律と話すようになってから、学校に行く理由が少し変わった。
今はそこに、ひとつ増えた。
今日は会えるかな、と思うこと。
それだけで、朝の気分が少し違った。
律は美術科だから、同じ校舎にいる時間は多くない。
でも、昼休みや放課後になると、渡り廊下や昇降口の近くで会うことがあった。
今日もいるかもしれない。
そう思う自分に、まだ慣れなかった。
ある日の放課後、私は昇降口で靴を履き替えたあと、すぐには外に出なかった。
靴箱の列の向こうに、見慣れた顔が見えたのは、その少しあとだった。
律は片手に大きな紙の筒を持っていた。
制服の袖に、少しだけ絵の具がついている。
それを見つけただけで、少しだけうれしくなった。
「瀬川くん」
呼ぶと、律が顔を上げた。
「水瀬」
名前を呼ばれるたび、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
もう慣れてもいいはずなのに、まだ毎回、ちゃんと効いてしまう。
「今帰り?」
「うん。瀬川くんは」
「今終わった。課題」
そう言って、持っていた筒を少し持ち上げる。
「それ、絵?」
「んー、まあ」
少し濁した言い方だった。
私はそれ以上聞かないほうがいい気がして、黙った。
すると律のほうが、少しだけ笑って言った。
「見たい?」
思わず顔を上げる。
「……いいの?」
「完成してないけど」
その言葉に、なぜか少しだけ心が動いた。
まだ途中のものを見せてもらえるのが、うれしかった。
「迷惑じゃなければ」
「迷惑じゃない」
律はそう言って、顎で校舎の奥を示した。
「こっち」
私はうなずいて、そのあとをついていった。
美術科棟は、普通科の校舎より静かだった。
廊下の空気まで違う気がした。
少しだけ、絵の具と紙のにおいがする。
教室の前を通ると、扉の向こうに大きなキャンバスや石膏像が見えた。
普通科にはないものばかりで、少しだけ落ち着かなかった。
律は慣れた様子で、美術室の扉を開けた。
「どうぞ」
その言い方が少しおかしくて、私は小さく笑った。
「おじゃまします」
教室の中には、もうほとんど人がいなかった。
窓際の机に絵の具のチューブが散らばっていて、乾きかけたパレットが置いてある。
椅子の背にかけられたエプロンにも、何色もの跡が残っていた。
律は部屋の奥へ行って、立てかけてあったキャンバスをこちらへ向けた。
「これ」
私はその前で立ち止まった。
描きかけの絵だった。
まだ背景は途中で、塗られていないところもある。
でも、中央に描かれた光だけは、もう目を引いた。
川沿いの道。
夕方みたいな色。
風に揺れている木。
その全部の中に、やわらかい光が落ちていた。
今はそこに、ひとつ増えた。
今日は会えるかな、と思うこと。
それだけで、朝の気分が少し違った。
律は美術科だから、同じ校舎にいる時間は多くない。
でも、昼休みや放課後になると、渡り廊下や昇降口の近くで会うことがあった。
今日もいるかもしれない。
そう思う自分に、まだ慣れなかった。
ある日の放課後、私は昇降口で靴を履き替えたあと、すぐには外に出なかった。
靴箱の列の向こうに、見慣れた顔が見えたのは、その少しあとだった。
律は片手に大きな紙の筒を持っていた。
制服の袖に、少しだけ絵の具がついている。
それを見つけただけで、少しだけうれしくなった。
「瀬川くん」
呼ぶと、律が顔を上げた。
「水瀬」
名前を呼ばれるたび、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
もう慣れてもいいはずなのに、まだ毎回、ちゃんと効いてしまう。
「今帰り?」
「うん。瀬川くんは」
「今終わった。課題」
そう言って、持っていた筒を少し持ち上げる。
「それ、絵?」
「んー、まあ」
少し濁した言い方だった。
私はそれ以上聞かないほうがいい気がして、黙った。
すると律のほうが、少しだけ笑って言った。
「見たい?」
思わず顔を上げる。
「……いいの?」
「完成してないけど」
その言葉に、なぜか少しだけ心が動いた。
まだ途中のものを見せてもらえるのが、うれしかった。
「迷惑じゃなければ」
「迷惑じゃない」
律はそう言って、顎で校舎の奥を示した。
「こっち」
私はうなずいて、そのあとをついていった。
美術科棟は、普通科の校舎より静かだった。
廊下の空気まで違う気がした。
少しだけ、絵の具と紙のにおいがする。
教室の前を通ると、扉の向こうに大きなキャンバスや石膏像が見えた。
普通科にはないものばかりで、少しだけ落ち着かなかった。
律は慣れた様子で、美術室の扉を開けた。
「どうぞ」
その言い方が少しおかしくて、私は小さく笑った。
「おじゃまします」
教室の中には、もうほとんど人がいなかった。
窓際の机に絵の具のチューブが散らばっていて、乾きかけたパレットが置いてある。
椅子の背にかけられたエプロンにも、何色もの跡が残っていた。
律は部屋の奥へ行って、立てかけてあったキャンバスをこちらへ向けた。
「これ」
私はその前で立ち止まった。
描きかけの絵だった。
まだ背景は途中で、塗られていないところもある。
でも、中央に描かれた光だけは、もう目を引いた。
川沿いの道。
夕方みたいな色。
風に揺れている木。
その全部の中に、やわらかい光が落ちていた。


