隣で蒼生の鉛筆が動く音がして、わたしの鉛筆が動く音もする。
二つの音が重なって、夜の中に溶けていった。
こういう時間が、あったんだった。
誰かと並んで、同じものに向かっている時間。
学校でも家でもなく、評価されるわけでもなく、ただ手を動かしている時間。
わたしはそれが、ずっと好きだったんだった。
あの日から、忘れていた。
手を止めて、ふと蒼生のページを覗いた。
息が止まった。
夜空だけれど、蒼生のスケッチブックで見慣れたはずの夜空と、少し違って見えた。
それは、今夜の夜空だった。
今夜の星の位置、今夜の雲の流れ、地平線のあたりが少し明るくて、そこだけ夜と朝の境目みたいになっていた。
「……それ、今夜のやつ?」
「うん。毎回その日の夜空を描いてる」
「毎回違うの?」
「全部違う。同じ夜空は一つもない」
わたしはしばらく、蒼生のページを見ていた。
細い線が幾重にも重なって、夜空の深さを作っている。
星一つひとつの大きさが、微妙に違う。明るい星は少し大きく、遠い星は小さく、薄く……その加減が、夜空の奥行きを作っていた。
「どうやって星の位置を覚えるの」
「毎晩見てたら、だんだん覚える」
「全部?」
「全部は無理。でも、よく来る星は覚えてくる」
よく来る星、その言い方が、面白かった。
星が来るんじゃなくて、わたしたちが星を見に来ているのに、蒼生は星の方が来てくれると思っているみたいだった。
「星って、来るの?」
聞いてみたら、蒼生は少し考えた。
「俺はそう思ってる。毎晩ちゃんとそこにいてくれるから」
その言葉が、なんだか胸に温かく落ちた。
毎晩ちゃんとそこにいてくれる。
蒼生も、そういう存在だった、とは、まだ言わなかった。
でも……そう思った。
三十分ほどして、二人で同時に手を止めた。
「見せて」
と蒼生が言った。
わたしが描いたページと蒼生の描いたページを並べて……わたしは、息を飲んだ。
蒼生の描いた夜空は、上半分に広がっていた。
星がいくつも描かれて、薄い雲の流れがあって、地平線のあたりが少し明るかった。
細い線が幾重にも重なって、夜空の深さが表現されていた。
わたしの描いた地上は、下半分に広がっていた。
バスターミナルのコンクリートと、自動販売機の光と、七番ベンチの脚の部分。
下手くそで、線が歪んでいて、でも確かにここにある景色だった。
二つを合わせると、一枚の夜の絵になった。
「ね、ちゃんとつながった」
蒼生が言った。
わたしはうなずくことしかできなかった。
自分の絵は下手だった。
蒼生の夜空に比べたら、ぜんぜん。
でも確かに、わたしの地上から蒼生の夜空へ、ひとつの世界がつながっていた。
地平線のところで、二枚の絵がぴったり合っていた。
最初から示し合わせていたわけでもないのに、夜の高さが合っていた。
「せっかくだから、タイトル、つけよう」
蒼生は少し考えてから言った。
「光の軌跡」
「光の……軌跡?」
わたしが不思議そうに問いかけると、蒼生はフフッと笑った。
「軌跡って言葉知ってる?車の通った跡とか人や物事がたどってきた跡の事を言うんだ」
「……何となくは知ってた」
「そっか。……自分が今までどんなふうに生きてきたかというのも、軌跡って言葉で表せられるのはすごくないか?」
キラキラとした目で語る蒼生を見ながら、わたしは黙ってうなずきながら聞いていた。
「夜空には軌跡がある。星の動き、流れ星、月の道。ぜんぶ軌跡。結羽が描いた地上にも、光の軌跡があった。自販機の光が道路に反射してたから」
わたしは自分のページを見た。
確かに、自動販売機の光が地面に細く伸びていた。
意識して描いたわけではなかったのに。
わたしが見ていた景色の中に、最初からそれがあったのだ。
「結羽が見た軌跡と、俺が見た軌跡が、つながってる」
蒼生は言った。その言葉の重さが、じわじわとわたしに染みていった。
軌跡……その言葉が、頭の中でゆっくり広がった。
わたしが見てきた景色にも、軌跡があった。
意識していなかっただけで、ずっとそこにあった。
