【完結】【R15版】前世の恋人 ~正ヒロインに内緒でメインヒーローと~


 いつの間にか、眠っていたらしい。薄ら瞼を持ち上げる。怖い夢を見た気がする。でも、もう思い出せない。

 この体勢は、もしかして私……海里さんに寄り掛かって寝てた?

 ハッと気付いて慌てる。身を起こそうと思った。だけど。行動に移す前に声が聞こえて、動けない状況に陥る。向かい側の席に座っている、お兄ちゃんと柚佳さんが……込み入った話をしている。話し声は二人分で……それとは別に、私のすぐ近くからは一人分の……海里さんの寝息が聞こえる。

 柚佳さんと、お兄ちゃんが……こっちを見た。内心では動揺しながらも……薄目のままで、寝ているフリを続ける。柚佳さんがフフッと笑う。お兄ちゃんも私の方を見ながら、目を細めて口角を上げている。……バレてないよね?

「望み薄だよ」

 柚佳さんが、お兄ちゃんに耳打ちしている。潜めた小さな声だったけど、私にも十分に聞こえている。

「篤君、諦めついた?」

「……まだ」

「フフッ……私も」

 柚佳さんが幸せそうに微笑む。笑みを解いた彼女の相貌は、どこか悲しげにも見える。

「前世の記憶がなかったら、きっと……私たちは、違う運命を辿ったんだろうね?」

 再び笑顔を作って言及する彼女を見て思う。私が考えていた以上に……柚佳さんの心は、ボロボロだったのかもしれない。

「前の人生で、美緒の気持ちを踏みにじった。だから彼女が沼田君を選ぶのなら、仕方ないと思っていた。でも」

 兄が後悔を口にする如く紡ぐ。続く言葉を聞き取れなかった。私を見つめている。彼は微笑んでいるのに変だな。泣いているように見える。

 柚佳さんは静かに、お兄ちゃんを見守っていた。けれど……突如「妙案を思いついた!」とでも言いたげに、明るい表情で提案する。

「篤君。振られた者同士、仲良くしようよ。いつかの叶えられなかった夢を、叶えるの……手伝ってほしい。一緒に」

 楽しげに誘う彼女へ、兄は心配そうに目を細めている。

「もういいの?」

 兄の問いに。一言だけ返事がある。

「うん」

 柚佳さんは、声を殺して泣いていた。






 201号室の戸が開けられる。海里さんの親族の男性は、私たちを見るなり声を上げた。

「またかよ!」

 嫌そうな顔をしながらも、海里さんと私を部屋の中へ招いてくれる。……この前の事を怒っているんだよね?

「大丈夫です! 今日は、話をするだけですからっ!」

 男性の視線が、弁明する私から海里さんへと移動する。睨むような目付きで、ブツブツと呟かれた内容が聞こえる。

「そんな訳ねーだろ」


 海へ行った日から何日か経った。今日と明日は学校が休みなので、約束していた喫茶店とカラオケに行って来た。帰る途中、まだ話をしたいと言われて。私も一緒にいたかったので了承したら、ここに連れて来られた。

