家に帰ると、リビングの電気がついていた。
お母さんが、台所に立っていた。
わたしを見ても、驚かなかった。
ただ「おかえり」と言った。
声に、責める色はなかった。
「……ただいま」
わたしはそれだけ言って、自分の部屋へ向かった。
布団に潜り込んでも、眠れなかった。
天井を見つめながら、お母さんのことを考えた。
わたしが夜中に出歩いていることを、知っていたんだ……。
でも何も言わなかった。言わないでいてくれた。
それが、ありがたいような、申し訳ないような、複雑な気持ちだった。
押し入れの奥に眠っているスケッチブックのことも、考えた。
あの日から、触れていない。
触れる気にもならなかった。
でも今夜初めて、あそこにある、ということを思い出した。
それだけで、何かが少しだけ、動いた気がした。
わたしはそのままベッドの中で朝を迎えた。
カーテンの向こうが白んでいった。
夜明けの色が、窓の縁に滲んでいた。
それからも、眠れない夜が続いた。
天井を見ているうちに夜中になって、気づいたら上着を羽織ってドアを開けていた。
足はまっすぐ、国道沿いのバスターミナルへ向かっていた。
学校に行けない昼間は長くて、夜になると少し楽になった。
自分がどうして毎晩ここへ来るのか、うまく説明できなかった。
帰り道があるから、ここへ来ても帰れる。
帰れるとわかっているから、来られる。
それだけの理由だったかもしれない。
家の中にいると、息が詰まった。天井が近くなる気がした。
壁が迫ってくる気がした。
外に出ると、少しだけ楽になった。
それに、夜は昼より優しかった。
昼間は、学校に行けていない自分がいる。
制服を着て玄関まで行って、でも足が出ない自分がいる。
ご飯を食べるふりをして、何も食べられない自分がいる。
そういう自分が、昼間はどこにでもいた。
でも夜は、ただ暗くて静かだった。
自分が何者かを、誰も知らない時間だった。
バスターミナルは、そういう場所だった。
自動販売機の白い光。発車の予定もないバスが一台。コンクリートのにおい。誰のものでもない空気。
ここでは、わたしは桐島結羽でも、不登校の中学二年生でもなかった。
ただ、夜中にここにいる誰かだった。
いつもの七番ベンチに、今日は誰かがいた。
黒いベンチコートを着た、わたしと同じ年くらいの男の子が座ったまま空を見上げている。
膝の上にスケッチブックを置いて、細い鉛筆で何かを描いていた。
声はかけなかった。
仕方なく、隣の六番ベンチに座って、同じように空を見た。
男の子はこちらを見なかったし、わたしも、男の子を見なかった。
ただ、同じ夜の中にいた。
彼もわたしと同じような境遇の人間なのかなと、心のどこかで思っていた。
しばらくして、男の子は立ち上がって帰っていった。
わたしに一度も目を向けなかった。
でもそれが、なぜか心地よかった。
家に帰って布団に入ると、少しだけ眠れた。
お母さんが、台所に立っていた。
わたしを見ても、驚かなかった。
ただ「おかえり」と言った。
声に、責める色はなかった。
「……ただいま」
わたしはそれだけ言って、自分の部屋へ向かった。
布団に潜り込んでも、眠れなかった。
天井を見つめながら、お母さんのことを考えた。
わたしが夜中に出歩いていることを、知っていたんだ……。
でも何も言わなかった。言わないでいてくれた。
それが、ありがたいような、申し訳ないような、複雑な気持ちだった。
押し入れの奥に眠っているスケッチブックのことも、考えた。
あの日から、触れていない。
触れる気にもならなかった。
でも今夜初めて、あそこにある、ということを思い出した。
それだけで、何かが少しだけ、動いた気がした。
わたしはそのままベッドの中で朝を迎えた。
カーテンの向こうが白んでいった。
夜明けの色が、窓の縁に滲んでいた。
それからも、眠れない夜が続いた。
天井を見ているうちに夜中になって、気づいたら上着を羽織ってドアを開けていた。
足はまっすぐ、国道沿いのバスターミナルへ向かっていた。
学校に行けない昼間は長くて、夜になると少し楽になった。
自分がどうして毎晩ここへ来るのか、うまく説明できなかった。
帰り道があるから、ここへ来ても帰れる。
帰れるとわかっているから、来られる。
それだけの理由だったかもしれない。
家の中にいると、息が詰まった。天井が近くなる気がした。
壁が迫ってくる気がした。
外に出ると、少しだけ楽になった。
それに、夜は昼より優しかった。
昼間は、学校に行けていない自分がいる。
制服を着て玄関まで行って、でも足が出ない自分がいる。
ご飯を食べるふりをして、何も食べられない自分がいる。
そういう自分が、昼間はどこにでもいた。
でも夜は、ただ暗くて静かだった。
自分が何者かを、誰も知らない時間だった。
バスターミナルは、そういう場所だった。
自動販売機の白い光。発車の予定もないバスが一台。コンクリートのにおい。誰のものでもない空気。
ここでは、わたしは桐島結羽でも、不登校の中学二年生でもなかった。
ただ、夜中にここにいる誰かだった。
いつもの七番ベンチに、今日は誰かがいた。
黒いベンチコートを着た、わたしと同じ年くらいの男の子が座ったまま空を見上げている。
膝の上にスケッチブックを置いて、細い鉛筆で何かを描いていた。
声はかけなかった。
仕方なく、隣の六番ベンチに座って、同じように空を見た。
男の子はこちらを見なかったし、わたしも、男の子を見なかった。
ただ、同じ夜の中にいた。
彼もわたしと同じような境遇の人間なのかなと、心のどこかで思っていた。
しばらくして、男の子は立ち上がって帰っていった。
わたしに一度も目を向けなかった。
でもそれが、なぜか心地よかった。
家に帰って布団に入ると、少しだけ眠れた。


