ショックだった。そんな。
彼は悪びれもせずに。にこやかにもう一撃、浴びせてくる。
「バレたのが篤じゃないから、別にいいよな?」
耳を疑う。一瞬、我を忘れたかもしれない。
「そんな問題じゃ……」
「篤には、特に秘密なんだよな?」
私の言葉を遮って、沼田さんが喋り出す。柚佳さんへと耳打ちされた内容が、私にも聞こえる。
「こっそり練習して、篤をぎゃふんと言わせる作戦なんだ」
暴露された。怒りを通り越して……震えがくる。そこまで言わなくても。俯いて歯を食いしばる。
「沼田さん酷いです!」
そう叫んだ時、柚佳さんも何か言い放ったのを聞いた。私の声の方が大きくて。彼女の声を、よく聞き取れなかった。聞き間違いじゃなかったら「頑張って!」と、応援されたような気がしたけど……絶対に聞き間違いだと思う。
「すみません、叫んじゃって。柚佳さん今……何て言いました?」
恐る恐る尋ねる。彼女は、きょとんとした顔で答える。
「頑張ってって言ったよ」
「何で?」
間髪入れずに、彼女を問い詰めていた。口調がきつくなったけど、気にする余裕もない。柚佳さんは沼田さんから、私たちの秘密を聞いているんだと予想していた。それなのに。怒ってないの……?
「ふくく……」
柚佳さんの右隣に視線を移動させる。沼田さんが腕で顔を隠しながら笑いを堪えている。
「笑ってごめん。美緒は上手くなりたいんだよな。だから今日、カラオケで練習するんだよな。歌を」
あんぐりと開けてしまった口を閉じるまでに、時間が掛かった。……歌?
「ごめんね美緒ちゃん。今日の海里、様子が変だったから心配で。隠そうとしてるのが凄く怪しく思えて。どこに行くのか無理やり聞き出したの」
「そ、そうなんですね」
柚佳さんの説明に納得する。沼田さん、秘密は守ってくれたんだ。一先ず、ほっとする。
それにしても。彼は、わざと紛らわしい言い方をしていたのでは? 焦っている私を見て笑ってるんだよね、あれは。
まだ少し笑っている沼田さんを睨む。
今日のカラオケでの「練習」は、本当に「歌」になりそう。柚佳さんに「私も一緒に行っていいかな?」と言われ、「もちろんです!」と快諾してしまった。
本当は沼田さんと二人きりがよかったなんて考える私は、物凄く悪い奴なのかもしれない。
コンビニを出る。カラオケ店へ向かって、細い道路を歩いている。
前を行く沼田さんと柚佳さんが楽しそうに会話していて、お似合いな後ろ姿を羨ましいと感じる。彼らは幼馴染で、長い年月を…………私の知らない思い出を共有している。
仲睦まじい雰囲気の二人から目を逸らす。下を向いて奥歯を噛む。「私の心は、もしかすると酷く歪んでいるんじゃないかな?」という疑問が、脳裏を過る。
薄ら自嘲を浮かべていた。
「美緒ちゃん」
声を掛けられて……重苦しい心情を抱えたまま、顔を上げる。柚佳さんが振り向いて、こちらを見ている。
「私も仲間に入れてくれてありがとう。美緒ちゃんとカラオケに来れて嬉しい。もしよかったら『小さな花』を、聴かせてほしいな」
彼女の悪気のない、むしろ気遣いに溢れる言動が。鋭く胸に突き刺さる。
リクエストされたのは、私がよく歌う曲。カラオケでの「二度目の練習」を約束した際……沼田さんに、その曲の話をした。そっか。
「仲良しですね」
つい、皮肉っぽい事を口にしてしまう。
彼女は私の内心を知ってか知らずか、はたまた何か思惑があるのか。それとも、変に勘違いしているだけなのか。疑いたくなる程に、意味深な間を取った後……「だね」と笑んだ。
受付も済み、指定された部屋に入る。暫く、順番に交代しながら歌っていた。
『小さな花』も歌った。私には音痴だという自覚がある。音程も外しまくっている。それなのに。柚佳さんは嬉しそうに「よかったよ」と笑顔だった。ちょっと納得できない。本心で、そう思っているのかなと……荒んだ胸中で独り言ちる。
柚佳さんが席を外した。部屋に私と沼田さんが残される。それまで歌っていた沼田さんが、テーブルにマイクを置いている。
「美緒。マジでごめん!」
私に向かって、神頼みするように手を合わせてくる彼の姿を。冷たい目付きで眺めていた。
「怒ってる……よな?」
「さっきは、よくも笑ってくれましたよね。だけど、本当に怒っていいのは……柚佳さんです」
複雑な気持ちがあって苦笑する。
「それより。続きを歌って下さい」
「え? あ、ああ」
沼田さんが再びマイクを手に取る。それから少しして、柚佳さんも部屋に戻って来た。沼田さんの歌が終わったタイミングで切り出される。
「ごめんね。せっかく仲間に入れてもらったけど、今日は用事があるんだった。先に帰るね」
彼女は言い置いて手早く帰り支度をすると……私と沼田さんを残し、足早に部屋を出て行った。
何かがおかしい。異変のようなものを感じた気がする。
この人生の雰囲気は……。
今まで体験してきただろう人生に多く見られた流れの傾向と、明らかに違う。どちらかと言えば、一つ前の人生に似ているような?
