キスしない約束の恋

 ――関わらない。

 そう決めたのに。

 

 次の日。

「おはよ」

「……っ」

 教室に入った瞬間、聞きたくなかった声がした。

 反射的に足が止まる。

 視線を上げなくてもわかる。

 教室の後ろの方、窓際に寄りかかっているその人。

 昨日、私の顔を――見た人。

「……無視?」

 くすっと笑う声。

 やめてほしい。

 見られたくない。

 知られたくない。

 なのに。

「なあ、優等生」

 名前も呼ばれないまま、軽く手を振られる。

「今日、放課後空けとけ」

「……無理です」

 即答だった。

 関わりたくない。

 それ以上でもそれ以下でもない。

「なんで?」

「……用事があるので」

「へぇ」

 興味なさそうに相槌を打ちながら、彼はゆっくり近づいてくる。

 一歩。

 また一歩。

 逃げたいのに、体が固まる。

「じゃあそれ、キャンセルで」

「……っ」

「今日の用事は、俺な」

「意味がわかりません」

 震えそうになる声を抑えながら、そう返すと。

 彼は、少しだけ目を細めた。

「わかる必要ない」

 そのまま、耳元で。

「逃げても無駄だから」

 低く囁かれる。

 ぞく、と背中が震えた。

 

 ――最悪だ。

 

 その日一日、授業なんてほとんど頭に入らなかった。

 ずっと感じている視線。

 振り向かなくてもわかる。

 あの人が、見ている。

 面白がるみたいに。

 観察するみたいに。

 

 そして、放課後。

「帰るぞ」

 当たり前みたいに声をかけられる。

「……行きません」

「へぇ」

 でも、次の瞬間。

 手首を掴まれた。

「ちょっ――」

「行くって言ってんの」

 強引に引かれる。

 廊下を、校門を、そのまま外へ。

「やめてください……!」

 振りほどこうとしても、びくともしない。

「大丈夫だって」

「何がですか」

「人生変わるから」

「変えたくないです」

 思わず強く言うと。

 一瞬だけ、彼が足を止めた。

「……なんで?」

 初めて、少しだけ真面目な声だった。

「今のままでいいんです」

「嘘つけ」

 即答だった。

「……っ」

「そんな顔してるやつが?」

 ぐっと言葉に詰まる。

 何も言い返せない。

「まあいいや」

 また歩き出す。

「証明してやる」

「……何を」

「お前が変わりたいって思うってこと」

 

 連れてこられたのは、見たことのないおしゃれな店だった。

 ガラス張りの入り口。

 洗練された空間。

 明らかに、私が来る場所じゃない。

「ここ……」

「入るぞ」

「無理です」

「無理じゃない」

 そのまま中へ引き込まれる。

 空気が変わる。

 視線が集まる。

 居心地が悪い。

 逃げたい。

「ちょっと、あんた」

 奥から、女性の声がした。

「いきなり連れてくるってどういうこと?」

 振り向くと。

 綺麗な人が立っていた。

 大人の女性。

 雰囲気が全然違う。

「姉貴」

 彼が軽く手を上げる。

「この子」

 そう言って、私の肩を押した。

「昨日言ったやつ」

「……この子が?」

 じっと見られる。

 視線が刺さる。

 逃げたい。

「顔、見せて」

「……っ」

 無理。

 でも。

 顎に手をかけられて。

 ゆっくり、顔を上げられる。

 前髪が、揺れて。

 全部、見える。

 

 静寂。

 

 数秒の沈黙のあと。

「……は?」

 女性が、ぽつりと呟いた。

 それから。

「なにこれ」

 ぐっと顔を近づけてくる。

「隠してたの?これ」

「……すみません」

 反射的に謝る。

 すると。

「はぁ?」

 呆れたようにため息をつかれた。

「意味わかんない」

「え……」

「こんな原石、放置するとか」

 言ってる意味が、わからない。

「ねえあんた」

 真っ直ぐに見られる。

「人生損してるよ」

「……っ」

「変わる気、ある?」

「……ありません」

 すぐに答えた。

 でも。

 女性は、ふっと笑う。

「じゃあ、作らせる」

「……え?」

「拒否権なし」

 にっこり笑って。

「面白くなってきたじゃん」

 その横で。

 彼も、同じように笑っていた。

「だろ?」

 視線が、絡む。

 逃げ場がない。

「こいつ、絶対化ける」

 

 その言葉が。

 なぜか、少しだけ。

 胸に残った。