そろそろ学校が冬休みに入ろうかという頃に差し掛かった、ある日の事だった。
突然、担任の先生が家に来たのだ。
インターフォンが鳴ったとき、わたしは部屋にいた。
お母さんが応対する声が聞こえて、
「結羽。先生が来てくださったよ」
と呼ばれた。
わたしはしばらく動けなかったけれど、行かないわけにもいかず、渋々下りていった。
先生はリビングのソファに座っていた。
三十代くらいの女の先生で、いつもやわらかい口調で話す人だった。
「桐島さん、久しぶり。元気にしてた?」
元気、という言葉の意味がよくわからなかったけれど、その問いかけに黙ったままうなずいた。
「みんな、桐島さんのこと心配してるよ。早く戻っておいでって言ってた」
先生は笑顔でそう言った。
悪意はなかったと思う。
でも真意は全くわからない。
仕事上、そう言っているのか、本当にそう思っているのか。
でも、わたしの胸の奥で、何かが静かに冷えていった。
……みんな、心配してる。
『みんな』って誰?
あのとき、わたしの絵を盗んだあの子?
相談したとき、「部活中に描いたものならまだしも、あなたは美術の授業で描いたものなんでしょう?」とめんどくさそうに冷たく言い放った、美術部の顧問の先生?
学校を休んでも誰ひとりとして、どうしたのかと連絡をくれない友達?
今の今まで、訪問どころか連絡もくれなかった、目の前にいる担任?
その『みんな』が、今は心配してる。
何も変わっていない。
何も解決していない。
ただわたしが長い期間、学校に来なくなったから、心配している。
ううん……心配しているというより、ただの好奇心。
そしてそれは今、無関心に変わっていっていると思う。
何かに期待をしていたわけではなく、希望を持っていたわけではなかったけれど、何かが重くのしかかった。
わたしはうつむいたまま、反応もせずただそこにいた。
そんな事もお構いなしに、先生はしばらく話していった。
冬休み明けから少しずつ来てみたらどうか。
保健室でもいいから。
『みんな』に会ってほしい。
わたしはずっとうつむいたまま何も答えなかった。
何も聞こえていなかった。
先生が帰ってから、部屋に戻ってドアを閉めた。
ベッドに座って、膝を抱えた。
泣きたいのか怒りたいのかわからなかった。
ただ、胸の奥がぎゅっと締め付けられていた。
みんなが心配してる……その言葉が、頭の中でぐるぐると回った。
微塵も感じていない事を、言葉にしないで欲しい。
それを聞いて誰もが喜ぶわけではないし、逆についた傷がさらにえぐられる事だってあるのだから。
なんで今更……なんで今になって、言うの?
あのとき信じてくれていたら、わたしは不登校にならなかったし、絵もやめなかった。
何もかも、あのときが間違いだったのに。
誰も責任を取らないまま、ただ「心配してる」と、無責任に言いに来る。
怒り、だと思った。
この感覚は怒りだと。
でも泣けなかったし、怒れなかった。
ただ、どこか遠いところから、自分を眺めているような感覚だった。
夜になって、空を見たら、星が出ていた。
わたしはコートを着て、家を出た。
バスターミナルへ着いたとき、蒼生はいつもの七番ベンチにいた。
星が見えていた。
冬の大三角が、はっきりと輝いていた。
蒼生はスケッチブックを膝に置いて、鉛筆を動かしていた。
わたしが来ると、顔を上げて「来たね」と言った。
その一言で、昼間のことが少し遠くなった。
わたしは返事をしないで、隣に座る。
いつもより近く、間隔を空けないで。
蒼生は何も言わなかった。
しばらく、黙って星を見ていた蒼生はまた鉛筆を動かし始めた。
わたしもスケッチブックを開いた。
描こうとしたけれど、手が止まった。
昼間の感情が、まだ胸の奥に残っていた。
先生の顔……そして、「みんな心配してる」という無責任な言葉。
それを聞いたときの、あの冷たさ。
怒りとも悲しみとも言えない、あの感覚……。
今夜は、描けそうになかった。
開きかけたスケッチブックを閉じて、ただぼんやりと、空を見ていた。
「何かあった?」
珍しく蒼生が聞いてきた。
いつもは聞かないのに。
突然、担任の先生が家に来たのだ。
インターフォンが鳴ったとき、わたしは部屋にいた。
お母さんが応対する声が聞こえて、
「結羽。先生が来てくださったよ」
と呼ばれた。
わたしはしばらく動けなかったけれど、行かないわけにもいかず、渋々下りていった。
先生はリビングのソファに座っていた。
三十代くらいの女の先生で、いつもやわらかい口調で話す人だった。
「桐島さん、久しぶり。元気にしてた?」
元気、という言葉の意味がよくわからなかったけれど、その問いかけに黙ったままうなずいた。
「みんな、桐島さんのこと心配してるよ。早く戻っておいでって言ってた」
先生は笑顔でそう言った。
悪意はなかったと思う。
でも真意は全くわからない。
仕事上、そう言っているのか、本当にそう思っているのか。
でも、わたしの胸の奥で、何かが静かに冷えていった。
……みんな、心配してる。
『みんな』って誰?