不安になり沼田さんに尋ねる。
「柚佳さんは……もしかして。私たちの関係に気付いたんじゃ……」
私の危惧を、沼田さんは笑って否定する。
「大丈夫だよ。美緒は心配しなくても」
「どういう意味ですか?」
沼田さんと柚佳さん。二人の様子が特におかしいのだと、この時ようやく思い至る。
「それより。二人きりになったな」
彼は猫背に座った姿勢で、テーブルに頬杖をついている。含みのある視線を送ってくる。
「それより?」
相手の発言を、口の中で繰り返す。沼田さんは一体どうしたのだろう。彼女より私との「練習」が優先だとでも言いたげに、話題を逸らされた感じがする。
私の知らない内に、二人の間に何かあった?
「今週末に海沿いの公園であるイベント。花火が上がるらしい」
俯いて考えを巡らせていたところに伝えられる。息を呑んで相手を見る。距離が近付いて、少し怖くなる。
「沼田さん、変な物でも食べました? 本当は柚佳さんの事が、一番大好きな癖に」
僅かに笑みを浮かべた様相で、軽い話題を装う。核心を探ろうと試みる。だけど。
「本当に、そう思ってる?」
逆に問い掛けられてしまい、怯む。沼田さんはハッキリ教えてくれなかった。しかし見透かす如く示唆してくる。
思考の海に漂う可能性の一つが、確信に変わろうとしている予感を。
長年の夢が、あっさり叶ってしまいそう。そんな都合のいい事って起こる? 可笑しくなる。息を少し吐いた後、ハッキリと聞く。
「まさか私の事、本気なんですか?」
あなたにとって柚佳さんは、何ものにも代えがたい一番特別な人なんだって……分かってる。やっと両想いになれたと感じた、一つ前の人生でだって。あなたは私を愛してくれたけど。同じくらいに柚佳さんも……愛していたでしょう?
だから本当は思ってたよ。私は彼女に敵わないんだって。沼田さんにとって私は、ただの遊び相手なだけかもしれないって。
そう思っていたのに。
本当は期待していた。今度こそ……特別になりたいって。
左頬を撫でられている。
「柔らかっ!」
感想を言われた。右頬も一緒に掌でムニムニと擦られ始めた現状に不満を表明したくて、険しい視線を送り続けているんだけど。
二人だけの室内。ソファーに並んで座り、歌うのを後回しにして……ひたすらイチャイチャしている。
私のほっぺたを、おもちゃにする彼を睨んでいる。なのに、ますます幸せそうに笑っているから憎らしい。
「まだですか」
痺れを切らして催促する。さっきから、ほっぺたばっかり。カラオケの利用時間は有限なのに。
指の先で下唇を突っつかれた。愚痴めいた口調で訴えてくる。
「オレの方が、もっと焦らされてるの……分かってる?」
それまで穏やかだった沼田さんの表情が、不穏な気配を宿したように見える。何か……意地悪を思い付いた時の目をしている!
「どうぞ?」
細めた目付きで挑発してくる。
「美緒のしたいようにさせてやる。但し。今だけな」
「えっ?」
「そうだな……五分間な」
「ええっ?」
「私からするの?」と、内心とても戸惑っている。でもそうか。一応「練習」な訳だし、当初の目的は「兄に不意打ちのキスを仕掛ける為」だった。
私が焦っている間、沼田さんは左の袖を少しまくり腕時計を確認していた。
「今は四十分だから四十五分までな」
告げられて、思わず壁に掛けてある時計を見る。カラオケの利用時間もあと二十分くらいだし。今日は、この「練習」で終わりだろうと踏む。
覚悟を決めて沼田さんに手を伸ばそうとした。でも……。
は、恥ずかしい!
すぐ隣に沼田さんがいて、私を見ていると意識するだけで。十分、ドキドキしているのに。
前回の練習で私は、ほぼ受け身だった。もし、私のするキスが何か間違っていたら……?
不安や焦燥を孕んだ思考が、ぐるぐると頭を巡っている。
「まだ?」
先程の私よろしく、沼田さんも急かしてくる。意地悪に微笑む彼に、悔しく思う。
……これが経験の差なの? どうせ柚佳さんとも、こういうエピソードがあるんでしょう? この男は!
怒りが湧く。立ち上がった。
「美緒?」
目を大きくしている沼田さんの正面に移動し、向き合う。靴を脱ぎ、ソファーに膝を置く。
「美緒っ? えっ? ちょっ……」
いよいよ彼も慌て出したようだけど、やめてあげないから。太股の辺りに跨るように座ってぎゅっと抱きしめる。我ながら何てはしたない格好をしているんだろうと思うけど、沼田さんがいけないんだからね。ピッタリと体を密着させながらお願いする。
「沼田さん、じっとしてて下さい。私に、させてくれるんですよね?」
言葉に詰まった様子で見つめてくる。彼の両頬を掌で捕まえて、唇を重ねてみる。
これでいいのかな? ……分からない。
何か問いたそうな雰囲気で、凝視されている。
やっぱり変だったのかな、私のキス。不安になる。
でも。途中でやめたら、せっかくの五分間がもったいないし。「予想通りポンコツだな」と、言われるのも癪だし。
「目、閉じて下さい」
ずっと見られているのは恥ずかし過ぎるので要望する。素直に従ってくれたので、再び顔を近付ける。前回の練習で彼がしてきたキスをお手本にしようと思い浮かべていたけど……だめ。私には、まだ……ハードルが高いよ。それでも、できる精一杯のキスをする。
口同士が触れ、チュッチュッと音を立てる。腰に腕を回された感触がある。
いつ終わりが来てもおかしくない不埒な関係。彼への想いを込めて求める。
好き。好きです……海里さん。
心の中で名前を呼ぶ。抱き締めてくる腕の力が、強まったように感じた。


