律に会えたのは、その三日後だった。
連絡は来ていた。
今日は少し楽だとか、
検査のあとでだるいとか、
眠っていたとか。
でも、文字だけでは分からないことが増えていた。
だから、病院で会えると決まったとき、
私は少しだけ安心して、
同じくらい怖くなった。
会ってしまったら、今の律をちゃんと見てしまうからだ。
病院の受付で名前を書いて、案内された階まで上がる。
白い廊下は静かで、歩く音だけがやけに響いた。
病室の前で、一度だけ足が止まる。
深呼吸をしてから、そっと扉を開けた。
律はベッドの上にいた。
窓際。
薄いカーテンの向こうに、夕方の光がにじんでいる。
見た瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
ちゃんと律だった。
顔も、目も、髪も、何も変わっていないように見える。
なのに、少し違った。
白いシーツの上にいるせいかもしれない。
病衣のせいかもしれない。
でもたぶん、それだけじゃない。
そこにいるのに、前より少し遠い。
「……水瀬」
律が先に気づいて、少しだけ笑った。
その笑い方は、いつもの律だった。
だから余計に痛かった。
「来た」
そう言うと、律は小さくうなずいた。
「来たね」
私はベッドの横の椅子に座る。
近くで見ると、やっぱり少し顔色が悪い。
痩せた、というほどではない。
でも、頬のあたりが少しだけ細く見える。
たった数日なのに、と思う。
たった数日で、そう見えてしまうことが怖かった。
「今日はどう?」
聞くと、律は少し考えてから答える。
「昨日よりまし」
「でも、なんかずっとだるい」
その言い方が、変に軽かった。
前の律なら、だるいくらいでこんなふうに横になったりしなかったと思う。
そう思ってしまって、私はうまく笑えない。
「……そっか」
それしか言えない。
律は天井を見たまま、少しだけ息をついた。
「病院って暇だよね」
「寝ても寝てもまだ時間あるし」
「でも、ちゃんと休めるならそのほうがいいよ」
「うん」
素直な返事だった。
そのことが少しだけうれしくて、
同時に少しだけ苦しかった。
無理に笑ったり、強がったりする元気も、
もう前ほどはないのかもしれないと思ったからだ。
しばらく、たわいない話をした。
学校のこと。
先生のこと。
課題のこと。
クラスで配られたプリントのこと。
なるべく普通の話をした。
でも、どの言葉の下にも、
一ヶ月、という見えないものが沈んでいる気がした。
それに触れたら壊れる気がして、
私はずっとその上を歩くみたいに話していた。
律もたぶん同じだった。
ときどき言葉の途中で少しだけ止まる。
それでも何でもない顔で続ける。
その感じが、余計につらかった。
しばらくして、律の返事が短くなっていった。
最初は気のせいかと思った。
でも違った。
目が少しずつ重そうになっていく。
声も、前よりさらに低くなる。
「眠い?」
私が聞くと、律は小さく笑った。
「ちょっと」
「薬飲むと、すぐ眠くなる」
「じゃあ、寝たほうがいいよ」
言いながら、本当は少し嫌だった。
まだ帰りたくない。
まだ起きていてほしい。
そんな子どもみたいな気持ちが胸の奥にあった。
でも、それを言うのは違う。
律はうなずいて、少しだけ体勢を変えた。
「水瀬」
「なに」
「来てくれてありがと」
その声が、さっきまでよりずっとやわらかかった。
眠る前の声だった。
私は首を振る。
「……ううん」
本当は私のほうが言いたいのに、と思う。
会わせてくれてありがとう。
起きててくれてありがとう。
まだここにいてくれてありがとう。
でも、どれも言葉にすると壊れそうで、
結局そのまま飲み込んだ。
律は目を閉じる。
呼吸が、少しずつ深くなっていく。
私はその顔を見ていた。
眠っているだけだ。
それは分かっている。
でも、静かすぎて怖かった。
置いていかれることに敏感なのかもしれないと思う。
昔のことも、今のことも、全部混ざっている。
だから私は、気づかないうちに手を伸ばしていた。
ベッドの上の律の手に、そっと触れる。
少し冷えていた。
びくっとするほどではない。
でも、前より確かに温度が低い気がした。
私は指先で軽く包む。
律は眠ったまま、少しだけ指を動かした。
それだけで胸の奥がいっぱいになる。
ここにいる。
まだ、ちゃんといる。
私はその手を握ったまま、椅子に深く座り直した。
このまま少しだけ。
律がちゃんと眠るまで。
