鴻巣翔流の心霊事件 -学校一のイケメンは霊能者!-

 鍋から立ちのぼる湯気に顔を近づけ、菜月はんん~、と声をもらす。
「いい香り」
 スプーンでひとさじすくって味見。
「おいしい。デミグラスソースは完成ね」
 今日の夕飯はハンバーグだ。
 後はタネを作るだけ。

 炒めて祖熱をとった玉ねぎのみじん切りを、ボウルに入れた合いびき肉と合わせる。
 そこへパン粉、牛乳、にんにくすりおろし、塩、砂糖、こしょうを入れ、それから。

「卵、卵、と」
 冷蔵庫を開け、あれ、と声を上げる。
「卵がない」
 まだ残っていると思っていたのに。

 そうだった。
 今朝、目玉焼きを作るのに、残りの卵を使いきったことを思い出す。

「うっかり忘れてた」
 仕方がない。
 近くのコンビニに行って買ってこよう。
 菜月はエプロンをはずし、お財布とスマホを手に取る。
 リビングの壁にかけられた時計を見ると七時半。
 通り魔事件のこともあるから遅い時間に外を出歩くな、と言ったパパの言葉を思い出す。

 でも、だいじょうぶだよね。

 コンビニまで行って帰っても、十分もかからない距離だから。
「それに、卵がないとハンバーグ作れないし」
 そう自分に言い聞かせ、菜月は家を出た。

 だいじょうぶだとはいえ、やはり不安もあるせいか、おのずとはや歩きになる。
 コンビニに辿り着き、卵を買って急いで家に戻ろうと店を出た菜月の目の前を、知った人物がよぎって行く。
「あれ? 翔流くん?」
 翔流が学校近くの交差点方向へ向かって歩いて行くのが見えた。

 こんな時間に、どうしたんだろう。
 確か、翔流くんの家はそっちの方角ではないはず。

 まあいいか、と歩き出した菜月だが、立ち止まる。
 そういえば、さっきは言いすぎたかな。
 確かにきついことを言われて腹がたった。
 それでも危険を承知で助けてくれた恩人に、あんな言い方はなかったと反省する。

 あやまろう。

 同じクラスとはいえ、学校では翔流くんに話しかけづらい。
 だから、今なら謝りやすいと思い、菜月は翔流の後を追う。
 しかし、足速に歩く翔流の元になかなか追いつけない。
 そうこうするうちに、翔流は例の交差点で立ち止まった。
 菜月もようやく翔流の元へと近づく。

「翔流く……ん……」
 息をはずませ、声をかけようとしたその時、目の前が真っ白になった。
 足元をふらつかせ、菜月はふらりと赤信号の横断歩道を渡ろうと歩き出す。
「おい!」
 菜月の存在に気づいた翔流が声を上げた。

 菜月めがけて大型トラックが走ってくる。
 パーっとけたたましく、クラクションが鳴った。
 その音が、菜月の耳に遠くに聞こえてくる。

 ちゃんと聞こえているはずなのに、菜月の目はどこか虚ろであった。
 足取りもぎこちない。

「目を覚ませ、神埜!」
 名前を呼ばれたと同時に、強い力に引き寄せられ歩道に戻される。
 瞬間、すぐ側をトラックが走り抜けた。
 風圧で髪が揺れ、スカートの裾が大きくひるがえった。

「しっかりしろ! 神埜」
 遠くで名前を呼ばれているような気がした。
 意識がもうろうとして返事ができない。

 身体がぐらぐらする。
 翔流は上着のポケットから数珠を取り出した。
 その数珠を指に絡めると、腕を振り上げ、菜月の背中をぱしりと叩く。

「神埜さんから離れろっ!」
「かは……っ」
 叩かれた衝撃で、菜月は前のめりになって息を吐き出した。
 そこで、ようやく、うつろだった菜月の目の焦点が結ばれた。