蒼生はそれを見つけてくれた。
二つの音が重なって、夜の中に溶けていった。
こういう時間が、あったんだった。
誰かと並んで、同じものに向かっている時間。
学校でも家でもなく、評価されるわけでもなく、ただ手を動かしている時間。
わたしはそれが、ずっと好きだったんだった。
あの日から、忘れていた。
手を止めて、ふと蒼生のページを覗いた。
息が止まった。
夜空だけれど、蒼生のスケッチブックで見慣れたはずの夜空と、少し違って見えた。
それは、今夜の夜空だった。
今夜の星の位置、今夜の雲の流れ、地平線のあたりが少し明るくて、そこだけ夜と朝の境目みたいになっていた。
「……それ、今夜のやつ?」
「うん。毎回その日の夜空を描いてる」
「毎回違うの?」
「全部違う。同じ夜空は一つもない」
わたしはしばらく、蒼生のページを見ていた。
細い線が幾重にも重なって、夜空の深さを作っている。
星一つひとつの大きさが、微妙に違う。明るい星は少し大きく、遠い星は小さく、薄く……その加減が、夜空の奥行きを作っていた。
「どうやって星の位置を覚えるの」
「毎晩見てたら、だんだん覚える」
「全部?」
「全部は無理。でも、よく来る星は覚えてくる」
よく来る星、その言い方が、面白かった。
星が来るんじゃなくて、わたしたちが星を見に来ているのに、蒼生は星の方が来てくれると思っているみたいだった。
「星って、来るの?」
聞いてみたら、蒼生は少し考えた。
「俺はそう思ってる。毎晩ちゃんとそこにいてくれるから」
その言葉が、なんだか胸に温かく落ちた。
毎晩ちゃんとそこにいてくれる。
蒼生も、そういう存在だった、とは、まだ言わなかった。
でも……そう思った。
三十分ほどして、二人で同時に手を止めた。
「見せて」
と蒼生が言った。
わたしが描いたページと蒼生の描いたページを並べて……わたしは、息を飲んだ。
蒼生の描いた夜空は、上半分に広がっていた。
星がいくつも描かれて、薄い雲の流れがあって、地平線のあたりが少し明るかった。
細い線が幾重にも重なって、夜空の深さが表現されていた。
わたしの描いた地上は、下半分に広がっていた。
バスターミナルのコンクリートと、自動販売機の光と、七番ベンチの脚の部分。
下手くそで、線が歪んでいて、でも確かにここにある景色だった。
二つを合わせると、一枚の夜の絵になった。
「ね、ちゃんとつながった」
蒼生が言った。
わたしはうなずくことしかできなかった。
自分の絵は下手だった。
蒼生の夜空に比べたら、ぜんぜん。
でも確かに、わたしの地上から蒼生の夜空へ、ひとつの世界がつながっていた。
地平線のところで、二枚の絵がぴったり合っていた。
最初から示し合わせていたわけでもないのに、夜の高さが合っていた。
「せっかくだから、タイトル、つけよう」
蒼生は少し考えてから言った。
「光の軌跡」
「光の……軌跡?」
わたしが不思議そうに問いかけると、蒼生はフフッと笑った。
「軌跡って言葉知ってる?車の通った跡とか人や物事がたどってきた跡の事を言うんだ」
「……何となくは知ってた」
「そっか。……自分が今までどんなふうに生きてきたかというのも、軌跡って言葉で表せられるのはすごくないか?」
キラキラとした目で語る蒼生を見ながら、わたしは黙ってうなずきながら聞いていた。
「夜空には軌跡がある。星の動き、流れ星、月の道。ぜんぶ軌跡。結羽が描いた地上にも、光の軌跡があった。自販機の光が道路に反射してたから」
わたしは自分のページを見た。
確かに、自動販売機の光が地面に細く伸びていた。
意識して描いたわけではなかったのに。
わたしが見ていた景色の中に、最初からそれがあったのだ。
「結羽が見た軌跡と、俺が見た軌跡が、つながってる」
蒼生は言った。その言葉の重さが、じわじわとわたしに染みていった。
軌跡……その言葉が、頭の中でゆっくり広がった。
わたしが見てきた景色にも、軌跡があった。
意識していなかっただけで、ずっとそこにあった。
蒼生はそれを見つけてくれた。


