

 私は、お姉ちゃんの前に立つと、隣の男の人を少し気にしながら胸を張りました。

 男の人はサングラスをかけているので、あまり表情はわかりませんが、ほりの深い顔立ちで、けっこうなイケメンのようです。
 二人の手元には、それぞれ、スポーツドリンクのペットボトルがありました。

「恥ずかしくて、逃げてきたくせに」

「お姉ちゃんがいたから、何してるのかなぁっと思って来ただけ」

 なんか、やっぱり、救いの神じゃないわ、と私は思いました。

 でも、お姉ちゃんの隣に座っていた男の人には、丁寧に頭を下げました。
 あいさつは、大事ですからね。

「こんにちは。コウの妹のアユです」

 男の人は、白いポロシャツが筋肉で、はちきれそうでした。
 胸板は厚く、肩は盛りあがり、腕は丸太のよう。
 きっと、リクちゃんみたいに、鍛えるのが好き好き大好きなんでしょう。

 男の人は、サングラスを外し、白い歯を見せて、にっと笑ってきました。

 わーっ! 
 すごい歯の白さです。

 まるで白色の絵の具で何度も重ね塗りをしたみたい。

 で、やっぱり、イケメンでした! 
 ハリウッド映画にでてくるようなイケメン。

「こんちは」
 
 男の人は、私のほうに、手をだしてきました。

 わーっ! 
 大きな手! 

 駅前のスーパーの「年末お菓子の掴み取り」で、チョコも、キャンディーも、クッキーも、たくさん掴めそうです。

「アユ、握手よ」

 お姉ちゃんにあきれたように言われて、私は、ああ、そうなんだと、慌ててその大きな手をにぎりました。
 だって、初対面のあいさつで握手したことなんて、私、今までなかったんですもの。

「グリズ君よ。同じクラスなの」

 お姉ちゃんは、妙に気取った言い方をします。
 グリズさんがイケメンだからなのでしょう。
 家にいる時は、ギャーギャーうるさいくせに。

「フグ、俺にも見せてよ」
 グリズさんは、さわやかに言います。

 私は、くるりとまわって、お尻のフグを見せようとしたぎりぎりのところで、それをやめました。

 危なっ!
 さわやかなイケメンの笑顔に思考停止して、言われるがままに、お尻を向けてしまうところでした。

「それって、セクハラです」

 私は大人の魅力的な女の雰囲気で、きっぱりと言ってやりました。

 ひょっとして、イケメングリズさんは、そのさわやかな笑顔で、何人もの女性を思考停止にさせて、何人ものお尻を見てきたのでしょうか。
 
 きっと、何人目かで、セクハラ訴訟をおこされていますね。

 と、そこで、私は、今の今まで、川のほうにいる人たちに向かって、フグを大公開していたことに気づきました。
 後方の離れたところから、笑い声と一緒に「フグ」という声が聞こえてきます。

 ……。

 私は、大人の魅力的な女の雰囲気のまま、何食わぬ顔で、おでこの水中めがねを外し、キャップも脱ぐと、お姉ちゃんの隣に、さっとすばやく座りました。

「ねえ、アユ」
 
 お姉ちゃんは、私の額についた濡れた前髪を撫であげてくれました。
 
 こういうお姉ちゃんを私は好きです。
 スマホなんて、いじってないで、いつもこういうことをしてくれたらいいのに。

「なあに?」

 私は頭を動かさないようにして、返事をしました。
 お姉ちゃんが前髪や、ほつれ毛を撫であげてくれるのをじゃましたくなかったんです。

「ドン・ジョンソンってお店、知ってるでしょ?」

「知ってるよ」

 ドン・ジョンソンとは、カナダや北海道から直送された食材をメインに、料理をだしているおしゃれなレストランです。
 新鮮さがウリです。

 デートしたら、あそこで食事したい! 
 なぁんてことを私が秘かに考えているお店でもあります。

 ジョンソンさんが、オーナーシェフをやっています。
 私は、新聞の折り込みチラシをチェックしているので、あれこれと、よく知っているんです。

 ドン・ジョンソンのチラシは、サーモンのカルパッチョとか、ムニエルとか、おいしそうな料理のカラー写真のものが大概です。    
 先々週のは、厚い紙で、料理の写真もひときわ、きれいだったので、私は、それを切り抜き、自分の部屋の柱に、セロテープで貼っておきました。

 もちろん、私の家では、ドン・ジョンソンに食べにいったことなんてありません。
 外食なんて、まずしない家ですし、金のかかる女もいますから。

 でも、お母さんの料理はおいしいし、家で食べたほうがのんびりできるので、外食しないことに私は特に不満を抱いていません。

「ドン・ジョンソンで、スジコ丼をテイクアウトしてきてくれない?」

「ドン・ジョンソンに、スジコ丼なんて、あるの?」

 私はチラシで、スジコ丼なんて、見たことありません。
 お姉ちゃんだって、新聞は読んでも、折り込みチラシに目を通す人ではないので、きっと適当なこと、言っているんでしょう。

「あるわよ」

 お姉ちゃんは、私の髪の毛を撫であげるのをやめました。

「調べたから」

 スマホです! 

 お姉ちゃんは、手にしたスマホの画面を、私に見せてきました。

「わあ! きれい!」

 私は、思わず、声がでてしまいました。
 
 だって、スマホの画面には、どんぶりに入ったスジコが、まるでルビーのように輝いていたんですもの!

「きれいでしょう」
 
 お姉ちゃんは、得意げに、私の顔を覗きこんできます。

 お姉ちゃんがスジコを自慢しているのか、スマホを自慢しているのか、私にはよくわかりませんでしたが、確かに、スマホの中のスジコはきれいでした。

 でも、スジコをほめても、スマホをほめても、お姉ちゃんをいい気にさせて、生意気な女にしてしまいそうだったので、私は、ひと呼吸おいてから、すまして言いました。

「チラシには、スジコ丼、でてなかったよ」

「特別メニューだからよ」

 そうなんだ……。

 私は、チラシにも特別メニューを載せればいいのに、と思いました。