家も仕事も失いましたが、一夜の恋で授かったお腹の子ごと若手社長に溺愛されています

 彼はいつも、ほんのり白檀の香りをまとっていた。

 もちろん人のまとう香りなんて、指摘するものではないから、当時の明莉も口に出さなかった。

 本人に対しても言ったことがない。

 そもそも他人が彼の香りに気付いていたかも定かではない。

 明莉が『嗅覚が鋭い』という個性を持っていたから、認識できたことかもしれないのだ。

 ただ、あの香りを落ち着くものだと感じていたのは、今も覚えている。

「ああ。白檀のお香をよく焚いている祖父の家に住んでいたから……」

 巳影も頷き、肯定した。

 事情に明莉は深く納得する。

「なるほど、それで現在はあの香りがしないんだね」

 今も同じ香りがしていれば、さすがに気付いただろう。

 香りが違うのは、住んでいる場所が違ったからだ。

「そうだろうな」

 巳影はこちらも肯定した。

「でも明莉は、バーで出会ったとき、ハンカチの香りに気付いてくれただろう? あれは祖父の家で眠っていたものなんだ。数日前に譲り受けたばかりだった」

 話は現在軸へ戻ってきた。

 バーでのことを持ち出されて明莉は気まずくなったが、確かにその通りだ。