【二十三時四十五分】
昼間の熱気は消え、夜の空気はひんやりとしていた。
だけど私の頬は熱いままだった。
駅へと向かう一本道。
このまま歩けば終電には十分間に合う。
それなのに、なぜか足が進まなかった。
神谷先輩とのやりとりがよみがえり私の判断を鈍らせる。
タバコの煙越しの声。香水の香り。男らしい横顔。余裕のある笑い方。
たぶんあの人は、私だけじゃなく誰にでもああいう思わせぶりなことを言うんだ。
わかっているのにどうしても『戻っておいで』という言葉が耳から離れない。
どうしていいのかわからず途方にくれていると、ポケットの中のスマホが震えた。
もしかして――と勝手に心が期待する。
慌てて取り出した画面に表示されたのは大輝の名前だった。
〝どこにいる? 財布も鍵も持って行かなかっただろ。とりあえず連絡くれ〟
なにも持たず飛び出した私を心配してくれている。
ちゃんと、気遣ってくれている。
それなのに、どうしてこんなに落胆しているんだろう。
「……私、最低だ」
期待してた。神谷先輩からの連絡を。
ひとり立ち尽くし、唇を噛んだ。
目の奥がじんわりと熱くなった。


