恋愛初心者①〜落とし物から始まる恋〜






「美味しい〜!」

 虫が入ってこないように蚊帳の張られたテラスで、わたしたちは夜ご飯を食べている。

 相変わらず秦くんはわたしから離れた席に座ってるけど、告白して振られるって決意してからはあまり気にならなくなった。あんなに不安になってたのがウソみたいだ。

 シャケのホイル焼きをゆっくり味わうだけの心のよゆうがある。


「あたしの大好きなメニューの一つなんだ」
「これは大好きになっちゃうよ。すっごく美味しいもん」
「えへへ、おそろいだね」

 か、かわいい……!


 こんなにかわいい阿部さんが走ったら時速五十キロなんて、想像できない……!

「今度実家のシェフに教えてもらおうかな。そしたらまた、空ちゃんと一緒に食べれるからね」
「じゃあ、わたしもお母さんに色々教わって、お料理できるようにするね」


 家事代行のサービスをしているお母さんは、家庭料理から高級レストランみたいなフルコースまで、色んな種類のレシピを持っている。

 フルコースは普段食べ慣れないから好きとは言えないけど、お母さんの料理はどれも美味しい。


「うん! お互いの大好きなご飯交換会しよ!」

 楽しみにしてくれている阿部さんのためにも、わたしの将来のためにも、休みの日はなるべくご飯作るようにしようかな。


 お兄ちゃんからの依頼は部活で、普段の練習とか安西師匠からの宿題とかは休みの日のお昼に。まずは夜ご飯から挑戦してみよう。

 デザートのフルーツゼリーと、焼きマシュマロも美味しかったなぁ……。


 気を抜くとだらしない顔になっちゃう。ほっぺたが落ちるくらい美味しいって、こういうことなのかな。

 マシュマロは見た目がカブトムシの幼虫みたいで食べるの抵抗あったんだけど、なんでこんな美味しいもの怖がってたのかわかんないくらい。
 でも、こういうのは特別な日に食べるから美味しいのかな。


 せっかくランニングとかで体型キープしてるんだし、普段は自制しよう。マシュマロの食べすぎで制服のスラックスが履けなくなったら恥ずかしいし。





 そしてわたしは気が変わらないうちに歯磨きをして、一人テラスに残っていた秦くんに声をかけた。

「秦くん。わたし、秦くんに言いたいことがあるの。今、いい?」




「…………ごめん……今は聞きたくないんだ」


 話したくない、じゃなくて、聞きたくない……?

 秦くんはわたしが告白するってどこかで知って、それを聞きたくないってことなのかな。


 少しシュンとしてしまったわたしは、秦くんの手元が視界に入った。手の間からは見覚えのある紐が出ている。

「それ、この間の……」
 わたしの視線に誘導されるように自分の手を見た秦くんは、きゅっと唇を引き結んでお守りを見えないところに隠した。



「空といると、苦しい……」

「……!」


 こちらを見ることもなく、掠れたような声で秦くんはそう言った。

 告白しようと固めた決意が、砂のようにサラサラと崩れていく。

 秦くんの手が濡れている。



 ああ……泣くほどイヤなんだ……。
 わたしが側にいようとするのが。

「ごめんね、秦くん……」

「……ぁ、そら……」


 ごめんなさい、見ず知らずのわたしにアドバイスをしてくれたお婆さん。

 やっぱり、わたしではダメみたいです。



 もっと、かわいくなる努力をすればよかった。

 誰かに頼らなくても自分で決断できる人間になればよかった。

 ううん。一人でいることをガマンしてでも、地元の中学に通っていればよかったんだ。そうすれば、初恋も失恋も知らなくて済んだのに。


 足がふらふらして、うまく歩けない。




 でも、本能のおかげで人気のない場所にはたどり着けた。

 阿部さんと相部屋だから、今戻ったらきっと心配させてしまう。


「うっ……うぇ……くっ……」

 嗚咽を噛み殺して、誰にも気づかれないように。
 そしたら明日にはきっと、今まで通りに振る舞えるから。


「牧野さん……」

 涙が枯れちゃうんじゃないかってくらい泣いたわたしの元に来たのは、神田くんだった。

「神田くん……?」


「……宗介のこと?」

「え……?」
 神田くんから秦くんのことを切り出されるとは思ってなかった。

 話したこともないし、阿部さんは話さないだろうから。



「宗介がさ、空に酷いこと言った。傷つけたって言ってたんだ。余裕があって、大人っぽいあの宗介がね。見たことないくらい、焦ってた」
「秦くんが……」

 わたしがいたのは別荘から徒歩数分の場所にある海岸。秦くんに頼まれてみんなでわたしを探していたらしい。

「ごめんね、迷惑ばっかりかけて」

 わたしがそう言うと、神田くんは自分のスマホで誰かにメッセージを送ったあと、電源を切った。

 そして、いつになく真剣な顔でわたしをまっすぐ見つめる。



「牧野さん。オレ、牧野さんが好きだ。友達としてじゃなくて、恋愛対象として見てる。オレに怒ってくれた日からずっと、牧野さんが好き」

「……!?」

 茎ではない。

 誰からも好かれる神田くんが、わたしを好きだと言ってくれている。



 でも――

「ごめんなさい。神田くんは、友達で……」

「うん、知ってた。玉砕カクゴで告白した。好きなんでしょ? 宗介のこと」

「え!? な、ななななんで知って!?」


 出かかっていた涙が一瞬で引っ込んだ。

「顔に出やすいよ、牧野さん。体育祭のあとくらいかな、オレが気づいたのは」
「わ、わたしが気づくよりも前に……」

 そしたら秦くんも、わたしの気持ちに気づいてるかもしれないな。

 きっとわたしは、入学したときから秦くんが好きだったから。


 落とし物を拾って届けただけの他人だったわたしに親切にしてくれた秦くんが。

「うん……。好きだよ、秦くんのことが。初恋なんだ。四六時中……ではないけど、色んなことを決めるとき、一番最初に思い浮かぶのは秦くん。挨拶するだけで嬉しくなるし、早く学校に行きたくもなる。秦くんのこと好きって自覚してから、目覚ましが一時間半早く鳴るようになったんだ……」

「それは……何時に起きてるの?」
「今は四時」

「恋の力って恐ろしい……」


 わたしも自分でビックリしたよ。無意識のうちにセットしてたみたいで、四時にアラームが鳴るんだもん。
 おかげで予習時間が増えたからいいんだけどね?


「あーあ、宗介が羨ましいよ。牧野さんに好きでいてもらえて。ねえ、オレにしない?」


「神田くんは魅力的な人だと思う……けど、わたしは多分、秦くん以外にはもう恋できないと思うから」


「……宗介、だってさ」

「……!? 神田くん!?」


「オレ、牧野さんのことも宗介のことも大切なんだ。ホンネ引き出すようなマネしてごめんね」

 合掌した神田くんはそう言って別荘の方に戻っていった。


 あとに残されたのは、恥ずかしいことが筒抜けになって砂浜を掘ってでも穴に入りたいわたしと、呆然と立ち尽くす秦くんだけ。



 へ、へるぷ!