わたしはしばらく黙っていて、それからまた鉛筆を持った。
返事のかわりに、もう一枚、地上を描き始めた。
今度は、道路の先まで描こうと思った。
光の軌跡が、どこまで続いているか、描いてみたかった。
蒼生はわたしを見て、また自分のスケッチブックを開く。
二枚目の夜空を描き始めたらしい。
何も言わなかった。
でも、続きを描こうということが、二人の間でわかった。
鉛筆の音が、また夜の中に溶けていった。
その夜、二人で何枚描いたか、数えていなかった。
気づいたら、バスターミナルの時計が二時を回っていた。
蒼生が「そろそろ」と言って、スケッチブックを閉じる。
わたしも閉じた。
帰り際に、今夜描いた絵を並べてみた。蒼生の夜空が三枚。わたしの地上が三枚。合わせると、三つの世界になった。
「全部つながってる」
蒼生の言葉にわたしはうなずいた。
全部つながっていた。
蒼生の夜空と、わたしの地上が。
それぞれの軌跡が……。
「また描こう」
蒼生が言った。
命令でも提案でもなく、ただそう言った。
「うん」
わたしも、ただそう言った。
また描こう……その言葉が、今夜一番温かかった。
家に帰って、布団に入っても、わたしは眠れなかった。
今日は眠れない理由が、前とは違った。
苦しいわけではなかった。
むしろ胸の奥が温かくて、その温かさが目を覚まさせていた。
胸の奥がうずいていた。
痛くはなかった。
でも確かに、何かが動いていた。
あの日から蓋をしていた場所が、少しずつ開いていくような感覚。
今夜、絵を描いた。
数ヶ月ぶりに、白いページと向き合って、鉛筆を持って、見えたものを描いた。
下手くそだった。
でも手が止まらなかった。
それが、なんだか不思議だった。あんなに怖かったのに。
誰かに見せたら盗まれるかもしれない、傷つくかもしれない。
そう思って、ずっと触れなかったのに。
蒼生が隣にいたから、描けたのかもしれない。
誰かに見せるためじゃなくて、誰かと並んで描くから、描けたのかもしれない。
蒼生のことが好きかもしれない、とは、まだ思えなかった。
ただ、あの人の隣にいると、自分が自分に戻っていく気がした。
桐島結羽という人間の、一番古い部分に戻っていく感じ。
それが何を意味するのかを、わたしはまだうまく言葉にできなかった。
布団の中で、今夜描いた絵のことを思った。
久しぶりに描いたから、描き方すら忘れていたくらいだったけれど、確かに、そこにある景色を描いた。
『結羽にしか見えない世界が、あるんだよ』
蒼生の言葉が、また頭の中で繰り返された。
明日も、描けるだろうか。
そう思ったことが、少し嬉しかった。
生きていることの苦しさが、今夜は少し遠かった。
全部消えたわけじゃない。
でも、今夜ここで描いた軌跡が、ページの上に残っている。
それだけで、今夜は十分だった。
返事のかわりに、もう一枚、地上を描き始めた。
今度は、道路の先まで描こうと思った。
光の軌跡が、どこまで続いているか、描いてみたかった。
蒼生はわたしを見て、また自分のスケッチブックを開く。
二枚目の夜空を描き始めたらしい。
何も言わなかった。
でも、続きを描こうということが、二人の間でわかった。
鉛筆の音が、また夜の中に溶けていった。
その夜、二人で何枚描いたか、数えていなかった。
気づいたら、バスターミナルの時計が二時を回っていた。
蒼生が「そろそろ」と言って、スケッチブックを閉じる。
わたしも閉じた。
帰り際に、今夜描いた絵を並べてみた。蒼生の夜空が三枚。わたしの地上が三枚。合わせると、三つの世界になった。
「全部つながってる」
蒼生の言葉にわたしはうなずいた。
全部つながっていた。
蒼生の夜空と、わたしの地上が。
それぞれの軌跡が……。
「また描こう」
蒼生が言った。
命令でも提案でもなく、ただそう言った。
「うん」
わたしも、ただそう言った。
また描こう……その言葉が、今夜一番温かかった。
家に帰って、布団に入っても、わたしは眠れなかった。
今日は眠れない理由が、前とは違った。
苦しいわけではなかった。
むしろ胸の奥が温かくて、その温かさが目を覚まさせていた。
胸の奥がうずいていた。
痛くはなかった。
でも確かに、何かが動いていた。
あの日から蓋をしていた場所が、少しずつ開いていくような感覚。
今夜、絵を描いた。
数ヶ月ぶりに、白いページと向き合って、鉛筆を持って、見えたものを描いた。
下手くそだった。
でも手が止まらなかった。
それが、なんだか不思議だった。あんなに怖かったのに。
誰かに見せたら盗まれるかもしれない、傷つくかもしれない。
そう思って、ずっと触れなかったのに。
蒼生が隣にいたから、描けたのかもしれない。
誰かに見せるためじゃなくて、誰かと並んで描くから、描けたのかもしれない。
蒼生のことが好きかもしれない、とは、まだ思えなかった。
ただ、あの人の隣にいると、自分が自分に戻っていく気がした。
桐島結羽という人間の、一番古い部分に戻っていく感じ。
それが何を意味するのかを、わたしはまだうまく言葉にできなかった。
布団の中で、今夜描いた絵のことを思った。
久しぶりに描いたから、描き方すら忘れていたくらいだったけれど、確かに、そこにある景色を描いた。
『結羽にしか見えない世界が、あるんだよ』
蒼生の言葉が、また頭の中で繰り返された。
明日も、描けるだろうか。
そう思ったことが、少し嬉しかった。
生きていることの苦しさが、今夜は少し遠かった。
全部消えたわけじゃない。
でも、今夜ここで描いた軌跡が、ページの上に残っている。
それだけで、今夜は十分だった。


