家も仕事も失いましたが、一夜の恋で授かったお腹の子ごと若手社長に溺愛されています

 初めてあのバーで会ったときの記憶は、だいぶ酔っていたので曖昧な部分もある。

 だけどハンカチを借りたあのときのことは覚えていた。

 ふわっと鼻の奥を一瞬だけくすぐった、白檀の香り。

 なんとなく知っているような、懐かしい香りだった。

 それに帰る前、距離が近付いて感じられた、お日様のような匂いも同じだ。

 その両方が、明莉の気持ちを突き動かしたといえる。

 実際、自分は堅実なほうで、あのとき衝動的に巳影に夜をねだってしまったなんて、今でも信じられない。

 でも自分の本能からの感覚を考えると、なんとなく納得もできるのだった。

(巳影さんを、信用しても良い人だと感じられたんだろうな)

 思考はいつも最終的にはそこへ行きつく。

 だからこの生活もきっと、美花が先日言ってくれたように、喜ばしいものなのだろう。

 だけどあの夜のことを思い出したために、別のことが気にかかった。

 すなわち、同じ家に暮らしているにも関わらず、あの夜以来、巳影とそういうこと……関係を持つような行為……それは皆無であるという点だ。