そう思っていた。
連絡は来ていた。
今日は少し楽だとか、
検査のあとでだるいとか、
眠っていたとか。
でも、文字だけでは分からないことが増えていた。
だから、病院で会えると決まったとき、
私は少しだけ安心して、
同じくらい怖くなった。
会ってしまったら、今の律をちゃんと見てしまうからだ。
病院の受付で名前を書いて、案内された階まで上がる。
白い廊下は静かで、歩く音だけがやけに響いた。
病室の前で、一度だけ足が止まる。
深呼吸をしてから、そっと扉を開けた。
律はベッドの上にいた。
窓際。
薄いカーテンの向こうに、夕方の光がにじんでいる。
見た瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
ちゃんと律だった。
顔も、目も、髪も、何も変わっていないように見える。
なのに、少し違った。
白いシーツの上にいるせいかもしれない。
病衣のせいかもしれない。
でもたぶん、それだけじゃない。
そこにいるのに、前より少し遠い。
「……水瀬」
律が先に気づいて、少しだけ笑った。
その笑い方は、いつもの律だった。
だから余計に痛かった。
「来た」
そう言うと、律は小さくうなずいた。
「来たね」
私はベッドの横の椅子に座る。
近くで見ると、やっぱり少し顔色が悪い。
痩せた、というほどではない。
でも、頬のあたりが少しだけ細く見える。
たった数日なのに、と思う。
たった数日で、そう見えてしまうことが怖かった。
「今日はどう?」
聞くと、律は少し考えてから答える。
「昨日よりまし」
「でも、なんかずっとだるい」
その言い方が、変に軽かった。
前の律なら、だるいくらいでこんなふうに横になったりしなかったと思う。
そう思ってしまって、私はうまく笑えない。
「……そっか」
それしか言えない。
律は天井を見たまま、少しだけ息をついた。
「病院って暇だよね」
「寝ても寝てもまだ時間あるし」
「でも、ちゃんと休めるならそのほうがいいよ」
「うん」
素直な返事だった。
そのことが少しだけうれしくて、
同時に少しだけ苦しかった。
無理に笑ったり、強がったりする元気も、
もう前ほどはないのかもしれないと思ったからだ。
しばらく、たわいない話をした。
学校のこと。
先生のこと。
課題のこと。
クラスで配られたプリントのこと。
なるべく普通の話をした。
でも、どの言葉の下にも、
一ヶ月、という見えないものが沈んでいる気がした。
それに触れたら壊れる気がして、
私はずっとその上を歩くみたいに話していた。
律もたぶん同じだった。
ときどき言葉の途中で少しだけ止まる。
それでも何でもない顔で続ける。
その感じが、余計につらかった。
しばらくして、律の返事が短くなっていった。
最初は気のせいかと思った。
でも違った。
目が少しずつ重そうになっていく。
声も、前よりさらに低くなる。
「眠い?」
私が聞くと、律は小さく笑った。
「ちょっと」
「薬飲むと、すぐ眠くなる」
「じゃあ、寝たほうがいいよ」
言いながら、本当は少し嫌だった。
まだ帰りたくない。
まだ起きていてほしい。
そんな子どもみたいな気持ちが胸の奥にあった。
でも、それを言うのは違う。
律はうなずいて、少しだけ体勢を変えた。
「水瀬」
「なに」
「来てくれてありがと」
その声が、さっきまでよりずっとやわらかかった。
眠る前の声だった。
私は首を振る。
「……ううん」
本当は私のほうが言いたいのに、と思う。
会わせてくれてありがとう。
起きててくれてありがとう。
まだここにいてくれてありがとう。
でも、どれも言葉にすると壊れそうで、
結局そのまま飲み込んだ。
律は目を閉じる。
呼吸が、少しずつ深くなっていく。
私はその顔を見ていた。
眠っているだけだ。
それは分かっている。
でも、静かすぎて怖かった。
置いていかれることに敏感なのかもしれないと思う。
昔のことも、今のことも、全部混ざっている。
だから私は、気づかないうちに手を伸ばしていた。
ベッドの上の律の手に、そっと触れる。
少し冷えていた。
びくっとするほどではない。
でも、前より確かに温度が低い気がした。
私は指先で軽く包む。
律は眠ったまま、少しだけ指を動かした。
それだけで胸の奥がいっぱいになる。
ここにいる。
まだ、ちゃんといる。
私はその手を握ったまま、椅子に深く座り直した。
このまま少しだけ。
律がちゃんと眠るまで。
そう思っていた。


