在りし日の、きみの残像。




 八時ちょうど、目覚まし時計のボタンを押し込み、騒いでいたベルが止まる。


 もう授業は始まっているのかな。久しく授業を受けていないから、分からない。

 ふうと息を吐いて、畳んだ布団にダイブする。


「あー、眠たーい……」

 みんなより長く眠っていたのに、贅沢かな。

 だけど、この独り言を聞く他の人間は、家に一人もいないから、気にしない。



―――おはようございます。


 それを最後に言ったのは、いつだったか。

 半年前、とかかもしれない。

 言う相手も、言うつもりもないから。


 それをみんな、冷めていると言う。私もそう思う。


 私が冷めてると言われる、根本的な原因はたった一つだけだ。
 


 ……太陽(たのしいこと)がないから。



 照らされなければ温まらない。

 だから仕方ないよね、これは。うん、私は悪くない。


 言い訳がましく頷きながら、トーストを口にくわえる。

 カバンを手にして、よっこらしょと立ち上がった。


「さあて……今日は、あの日だなあ……」


 家の扉を開けて、閉めて、鍵を掛ける。もちろん、いってきますは言わない。

 目的は、教室ではない。当然、校庭でも、音楽室でもない。


「ご無沙汰してまーす」

 戸を叩く。


 ここは学校の図書室だ。

 授業は受けないのにここには来るのかなんて、耳にタコができるほど聞いた。


 授業は面倒くさいし、無駄だし、行く理由がないから行かない。

 それと比べて、図書室は来たいから来る。それだけだ。


「はあい、秋奈(あきな)さんね?持ってきたわよ」

「ありがとうございます……!!」

 沖野(おきの)先生は、うちの学校に来てくれる司書。
 

 私は学校が嫌いだけど、先生が来る日には、 絶対に学校に来るんだ。

 それは、先生が、おすすめの本を貸してくれるから。

 そんな優しい沖野先生となら、話すのはいやじゃない。むしろ楽しい。


 先生に、どうして授業を受けない私と仲良くしてくれるのか聞いたことがある。


 曰く、楽しいからだそうだ。

 しかも、授業を受けないことに対しても、個人の自由だと放任している。

 こういう先生ばっかりなら、私も楽しく生活していたのかな……と思わず考える。


「先週借りてた本、持ってきました。面白かったです」

「あら、早いわね。どうだった?」

 先生の微笑みを見て、私も笑った。


「特に伏線が良かったです。百二十ページもかけて作ってあるなんて、思いませんでした」

「私も、あれには驚いたわ」

「それから、情景描写です。繊細な風景を、五感を駆使して描いてあります」

 私は、魅力を一つ一つ丁寧に紐解いていく。


「いい着眼点ね、私も考えていなかった」

「ありがとうございます……!!」

 先生は優しく褒めてくれるから、自信がつく。


「もうすぐ休憩時間ね……どうする?」

 沖野先生は、私が他の生徒に会う可能性を考えて、聞いてくれているんだ。

 まあ、確かにクラスメイトと会うのはいやだけど……。


「今日は、ここにいてもいいですか?気になる本があるんです」

 市の図書館は、昼間、学生を入れてくれないんだ。


「もちろんいいわ。どの本?でも、見つけて、借りて帰ればいいんじゃない?」

 先生に認めて貰えて、ほっとしつつ口を開く。

「貸出カードに不登校の人間の名前があると、やっぱりいやな人もいるかなって」

「別に気にしなくていいのに」

 先生は、目を細めながらそう言った。


「そういうわけにもいかなくて。だからって授業に行くのもいやで」

「授業を受けるかなんて、個人の自由よ。死にはしないんだし」

 安心感のある台詞。道徳的な是非は置いておいて、私はその言葉が嬉しかった。


「あ、そろそろ私、奥の席行きますね」

「了解」

 図書室には、たまに人は来るものの、奥まで行く人は殆どいない。

 埃っぽいし、扉から離れているから、帰りづらいっていうのもあると思う。


 一人で本を読む瞬間ほど、私にとって素敵なことはない。

 ずーっとこうして、静かにしていることが、できればいいのに……



「あのー……」



 突然、背後から声が聞こえ、肩を跳ねさせる。

「なに……っ?」

 振り向くと、困ったような顔の男子が。どこかで見たことがあるような……?


神田(かんだ)さんだよね?うちの……あ、一年二組の」

「そうだけど……」


 まずい、もしかしてクラスメイト?

 授業に出ないことを咎められるんだろうと、身構える。


「きみ、私に、なにか文句でもあるの?」

「文句があるなんて言った覚えはないんだけどな」

 さらりと避けられる。


「用件、早く言ってくれるかな?」

「急かさないでよ……はい、どーぞ」


「…………これ、手紙?何枚あるの?」

 手渡されたのは手紙の束。封筒を十数枚重ねて、輪ゴムで留めてある。


「十三枚くらいかな。僕の級友に頼まれてるんだ」


 なんでも、席替えで私と隣の席になっただけで、みんなから押し付けられたとか。

 私のせいでもあるわけだけど、クラスメイトは理不尽すぎないかと顔を顰める。


「神田さんを見かけたときに、さっさと渡しておきたくてね。持ってて良かったよ」


「とにかく可哀想だね、きみ」

「だろう?でもそれは神田さんのせいもあるんだけどな」

「知ってる。でも謝らないよ、反省してないし」

 いやな奴だな、私。でも本当のことを言って、なにが悪いだろうか。


「別にいいよ。というか、僕は謝ってほしくはない」

「どうして?」

「神田さんが謝っても、僕にメリットはないから。大体の人はそう考えてるでしょ?」

 ……そんな物差しで物事を測る人、私の周りにいただろうか。


「分からないけど……この手紙、どういう内容?」

「自分で読みなよ。これ、全部、神田さん宛ての手紙なんだし」

 面倒くさそうに言い返される。言われてみればそうだ。

 試しに、三封を束から抜き取って、ぺりぺりと封を剥がして中身を見る。


【―――のとき、僕は神田さんのことを好きになりました】
【よければ、お返事を戴きたいです】

【入学式で一目惚れしました】
【友達からでいいので、前向きに考えて欲しいです】

【顔が可愛いところが好きです】
【付き合ってください】


「これって、ラブレターってやつ?」

 にしても、こんなにたくさん……。


「そう。クラスの男子、大半は神田さんのこと好きみたいだし」

「へえ」

 それだけだと無機質すぎるかなと思い、つけ足そうとしたとき。



「でも、あいにく、僕は神田さんを好きじゃない」


 心の底から無関心さを感じる言葉。

 肩の力が抜け、気の置けない相手だと、直感的に感じた。


「ふふ、いいね、きみ。面白い」

 わざわざこんなこと言うあたり、いい性格の悪さしてるな、この人。

「あまり嬉しくない言葉だね、それ」


「まあいいじゃん。ねえきみ、名前は?」

「……木野(きの)

 苗字だけって、この人、完全に会話を拒絶してるじゃん。

 友達いなさそうだな……って、沖野先生以外と全然話さない私に言われたくないか。


「そうじゃなくて、名前を聞きたいの」

「……瑞希(みずき)、だけど。僕の名前なんて知って、何か意味を成すかな」

「私、瑞希くんって呼んでいいかな?」

「別にどっちでも……」

「やった。ありがとね、瑞希くん」

 流石に、教室に行く気にはなれないけど、人と仲良くするのは悪くないかも。



 なんだか、冷めていた心の中に、太陽が、現れたような気分だ。