鴻巣翔流の心霊事件 -学校一のイケメンは霊能者!-

「菜月っ!」
 翔流くんと並んで、菜月は診察室前の長椅子に座っていた。
 名を呼ぶ声に顔を上げる。
 廊下の向こうから、血相を変えた父、征樹が走ってくるのが見えた。
 慌てて駆けつけてきたらしく、征樹のひたいには大量の汗が浮かんでいる。

「菜月っ!」
 駆け寄ってきた征樹に、ギュッと抱きしめられた。
「事故にあったと学校から連絡が入って駆けつけた。何ともないのか! 怪我は? ちゃんと診てもらったのか!」
「パパ……」
 こんなに余裕のないパパを見るのは初めてだ。

「軽く捻挫しただけだよ」
 抱きつくパパを両手で押し戻し、菜月は湿布の貼った右足首をさすった。
「捻挫だと! みせてみろ!」
「ちょ、ほんとにたいしたことないから」
 足首をつかもうとする征樹から、菜月は逃げる。

 征樹は凄まじい形相で、側にいた看護師につめ寄った。
 突然、超イケメン色男に迫られた看護師は、顔を赤くする。
「菜月は本当にだいじょうぶなんですか! 足は治りますか? 大事な……」
「ええと、あの、すみません。どちらさ……」
「菜月の父です!」
 間髪いれず、征樹は答える。
 父だ、と言う征樹と、椅子に座る菜月を交互に見た看護師は、目を丸くする。
 隣に座っていた翔流も、え゛っ! と、驚いた声をもらしたのを聞き逃さなかった。

「菜月さんのお父さま、ですか。え、でも、ずいぶん、お若いような……」
「そんなことより! 菜月は!」
 さらに、つめ寄る征樹に、看護師は落ち着いてください、と両手で制する。
「菜月さんはだいじょうぶですよ。足首が痛むと言っていたので、レントゲンをとりました。結果は問題ありません。それと、念のため、他にも異常がないか精密検査をしましたが、見たところ問題はないようです。詳しい結果は後日……」
 征樹はほっとしたように張っていた肩をおろす。

「よかった……」
 看護師は今度は翔流に向き直る。
「翔流くんも、腕の傷の塗り薬を出すからね」
「はい」
「傷口が落ち着くまできちんと塗ること。もし何かあったら診せに来て。菜月さんも、体調が悪くなったらすぐに病院に来るのよ」
「ありがとうございます」
 征樹は深々と頭を下げた。

「二人ともお大事に」
 看護師がこの場から離れると同時に、征樹は菜月の前に膝をつく。
「よかった。本当によかった……」
「心配かけてごめんなさい、パパ」
「菜月が事故にあったと聞いたときは、心臓が止まるかと思った。とにかく、無事な姿を見て安心した」

 確かに、病院に駆けつけてきた時のパパの顔は、まるでこの世の終わりのような顔をしていた。
「あのね、パパ」
「うん?」
 菜月は隣にいる翔流を紹介する。
「同じクラスの鴻巣翔流くん。翔流くんが助けてくれたの。捻挫だけですんだのも、翔流くんのおかげ」
「君が、菜月を?」
 膝をついていた征樹は立ち上がり、翔流に向かって深々と頭を下げる。

「娘を助けてくれてありがとう」
「別に、たいしたことはしてないから」
 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに翔流は言う。

 人の命を救って、たいしたことないは謙虚すぎる。
 頭を下げた征樹の目が、翔流の右腕に向く。
 腕には絆創膏が貼られていて、血がにじんでいた。
 菜月を助けたときに、地面にこすってすりむいたのだ。

 翔流は怪我をした右腕を隠すように背中に持っていき、立ち上がった。
「じゃあ僕、帰ります」
 歩き出そうとした翔流を、征樹は引き止める。
「待ちなさい。車で送ろう。お家の人にもきちんとお礼が言いたい」
「ありがとうございます。だいじょうぶです。家近いし、歩いて帰れますから」
「翔流くん」
 再び引き止める征樹の声に振り返ることはなく、翔流は足早に去って行った。

 菜月は翔流の姿が見えなくなるまで、見送った。
「しっかりした子だな。今度、あらためてお礼にうかがおう」
「そうだね」
 征樹は腕を組み、片手をあごに添えた。

「それにしても、なかなかの美少年だったな、あの子」
「女子たちに人気だよ。もちろん男子にも。みんなから慕われていて、勉強もできて、スポーツも得意」
 と、答えつつも、菜月はどこか釈然としない表情を浮かべる。
 助けてもらわなければ、間違いなく怪我だけでは済まなかった。
 分かってはいるが、翔流に怒鳴られたことがいまだにショックで混乱していた。

『おまえ、こんなことをしてどういうつもりだ! 許さないぞ!』

 なぜ怒られなければならなかったのか。
 それに、許さないとはどういう意味なのだろう。
「俺たちも行こう」
「パパ、運転していた人は無事だったの?」
 ひたいから血を流した運転手の姿がまぶたの裏に焼き付いている。

 征樹は安心しろというように、菜月の頭にぽんと手を置いた。
「ああ、無事だったようだぞ。意識も取り戻し、怪我もたいしたことはなかったらしい」
 菜月はほっと息をもらす。
 それならよかった。

「薬局で薬を貰って帰ろう。歩けるか。なんなら、パパがおんぶしてやるぞ」
 背中に乗るか? と示してくる征樹の背を、菜月はぱしっと叩く。
「あ、歩けるから」
「照れなくていいぞ」
「だからだいじょうぶだって。それに照れていないし。恥ずかしいからやめて!」

 突っぱねられた征樹はしょんぼりと、大型犬がうなだれるように肩を落とす。
 そんな二人のやりとりを見ていた周りの人が、くすくすと笑っている。
「菜月、腹が減ってないか? 飯でも食って帰ろう。何が食べたい?」
「お仕事に戻らなくていいの?」
「こんな状態で仕事に戻っても、菜月のことが心配で仕事にならない。それと、しばらく家のことは俺がやる。菜月はゆっくり休んでいろ」

「パパが掃除、洗濯するの? えーできるの?」
「あたりまえだ。俺だってやろうと思えば」
 菜月はくすくすと肩を揺らして笑った。
「ありがとう、パパ。大好き」
 先を歩く征樹の背に、菜月は小声で呟く。

「ん? 何か言ったか?」
 振り返る征樹の横顔に、窓から差し込む明るい日差しが斜めに落ちる。
 菜月の胸が、かすかにキュっとした。
「ううん、何でもない!」
 前を歩く父の、広くて頼もしい背中を見つめ、菜月は小走りで後を追いかけた。


 その日の夜。
 お風呂からあがった菜月は、怖々というように足首を見る。
 菜月は息を飲んだ。

 なにこれ……。

 そこには指の跡のような痣が残されていた。
 まるで、何者かに足首をきつくつかまれたような痣が。