 この前の事もあるし、さすがに遠慮してアパートの前で拒んでいたけど。「あいつも喜ぶから」と説得されて、恐る恐る訪れたのだ。


 木目のテーブルの上に、紅茶を用意してくれた。

「ありがとうございますっ」

 男性にお礼を言う。彼は私を見て目を大きくしている。微笑まれる。何故か……ホッとする。

「あっ、私のお気に入りのマグカップ!」

 気付いて嬉しくなる。ニコニコと、くまさん柄のカップを見ていた。

 ……あれ? 変だな。何で……そんな事を思ったのだろう。

 眉を寄せて首を傾げていると、テーブルを挟んで向かいに座っている海里さんが笑った。私の左隣に座った男性は、左腕で頬杖をつき溜め息をついている。

「で? 二人は話をする為に、ここへ来たんだろ? どうぞ?」

 男性が投げ遣りな口調で促してくる。海里さんがニヤッとした顔で言う。

「子供は寝る時間だぞ」

「おまっ……! よく言えたなっ!」

 男性が目を剥いて反論している。海里さんは静かな声で返す。

「お前こそ、オレによく言えるな?」

「オレの方が年上だぞ? 家族の団欒より、イチャイチャを選ぶのかよ! まだ未成年の癖に!」

「ま、まあまあ……。二人とも落ち着いてください。家族の団欒を邪魔しちゃってるのは私です。やっぱり私、帰ります」

 ケンカの原因が私だと分かって、お暇しようとした。海里さんと男性が、勢いよく振り向いてくる。

『ダメだ!』

 見事に、二人の声が重なった。

「~~~っ、分かった。オレ、また友達んちに泊めてもらう」

 項垂れていた男性が言い出す。

「えっ? そんな。私、もう帰るので大丈夫です!」

 焦る。泊まるつもりじゃないのを強調したい。男性からの、ジトッとした視線を感じる。

「ここには、いつでも来ていいから。その代わり、一つだけ願い事を聞いてよ」

 瞬きを何度かして、見つめ返す。

「私にできる事なら」

 答えた直後に、内容を明かされる。

「頭、撫でてくれる?」

 要望に驚く。頭が痛いのかな?

 恐る恐る手を伸ばす。大人の人の頭を撫でるのって、ちょっと抵抗があるなぁ。
 撫でてみる。彼は気持ちよさそうに瞼を閉じている。髪質も、海里さんに似ている。

「普段、頑張ってるのに。褒めてくれる人がいなくてさ」

 理由を教えてくれた。少し俯いている彼は、しんみりした表情で目を開ける。

「……ありがとう」

「元気、出ました?」

 撫でるくらいじゃ全然、力になれていないと分かっているけど。心配で聞いてしまう。私が暗い顔をしていたからかもしれない。見開かれていた彼の目が細まる。

「十分だよ」

 溌剌と笑ってくれた。



 海里さんの親族の男性は、先程の言動通り出掛けた。

 玄関の戸口の前で見送った後……下ろした右手に何かが触れる。右隣を見る。海里さんと視線が合う。彼も私と同じく、見送りの為に玄関に立っていた。指を絡めてくる。

 真っ直ぐな瞳に怯む。逸らして俯いた。胸が、痛いくらいに鳴っている。
 柔らかい声に話し掛けられる。

「美緒。まだ何か、心配してる?」

 心音が跳ねる。左手で胸の中央を押さえ、彼へ視線を戻す。気付いてくれた事に苦しさが増す。

 聞いてもらえるチャンスは、もしかしたら……もうないかもしれない。わだかまりを抱えたままでは、だめだと……違う人生を歩んだ別の『私』たちが訴えているような、心の奥からのメッセージを感じる。

「海里さん。もし柚佳さんが海里さんの事を好きだったら……本当は最初から好きだったら……海里さんは、柚佳さんと付き合ってましたよね?」

「うーん。そうだな……。記憶がなかったから、そうかもしれない」

 今日、喫茶店からカラオケに向かう途中で……色々と聞いていた。海里さんが柚佳さんに、どこか距離を置かれていた事も。

 柚佳さんが本当の気持ちを打ち明けて、海里さんが受け入れてしまったら。どうしよう!

 夢に見てしまうくらい不安になる。「二人は両想いなのに、私のせいで遠慮してる!」などと、つい考えてしまう。モヤモヤしていた。確かめたかった。だけどできなかった。口にしたら海里さんは、柚佳さんの元へ去ってしまうんじゃないかって。

 狡くて卑怯でも。ずっと一緒にいたかった。

 重ねられた手を握り返す。下唇を噛んで、出そうな涙を堪える。

「記憶が甦ってから、それまであった違和感の正体が分かった。何で柚佳が好きだったのか。そりゃあ、好きだよなって思った」

 軽い口調で笑っている彼を見つめる。

「『オレ』はこれまでの人生の奴らと違う。変わってしまった。変えられてしまった」

 真剣な目で見つめられる。

「でも『オレ』は『オレ』の意思で選ぶ」

「~~っ。以前……迎えに来てくれた海辺で、お兄ちゃんに言われてましたよね? 私に話してないのかって。あれって記憶の事ですよね? あと、私たちの関係を秘密にするように言ってたのは? 柚佳さんや、お兄ちゃんは……私の前世も知ってたのに?」

