皮肉と、嘲笑。嫌味なことをペラペラ歌うように話し、部内の空気を凍らせた。それで、空気はずんと沈んでいくのがわかった。みんな、舌打ちしたいのをグッと堪えて、キーボードを睨む。この地獄みたいな空気を作り出すのは、彼だ。園井優雅。金髪の事業部長様。
私が、この会社、アマド出版社に就職したのは大学を卒業した、22歳の頃。初々しい気持ちで、入った出版社はあまりにも大変な社会で、私と一緒に入った子たちはどんどん辞めていった。なんとか食らいついて残ったのが負けず嫌いの私。そして、憧れのこの部、海外文学出版部に入ったのが、それから三年経った25歳の頃だ。憧れていた、海外文学出版部は、思っていたよりきらきらしてはいなかった。どちらかというと、カーストを表すような派手な女性軍団があり、厳しい上司がいてどろどろした薄暗いところだった。仕事内容は、外国語を使い、厳しい仕事ばかりで、正直入ってすぐの頃は泣いてばかりいた。
そして、なにより私がストレスなのが、彼の存在だ。
「まぁ、この程度だろうな」
ふんと愉快だと笑う彼。圧倒的な知性、整った顔立ち、轟くカリスマ性、そして、麗しの金髪。
私が愛した金髪を持つ彼、園井事業部長は皮肉屋で、私が大嫌いな人なのだ。
彼がいると、空気がぴりついた。いらいらする上司たち。泣き出しそうに顔を歪める女性社員。なんだこいつと顔を顰める新入社員。この部署の空気が凍るのは毎回、事業部長様が現れる時だ。もともと、あまりいい空気とは言えないこの部が、地獄の如く静まり返るので私は毎回ひぃひぃ言いながら過ごしていた。
麗しの金髪。かつて私の憧れたブロンド。彼は、ドイツと日本のハーフで、金髪だった。
私もかつて、学生時代は髪を金髪に染めて、髪の先端まで痛めていたものだ。しかし、私だとやはり外国人のように美しく染まりはしない。それに、毎回悩んで苦しんで、染めるのをやめた。
私の憧れはイギリスという国。エレガントで、クラシカルなどこか退廃的で先進的な雰囲気のあの国を私は幼い頃から愛し、憧れていた。
この部署に憧れていたのだって、イギリス文学が好きだからだ。
やっとの思いで憧れの部署に入ったら、事業部長が金髪だなんて、運命だとしか思えない。それなのに、それを裏切るように、奴は嫌味ばかり言う性格だった。冷徹とも違う。人を煽り、悪いところ、癖を炙り出すような捻くれた性格の持ち主なのだ。
園井事業部長はもう、用が済んだというのに、辺りを回り、みんなの仕事ぶりを見た。その目は獲物を探す猛禽類、あるいは猛獣の目だった。嫌味に細くなった目は、辺りを見つめてはくつくつ笑った。私は、自分のところに園井事業部長が来ないことだけを祈って、キーボードを叩いた。その音は虚しく響いていた。
若くして事業部長に登り詰めたらしい園井事業部長は、眉目秀麗、品行方正という優等生らしい。
でも、出来の悪い上司のパソコンを覗き込んでは、くつくつ笑い、悪魔みたいな顔をする彼は、眉目秀麗、品行方正というよりか、物語に出てくる詐欺師の狐のような悪い美しさを光らせていた。目を細めて、口角を上げて、卑しく、艶やかに笑う彼はやはり美しい。それが腹立たしい。
彼は、私のデスクにやってきて、コーヒーカップに指を沿わせた。滑らかに私の背後に回る、その気配に身震いしてしまいそうになるのをグッと堪える。園井事業部長は、後ろでくつくつ笑う。
それに、腹立たしいような、悔しいような気持ちになって、歯を噛み締めた。
彼がすっと息を飲む音を聞いて、私は僅かに顔を上げて彼の顔を見た。
園井事業部長の瞳は、深い群青で、深海のような美しさを含んでいた。それはゆらゆら揺れて私を飲み込んでいる。ふと、彼はそれを潰して、はにかんだ。
「君は抜け目ないな」
そう、囁くように言った。それに、私はぶわっと血を巡らせた。そして、彼をしっかり視界に入れると、彼は言うだけ言って別の人に意識を向けていた。
抜け目ない、なんて実際に言う場面は初めて見た。もっと、みんな気を利かせて、容量がいいとか、注意深いとか言ってくれる。でも、彼は抜け目ないという言葉を選んだ。その時、彼が皮肉を言ったのだと気がついて、歯が折れんばかりに噛み締めた。
悔しい。舐められてる。
確かに、事業部長様より自分は実力も才能もないけれど、こんな風に見るからに馬鹿にされてると、とてつもなく腹が立った。
私は苛立ちでタイピングするスピードが上がり、乱暴にタップした。
それに、微かに彼が笑う気配がして、小さく舌打ちをした。
ポストからチラシを取り出し、自室に急いだ。さっさと、お風呂に入りたいし、寝てしまいたかった。こんな、着飾られた顔を今すぐに落としてやりたいし、この思いっきり体をベッドに倒したい。
私は早歩きで階段を上り、部屋に急いだ。自分の部屋について、鍵を開けるとそこは真っ暗だった。いつも通りだ。灯りを消して出勤する。でも、何故か今日は酷く心が落ち込んでいて、電気をつけるという行為に泣きかけた。
それに、疲れてるんだと自覚して、早足でキッチンに向かい、赤ワインを持って自室に向かった。荷物を置いて、メイクをクレンジングシートで顔を拭い、ベッドに倒れた。
「はー」
風船の空気が抜けるみたいに、私は息を吐いてベッドに沈んだ。ベッドはどんどん私の重い体を飲み込んでいく。
ふと、視界の端にチラシが入った。捨ててしまおうと、チラシを掴んで引いた時、かさりと、なにかが落ちた。
それに、億劫ながら体を起こして拾い上げると、それは手紙だった。
なんだろう、これ。そう目を凝らすと、「仮面舞踏会」と書かれていて、私は体を完全に起こした。
そういえば、私、確かに仮面舞踏会への参加を申し込み、サイトで手続きを済ませていた。
私は急に浮ついたような明るい気持ちになって、スマホを操作した。
そうと決まれば、ドレスを買わなくちゃ。今回のテーマは、「夕焼け」で、カラーは赤、黄色、白、黒。だから、私はネットショッピングサイトの検索欄に、「赤 ドレス」と入力した。
こんなにも幸せで、満たされる気持ちになったのはいつぶりだろうか。ドレスを買うのも、仮面舞踏会に行くもの、私のロマン心をくすぐった。
私は昔から、こういうロマンチックなものが大好きだった。
憧れていた、仮面舞踏会。それを、とうとう私は参加する側になる。
まるで、ドラマ、映画の世界だわ。と私はわくわくした気持ちで、ドレスをスワイプした。
ふと、目に入った、美しい赤いドレス。それを開いたところで、意識は遠のいた。
幸せな心地。
嫌なことも、今なら忘れられる気がする。
