君に届くのは、10分の1だけ

次の週、律は二日休んだ。
その次の週は、三日休んだ。

来ても午前だけだったり、
美術の授業だけ出て、あとは保健室で休んでいたりした。

学校に行けば会える、という当たり前が、少しずつ崩れていく。

そのたびに、私は何もできなかった。

できるのは、連絡を待つことと、
返事を打つことと、
会えた日に少し長く一緒にいることだけだった。

美術室へ行くこともあった。

でも、律が絵の前に立てる時間は短くなっていた。

キャンバスの前に立つ。
少し描く。
椅子に座る。
また立つ。

それだけで、前よりずっと疲れているのが分かる。

私は席で待ちながら、何度も「もうやめたほうがいいんじゃない」と言いかけた。

でも、言えなかった。

絵を描く時間まで奪うみたいで怖かった。

律にとって、あれはただの課題じゃない。
ずっと先へ続いていたはずのものだ。

だから私には、簡単にやめてと言えなかった。

ある放課後、律は筆を置いて、少しだけ目を閉じた。

私は椅子から立ち上がる。

「しんどい?」

律はうなずいたあと、すぐに首を振る。

「ちょっとだけ」

「座ったほうがいいよ」

「うん」

素直に椅子へ座る。
それだけで、前と違うのが分かった。

前の律なら、「あと少しだから」と言って立っていたと思う。

私はペットボトルを渡す。
律は受け取って、少しだけ飲む。

その指先が、前より細く見えた。

気のせいかもしれない。
でも、たぶん気のせいじゃなかった。

「絵」

私が小さく言うと、律がキャンバスを見る。

「うん」

「少し進んだね」

そう言うと、律は笑った。

「少しだけ」

本当に、少しだけだった。

でも、止まってはいない。
まだ、ほんの少しでも進んでいる。

そのことに、私はしがみつくみたいな気持ちになっていた。

進んでいるなら、まだ大丈夫かもしれない。
完成するなら、その先もあるかもしれない。

自分でも無茶なことを考えていると思う。

でも、そうでもしないと息ができなかった。

秋が深くなるころには、
律は明らかに学校を休みがちになっていた。

クラスの子たちも、なんとなく気づいていた。
美術科の瀬川くん、最近あまり見ないね、と
軽い調子で話しているのを耳にすることもあった。

私はそのたび、何でもない顔をするのが下手になった。

知っている。
でも、言えない。

言葉にしたら、本当にそうなってしまう気がした。

律と会える日は、もう数えるくらいになっていた。

それでも会うと、律はなるべく前と同じように話した。

学校のこと。
課題のこと。
美術室の先生がうるさかったこと。
病院食が薄かったこと。

たまに、無理に普通にしているのが分かることもあった。
でも私は、それを崩せなかった。

崩したら、その先にあるものがあまりにもはっきり見えてしまいそうだったから。

夜、眠る前にスマホを見る時間が長くなった。

律からの連絡が来ていないか確認する。
来ていたら安心する。
来ていなかったら、嫌な想像をしてしまう。

そんなことの繰り返しで、
私は自分でも気づかないうちに、少しずつ疲れていたのかもしれない。

ある夜、律からのメッセージが途切れた。

昼までは来ていた。

今日ちょっとだるい
寝るかも

それが最後だった。

私は何度も画面を見た。
返事はいらない、と送っていたのに、
本当は返してほしかったのだと、そのとき気づく。

時計の針が進む。
部屋は静かになる。
家の中の音も少しずつ減っていく。

それでも、眠れなかった。

一ヶ月、という言葉が、
日に日に形を持ち始めている気がした。

学校を休む日。
会えない日。
絵が進まない日。

全部が、同じ方向へ向かっているように思えた。

怖かった。

でも、何をどう怖がればいいのかも、まだちゃんとは分からなかった。

ただ、失っていく感じだけがあった。

その夜、私はようやく浅い眠りに落ちた。

夢を見た。

最初は、いつもの美術室だった。

夕方の光。
窓際の机。
絵の具のにおい。
途中で止まったままのキャンバス。

律はそこにいなかった。

なのに、誰かの気配がした。

私は夢の中で、それが律ではないとすぐに分かった。