 疑問だった事柄を続け様にぶつける。きょとんとしたような間の後、ニッと口角を上げてくる。

「ああ。美緒には記憶の事を話さず、様子を見ていた。本当に篤が好きなのか疑問を持っていたから。秘密にするよう言っていたのは……抜け駆けだよ。篤を出し抜きたかった。絶対に取られたくなかったんだ。違う人生のオレなんて気にしない。『オレ』は、美緒が好きだよ」

 優しい微笑みを向けられる。彼は、告げてくれたのに。私は、焦燥感に煽られて口走ってしまう。

「何でですかっ? 初めて喫茶店に行った日も……何で好きって言ったんですかっ?」

 言ったらダメだと分かっているのに。勢いよく言葉が迸る。

「何で惑わすんですか? もう、手放せなくなってしまったんです……。手放したら凄く惨めな気持ちが残ってしまうのに。私には……そうする事しかできないの……」

 両手で顔を覆い、俯く。

「助けてほしかった。ずっと。許してほしかった。手を伸ばして、未来を選び取りたかった。誰かの設定した正しさより、私の真実を守っていいよって。……でもね。肯定するのも、ダメだと止めるのも……結局は私だけができるの。私を誰よりも知っているのは、私だから。私を正しいと決めるのは、世界中で私だけだから。だから私だけは、ずっと忘れないでいようと」

 腕を引っ張られた。温かい。

「美緒」

 宥めようとしているような、落ち着いた声音が心地いい。抱きしめられた腕の中で、暫く目を閉じていた。

「海里さん。ごめんなさい。シャツが濡れちゃいます。もう大丈夫です」

 涙が止まらなかったせいで、彼の紺色のシャツに染みができている。

「いいよ」

 彼は許してくれたけど。放してはもらえなかった。

 何度も。思い出にしようとしていた。キスした事も。喫茶店に行った事も。雨に濡れた事も。でもそれじゃあ……今まで繰り返してきた多くの人生と変わらない。

 何度も何度も繰り返された物語は……本当は、たった一つだったのかもしれない。
 自分の思考が突飛で、小さく笑う。

「美緒は美緒だよ。過去や未来のオレなんて『オレ』の土台に過ぎない。ここに今いる『オレ』は、紛れもなく美緒が好きなんだ」

 海里さんの話を聞いていて、考えが行き着く。悩んで見失っていた答えを、見付けた気がする。

 前の私に意識が引っ張られていたけど、そっか……。この人生をどう進んで行くか決めるのは、今の私だ。私次第。私が……主人公なんだ。ハッピーエンドにしてあげたい。



「ねぇ。オレばっかり言わされたのに。美緒からは何もないの?」

 …………。

「オレに決めて」

「狡いですっ……! こんな時に、言わなくても!」

 意図せず、声に力が入ってしまう。頬に……彼の手が触れる。

「赤くなってる」

 告げられ、更に熱くなったと自覚する。満足そうな瞳で、ニヤリと見下ろされている。
 要求から察する。私とお兄ちゃんの仲を心配しているのか、確信がほしいようだった。

「私……ちゃんと好きだって言いましたよね?」

「足りない」

 口に咬みつかれた。甘く舌を嬲られた後に乞われる。

「受け入れてくれる?」

 さっきより熱が上がっている。頷いたら、もっと深く愛された。




 腕枕をしてもらい横になっている。少し眠たい。

「最初に二人で会った日に、オレが言った願い事……覚えてる?」

 心地いい海里さんの声が伝えようとしている内容が、凄く大事な件だと気付いて瞼を開く。相手と視線を合わせる。

「ずっと、傍にいて」

 以前と同じ言葉で、プロポーズされた。今度は、答えを出せる。

「はい」

 いつかの世界で手に入れたかったものを、ぎゅっと抱きしめた。