深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった


 柚子が早めに立ち寄ったのとは反対に、常連たちがLAMPに顔を出し始めたのは、間もなく深夜に差し掛かろうというところだった。
 二時間もぼんやりしている事に気が付いたものの、皆が来るとやはり多少は話をしたくて、ずるずると居座ってしまう。
 
 トシさんが「今日ロケ長かった〜」と言いながら入ってきて、結城さんが無言でワインを飲んでいて、モデルの香菜さんが「寒い寒い」と言いながらコートを脱いだ。

 いつもの時間が始まる。
 
 そんな空間の片隅で、さっきの会話を反芻していた。
 
 本当のことを歌っているから、体に入ってくる。
 
 自分で言った言葉なのに、改めて聞くと、そうだな、と思う。
 説明できない感動の方が本物。
 
 九条が言った言葉が、すとんと胸に落ちてくる。
 
 トシさんが急に「そういえば九条さん、楽器できるんですか」と聞いた。
 
「少し」
 
「また少しだ」とトシさんが笑う。

「ギター? ピアノ?」
 
「どちらも、少し」
 
「じゃあ弾いてくださいよ。マスター、ここギターありましたよね」
 
「壁に飾ってあるやつ、弾けますよ」
 
 九条は断るかと思った。

「じゃあ、鳴らしてみようかな」と立ち上がる姿に意外だなと思ったのだ。
 
 壁に飾られていたアコースティックギターを手に取って、チューニングを確認し始める。
 九条の慣れた手つきは『少し弾ける』程度の人間には見えなかった。
 
 椅子に座って、ギターを構える。
 
 そして、彼が弦を弾き始めた瞬間、柚子は呼吸するのを忘れていた。
 
 曲は知らない曲だった。
 インストで、メロディが静かで、どこか体の奥に忍び込んでくる。
 仄かなオレンジ色をした照明の中で、九条の指が弦を押さえて、音が深夜のカフェに溶けていった。
 
 トシさんが黙って聴いている。
 マスターが手を止めた。
 結城さんが目を閉じたまま、いつもより少し表情が柔らかい。
 
 九条が弾いていたのは一分程度だろうか。
 演奏をやめて、ギターは再び壁の飾りとなる。
 
「それ、少しじゃないじゃないですか」とトシさんが言った。
 
「趣味程度です」
 

 
 さっきのメロディは、どこかで聴いた気がした。
 いや、聴いたことは恐らくないのだけれど。
 自分が九条に伝えていた音楽観と、同じ空気感の旋律。
 
「九条さん」
 
 気づいたら、彼の名前を読んでいた。
 
「その曲、あなたが作ったんですか」
 
 一瞬の間があった。
 
「いいえ」
 
 そうか、と思いながらも、何かが引っかかったまま、カモミールティーの残りを飲んだ。
 
「今日、野口さんが録った曲、聴いてみたいです」
 
 唐突な返しに思わず、瞳を瞬かせる。
 
「さっきの話。できあがったら、いつか聴かせてもらえませんか」
 
「……リリースされたら、ぜひ、聴いてください」
 
「楽しみにしてます」
 
 趣味程度で、あの音は出ない。
 柚子はそれをもう一度頭の中でなぞって、答えを出す前に、トシさんが「腹減った」と言い出したので、考えるのをやめた。