いま、律は何をしているんだろう。
検査は始まったのか。
痛い思いをしていないか。
怖くないんだろうか。
そんなことばかり考えていた。
昼休み、渡り廊下へ行く。
もちろん、そこに律が来るわけがない。
分かっているのに、足が勝手に向いていた。
いつもの場所に立って、
いつもの時間の空気の中にいると、
昨日までのことが急に近くなる。
「いた」
そう言って来る声。
私の名前を呼ぶ声。
なんでもない顔で隣に立つ姿。
今日はそれがない。
それだけのことが、思っていた以上に心細かった。
スマホが震えたのは、そのときだった。
反射みたいに画面を見る。
律からだった。
起きた
びっくりさせてごめん
たった二行。
それだけなのに、目の奥が熱くなる。
私はすぐに返信を打つ。
よかった
ほんとによかった
大丈夫?
送ってから、重すぎたかもしれないと思った。
でもすぐに返事が来る。
今んとこ元気
でも検査いろいろするらしい
だるい
最後の一言が律らしくて、少しだけ息が抜けた。
無理しないで
ちゃんと休んで
打ってから、当たり前すぎると思った。
でも他に言葉が見つからない。
しばらくして返ってきたのは、
うん
水瀬、昨日ありがと
だった。
私はその文字をしばらく見つめた。
ありがとう。
私が言いたい言葉のほうなのに、と思う。
救急車呼んだだけだよ
そう返すと、
それが一番助かった
こわかったし
と返ってきた。
その文を見た瞬間、胸がきゅっとした。
律も、怖かったんだ。
当たり前のことなのに、そこまで考えられていなかった。
私は自分が怖いことでいっぱいだったから。
うん
私もすごくこわかった
そう送る。
少し間があってから、
そっか
ごめん
と返ってくる。
謝らなくていい
打ちながら、少しだけ指が震えた。
ほんとに、起きてくれてよかった
それを送ったあと、しばらく画面を見ていたけれど、
律からは返事が来なかった。
検査か、休んでいるのかもしれない。
私はスマホを閉じて、深く息を吐いた。
放課後、美術科棟の前を通った。
行く必要はなかった。
律は病院にいるし、美術室へ行っても誰もいないかもしれない。
それでも、足が向いた。
扉は半分だけ開いていた。
中には何人か残っていて、課題をしている音が小さく響いている。
私は中には入らず、廊下からそっと見る。
奥のほうに、律のキャンバスがあった。
昨日のまま、止まっている。
あと少しで完成しそうだった。
たぶん、ほんの少し筆を入れれば終わるところまで来ている。
でも、その少しが届かない。
昨日まで当たり前みたいに続いていた時間が、
あそこで急に止まってしまったことが、
目に見える形で残っていた。
私はしばらく、その絵を見ていた。
前よりも静かで、
前よりも完成に近くて、
それなのに今はひどく遠い。
そこに立っていると、美術の先生が気づいて出てきた。
「水瀬さん」
声をかけられて、私は少しだけ肩を揺らした。
「瀬川のこと、心配だよね」
「……はい」
先生は一度、教室の中の絵を振り返った。
「検査結果が出るまで、まだ何とも言えないらしい」
「しばらく学校も様子見になるかもしれない」
何とも言えない。
その言葉が、一番つらかった。
悪いとも言われていない。
でも、大丈夫とも言われていない。
宙に浮いたみたいな時間。
それが始まってしまったのだと、先生の声で分かった。
「瀬川も気にしてたよ、その絵」
先生が小さく言う。
「今年の中ではかなり良かったから」
私はもう一度、キャンバスを見る。
律が何度も迷って、直して、少しずつ形にしてきた絵。
会うたびに変わっていった絵。
私たちの時間と一緒に、少しずつ進んできた絵。
それが今、途中で止まっている。
「……早く、続き描けるといいです」
気づいたら、そう言っていた。
先生は「そうだね」とうなずいた。
それだけなのに、泣きそうになった。
帰り道、律からまた連絡が来た。
検査は始まったのか。
痛い思いをしていないか。
怖くないんだろうか。
そんなことばかり考えていた。
昼休み、渡り廊下へ行く。
もちろん、そこに律が来るわけがない。
分かっているのに、足が勝手に向いていた。
いつもの場所に立って、
いつもの時間の空気の中にいると、
昨日までのことが急に近くなる。
「いた」
そう言って来る声。
私の名前を呼ぶ声。
なんでもない顔で隣に立つ姿。
今日はそれがない。
それだけのことが、思っていた以上に心細かった。
スマホが震えたのは、そのときだった。
反射みたいに画面を見る。
律からだった。
起きた
びっくりさせてごめん
たった二行。
それだけなのに、目の奥が熱くなる。
私はすぐに返信を打つ。
よかった
ほんとによかった
大丈夫?
