朝、教室に入った瞬間、もう分かってしまう。
何かが、決定的に変わっている。
視線を向ける前から、空気が違う。居場所が、最初からないみたいに感じる。
それでも、探してしまう。
見つける。
並んでいる。自然に。昨日よりも、もっと近い。距離がない。間に何も入る余地がない。
笑っている。
それだけで、胸の奥が静かに削られる。
「おはよ」
声をかける。
ほんの少しの間があって、返ってくる。
「おはよ」
同じ言葉なのに、重さが違う。
席に座る。視界に入る位置は変わらないのに、距離だけが遠い。
授業が始まる。黒板の文字が流れていく。何も残らない。
ただひとつだけ、はっきりしている。
もう、“三人”じゃない。
それを認めたくないのに、何度も突きつけられる。
休み時間。誰かが話しかけてくる。でも返事をしているだけで、中身は何も入っていない。
視線は勝手にそっちへ行く。
笑っている。目を合わせて。距離を詰めて。
その全部が、自然すぎる。
――違う。
昨日まで、自分がいた場所。
それが、最初からなかったみたいに消えている。
昼休み。
一緒に食べる流れになる。
断れない。断ったら、本当に終わる気がするから。
でも、座った瞬間に分かる。
配置が、もう完全に固定されている。
隣と隣。
向かいに、自分。
それだけで、全部が決まる。
「これさ」
凛が言う。
「あー、それ好き」
笑いながら、自然に距離を詰める。
肩が触れる。
避けない。
そのまま、会話が続く。
それを真正面から見る。
逃げ場がない。
「七瀬もいる?」
遅れて、声が飛んでくる。
“ついで”みたいなタイミングで。
「……いらない」
すぐに答える。
間が空くのが怖くて、考える前に言う。
「そっか」
軽く流される。
それだけで、終わる。
その軽さが、刺さる。
必要じゃない。
代わりがきく。
そういう位置にいる。
それを、はっきり自覚する。
胸の奥が、ゆっくりと崩れていく。
放課後。
声をかけるタイミングが分からない。
でも、かけなければ完全に終わる。
「一緒に帰る?」
やっと言う。
ほんの一瞬、空気が止まる。
その“間”で、全部分かる。
「あ、ごめん」
先に返ってきたのは、あの人の声。
「今日、用事あって」
嘘だと分かる。
理由なんてどうでもいい。
その一言で十分だった。
「……そっか」
それしか言えない。
「また明日ね」
笑って言われる。
その笑顔が、遠い。
昨日までとは違う。
完全に、別の方向に向いている。
横を見る。
凛が、静かにこちらを見ている。
何も言わない。
でも、その目だけで分かる。
全部、分かっている。
「行こ」
そのまま、あの人の手を取る。
自然に。
当たり前みたいに。
その光景を、見てしまう。
止められない。
声も出ない。
ただ、見ているしかない。
そのまま、二人は歩き出す。
並んで。
触れたまま。
振り返らない。
本当に、終わった。
その瞬間、足が動かなくなる。
教室の中に、一人だけ残されたみたいに感じる。
音が消える。
息がうまくできない。
何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない。
――どうして。
分かっているはずなのに、理解が追いつかない。
自分で選んだ。
あの温度を。
あの距離を。
それなのに。
結果はこれ。
全部、失った。
「……っ」
喉が詰まる。
声にならない。
その場に立ったまま、何もできない。
しばらくして。
足音が、戻ってくる。
ゆっくり。
一定のリズムで。
顔を上げる。
凛が、一人で立っている。
さっきまでとは違う。
隣に、もう一人はいない。
「……なんで」
やっと声が出る。
「帰ったよ」
あっさり答える。
「用事あるんでしょ」
分かっているくせに、そう言う。
「……なんで戻ってきたの」
聞く。
分かりきっているのに。
「決まってるじゃん」
一歩、近づく。
距離が詰まる。
逃げられない。
「七瀬がいるから」
その一言で、呼吸が止まる。
優しい声。
でも、その奥にあるものが分かってしまう。
「一人にするわけないでしょ」
さらに近づく。
「そんな顔してるのに」
指先が、頬に触れる。
震えているのが分かる。
「ほら」
やさしく拭われる。
涙が、止まらない。
「ねえ」
低く、静かに。
「もう分かったでしょ」
何が、とは言わない。
でも、全部分かる。
三人じゃいられないこと。
どちらかを選ぶしかないこと。
そして。
もう、選ばれていること。
「……っ」
否定しようとして、声が出ない。
「いいよ」
すぐに言われる。
逃げ道を塞ぐみたいに。
「こっち来なよ」
手が差し出される。
昨日と同じ。
でも、意味はもっと重い。
これを取ったら、本当に終わる。
でも。
取らなかったら。
何も残らない。
震える手を、ゆっくり伸ばす。
触れる。
その瞬間、強く握られる。
逃げられないくらいに。
「ね」
少しだけ笑う。
「最初から、こうすればよかったのに」
その言葉で、全部が繋がる。
最初から。
ずっと。
仕組まれていたみたいに。
「大丈夫」
やさしく言う。
「もう、いなくならないから」
その言葉に、安心してしまう。
壊れているのに。
全部分かっているのに。
それでも。
この温度しか、残っていない。
「……うん」
頷く。
その瞬間、何かが完全に終わる。
三人の関係。
戻れる可能性。
全部。
代わりに残ったのは。
逃げられないぬくもりだけ。
それに縛られている自分。
もう、戻れない。
最初からなかったみたいに。
静かに。
確実に。
ふたりだけの形が、完成する。

