キスしない約束の恋

「はい、これ」

 美玲さんに手渡された服。

 シンプルなのに、どこか洗練されている。

「……無理です」

 反射的にそう言ってしまう。

「こんなの、似合わないです」

「着てから言いな」

「でも――」

「いいから」

 有無を言わせない声。

 逃げられない。

「試着室、あっち」

 

 促されるままに入る。

 カーテンを閉めて。

 ひとりになる。

 

 手の中の服を見つめる。

 

 ――こんなの、私じゃない。

 

 でも。

 

 さっき鏡で見た自分が、頭に残っている。

 

 少しだけ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 変わってもいいかもしれない、って。

 

「……」

 

 ゆっくり、制服を脱ぐ。

 

 代わりに、その服を着る。

 

 布の感触が違う。

 軽い。

 柔らかい。

 

 ――鏡を見る。

 

「……え」

 

 息が止まる。

 

 そこにいたのは。

 

 知らない女の子。

 

 でも。

 

 ちゃんと、私だった。

 

 顔も。

 髪も。

 全部、同じなのに。

 

 ――違う。

 

「シロ?」

 外から声がする。

「着れた?」

「……はい」

 震える声で答える。

「出てきて」

 

 カーテンを、開ける。

 

 外の空気が、流れ込む。

 

 視線が、一気に集まる。

 

「……は?」

 

 神崎くんの声。

 

 見上げると。

 少しだけ、固まっていた。

 

「……お前」

 

 その視線が。

 

 止まる。

 

 さっきよりも、長く。

 

 まっすぐに。

 

「……いいじゃん」

 

 ぽつりと、落ちる声。

 

「え……」

 

「めっちゃいい」

 

 昨日の軽い言い方じゃない。

 

 ちゃんと、見て。

 

 ちゃんと、言ってる。

 

「素材やばいな」

 

 その言葉に。

 

 胸が、ぎゅっとなる。

 

「ほらね」

 美玲さんが満足そうに笑う。

「言ったでしょ」

 

 くるっと私の周りを回って。

「完璧」

 

 鏡の前に立たされる。

 

 もう一度、自分を見る。

 

 ――やっぱり。

 

 知らない。

 

 でも。

 

「……」

 

 目を逸らせなかった。

 

 

 そのまま、店を出る。

 

 外の空気。

 人の視線。

 

 ――違う。

 

 昨日までと。

 

 明らかに、違う。

 

 すれ違う人が、こちらを見る。

 

 ちら、と。

 もう一度。

 

 そんな視線。

 

 今まで、感じたことがない。

 

「なあ」

 隣から声がする。

 

 びくっとする。

 

「そんなビビんなよ」

「……見られてるので」

「そりゃ見るだろ」

 

 当たり前みたいに言う。

 

「今のお前、目立つし」

 

「……嫌です」

 

 小さく言うと。

 

 少しだけ、間があって。

 

「じゃあ、隠すか?」

 

 そう言って。

 

 ふっと、手が伸びる。

 

 前髪に触れる。

 

 少しだけ、戻すように整える。

 

「……これでいい?」

 

 完全に隠すわけじゃない。

 

 でも。

 

 守るみたいに。

 

 包むみたいに。

 

 

「……はい」

 

 少しだけ、安心する。

 

 

「てかさ」

 歩きながら、神崎くんが言う。

 

「もう前みたいに戻んなよ」

 

「……え」

 

「もったいねぇから」

 

 さらっと言う。

 

 でも。

 

 その言葉は、重かった。

 

 

「……なんで」

 

 気づけば、聞いていた。

 

 

 神崎くんが、少しだけこちらを見る。

 

 

「俺が見つけたから」

 

「……っ」

 

「それ」

 

 軽く、でも確かに。

 

 指先が、私の髪に触れる。

 

 

「他のやつに隠すなよ」

 

 

 その言葉に。

 

 胸が、強く揺れた。

 

 

 ――世界が、変わった気がした。

 

 

 少しだけ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 前を向いて、歩ける気がした。