送ってから、重すぎたかもしれないと思った。
でもすぐに返事が来る。
今んとこ元気
でも検査いろいろするらしい
だるい
最後の一言が律らしくて、少しだけ息が抜けた。
無理しないで
ちゃんと休んで
打ってから、当たり前すぎると思った。
でも他に言葉が見つからない。
しばらくして返ってきたのは、
うん
水瀬、昨日ありがと
だった。
私はその文字をしばらく見つめた。
ありがとう。
私が言いたい言葉のほうなのに、と思う。
救急車呼んだだけだよ
そう返すと、
それが一番助かった
こわかったし
と返ってきた。
その文を見た瞬間、胸がきゅっとした。
律も、怖かったんだ。
当たり前のことなのに、そこまで考えられていなかった。
私は自分が怖いことでいっぱいだったから。
うん
私もすごくこわかった
そう送る。
少し間があってから、
そっか
ごめん
と返ってくる。
謝らなくていい
打ちながら、少しだけ指が震えた。
ほんとに、起きてくれてよかった
それを送ったあと、しばらく画面を見ていたけれど、
律からは返事が来なかった。
検査か、休んでいるのかもしれない。
私はスマホを閉じて、深く息を吐いた。
放課後、美術科棟の前を通った。
行く必要はなかった。
律は病院にいるし、美術室へ行っても誰もいないかもしれない。
それでも、足が向いた。
扉は半分だけ開いていた。
中には何人か残っていて、課題をしている音が小さく響いている。
私は中には入らず、廊下からそっと見る。
奥のほうに、律のキャンバスがあった。
昨日のまま、止まっている。
あと少しで完成しそうだった。
たぶん、ほんの少し筆を入れれば終わるところまで来ている。
でも、その少しが届かない。
昨日まで当たり前みたいに続いていた時間が、
あそこで急に止まってしまったことが、
目に見える形で残っていた。
私はしばらく、その絵を見ていた。
前よりも静かで、
前よりも完成に近くて、
それなのに今はひどく遠い。
そこに立っていると、美術の先生が気づいて出てきた。
「水瀬さん」
声をかけられて、私は少しだけ肩を揺らした。
「瀬川のこと、心配だよね」
「……はい」
先生は一度、教室の中の絵を振り返った。
「検査結果が出るまで、まだ何とも言えないらしい」
「しばらく学校も様子見になるかもしれない」
何とも言えない。
その言葉が、一番つらかった。
悪いとも言われていない。
でも、大丈夫とも言われていない。
宙に浮いたみたいな時間。
それが始まってしまったのだと、先生の声で分かった。
「瀬川も気にしてたよ、その絵」
先生が小さく言う。
「今年の中ではかなり良かったから」
私はもう一度、キャンバスを見る。
律が何度も迷って、直して、少しずつ形にしてきた絵。
会うたびに変わっていった絵。
私たちの時間と一緒に、少しずつ進んできた絵。
それが今、途中で止まっている。
「……早く、続き描けるといいです」
気づいたら、そう言っていた。
先生は「そうだね」とうなずいた。
それだけなのに、泣きそうになった。
帰り道、律からまた連絡が来た。