あのとき、わたしの絵を盗んだあの子?
相談したとき、「部活中に描いたものならまだしも、あなたは美術の授業で描いたものなんでしょう?」とめんどくさそうに冷たく言い放った、美術部の顧問の先生?
学校を休んでも誰ひとりとして、どうしたのかと連絡をくれない友達?
今の今まで、訪問どころか連絡もくれなかった、目の前にいる担任?
その『みんな』が、今は心配してる。
何も変わっていない。
何も解決していない。
ただわたしが長い期間、学校に来なくなったから、心配している。
ううん……心配しているというより、ただの好奇心。
そしてそれは今、無関心に変わっていっていると思う。
何かに期待をしていたわけではなく、希望を持っていたわけではなかったけれど、何かが重くのしかかった。
わたしはうつむいたまま、反応もせずただそこにいた。
そんな事もお構いなしに、先生はしばらく話していった。
冬休み明けから少しずつ来てみたらどうか。
保健室でもいいから。
『みんな』に会ってほしい。
わたしはずっとうつむいたまま何も答えなかった。
何も聞こえていなかった。
先生が帰ってから、部屋に戻ってドアを閉めた。
ベッドに座って、膝を抱えた。
泣きたいのか怒りたいのかわからなかった。
ただ、胸の奥がぎゅっと締め付けられていた。
みんなが心配してる……その言葉が、頭の中でぐるぐると回った。
微塵も感じていない事を、言葉にしないで欲しい。
それを聞いて誰もが喜ぶわけではないし、逆についた傷がさらにえぐられる事だってあるのだから。
なんで今更……なんで今になって、言うの?
あのとき信じてくれていたら、わたしは不登校にならなかったし、絵もやめなかった。
何もかも、あのときが間違いだったのに。
誰も責任を取らないまま、ただ「心配してる」と、無責任に言いに来る。
怒り、だと思った。
この感覚は怒りだと。
でも泣けなかったし、怒れなかった。
ただ、どこか遠いところから、自分を眺めているような感覚だった。
夜になって、空を見たら、星が出ていた。
わたしはコートを着て、家を出た。
バスターミナルへ着いたとき、蒼生はいつもの七番ベンチにいた。
星が見えていた。
冬の大三角が、はっきりと輝いていた。
蒼生はスケッチブックを膝に置いて、鉛筆を動かしていた。
わたしが来ると、顔を上げて「来たね」と言った。
その一言で、昼間のことが少し遠くなった。
わたしは返事をしないで、隣に座る。
いつもより近く、間隔を空けないで。
蒼生は何も言わなかった。
しばらく、黙って星を見ていた蒼生はまた鉛筆を動かし始めた。
わたしもスケッチブックを開いた。
描こうとしたけれど、手が止まった。
昼間の感情が、まだ胸の奥に残っていた。
先生の顔……そして、「みんな心配してる」という無責任な言葉。
それを聞いたときの、あの冷たさ。
怒りとも悲しみとも言えない、あの感覚……。
今夜は、描けそうになかった。
開きかけたスケッチブックを閉じて、ただぼんやりと、空を見ていた。
「何かあった?」
珍しく蒼生が聞いてきた。
いつもは聞かないのに。


