ジークが「なんだと!?」と叫ぶと、ロアンナの側で幽霊ライズが嬉しそうに一回転した。
『やりましたね、ロアンナ様!』
『ライズさん、あなたのおかげよ』
声に出さず心の中で返事をしてから、ロアンナは微笑んだ。そして、すぐにジークに視線を戻す。
「殿下は、今の状況がまだ理解できていないご様子ですね」
ロアンナが暗闇に向かって「出てきてください」と声をかけると、茂みがガサッと大きく揺れた。
ランプの明かりに照らされた、銀髪騎士団長の顔を見てジークは驚愕する。
「ど、どうして、デュアンがここに!?」
デュアンは礼儀正しく頭を下げた。
「王太子殿下にご挨拶を申し上げます。本日は、レイ・クラウチに仕事上の話があり、王太子宮に滞在しておりました」
「聞いていないぞ!」
不思議そうにロアンナは首をかしげる。
「私の護衛騎士の来客を、殿下に報告する必要がありますか?」
もし、デュアンがロアンナに会いに来ていたら、すぐに侍女長に知られて警戒されていただろう。しかし、上司が部下を訪ねただけなので、問題視されずジークの耳まで届かなかったようだ。もちろん、そうなるようにわざと仕組んだことだった。
(それだけではないのよね)
これまでライズと一緒に徹底的に張り巡らせた罠を、ロアンナは思い返した。
*
一番初めにしたことは、ロアンナの専属メイドになったエリーに王太子宮内で、ジークから受けた酷い仕打ちを「ここだけの話……」や「内緒にしてね」と涙ながらに言いふらしてもらうこと。
それと同時に「ロアンナ様はとてもお優しくて」や「ジーク殿下とは違い、味方は絶対に裏切らないわ」という内容も流す。
その結果、使用人達の間でジークの評判は、美しい王太子殿下から、使用人を簡単に切り捨てる冷酷非道な主に変わったようだ。これまでの使用人達は、ロアンナが嫌がらせされていても「関係ない」と高みの見物をしてきたが、自分達の身に危険が降りかかってくるのなら話は別だった。
その噂を耳にしたお飾りメイド三人が、ライズの予想通りロアンナに保護してもらおうと訪ねてきた。
顔面蒼白な彼女達は、かすれた声で「今まで大変申し訳ございませんでした」と謝罪しながら床に座り込んだ。祈るように指を組み合わせて、涙ながらにロアンナを見上げている。
「私達が愚かでした」
「どうか、ご慈悲を……」
カタカタと震える姿を見ながら、ロアンナは内心でため息をついた。
『ここまで怯えるなんて、私、そんなに怖いかしら?』
幽霊ライズが、ブンブンと勢いよく体を左右に振っている。
『違いますよ! 彼女達はロアンナ様に今までどれほど無礼な態度を取ってきたのか、その罪の重さをようやく理解したのでしょう。すぐに許す必要はありません。彼女達の罪悪感を利用します』
白くて丸い幽霊姿に似合わず、ライズの発言はなかなか過激だ。
『今は手段は選んでいられないものね』
『そうです!』
『それで、どうするの?』
『こう言ってください』
ロアンナはライズの指示通り、お飾りメイド達に伝えた。
「これから私の命令に従うのなら、今までの無礼を許し、ジーク殿下からも保護してあげるわ」
お飾りメイド達は、感謝の言葉と共にその提案に飛びついた。
その日から、ジークの言動はこちら側に筒抜けだ。
一方、ロアンナはというと、バルコニーで一人、ティータイムを楽しんでいるように見せかけて、密かに幽霊ライズと声を出さずに会話することが、もはや日課になりつつあった。
『ジーク殿下は、だいぶ荒れているようね』
『睡眠も取れていないらしく、目の下にうっすらとクマができていましたよ。精神的にも参っているようなので、解決策を匂わせてジーク殿下の思考や行動を制限しましょう』
そんなことができるのだろうかと不安になることでも、ライズが言えば「できるのね」とロアンナは納得してしまう。
ライズの提案はこうだ。
『街の情報屋に、わざとロアンナ様の情報を売りましょう。もちろん、知られても問題が起きない範囲で』
『私の情報を売る?』
『はい。弟さんにお願いできますか? 親族からの情報提供は信憑性が高いと判断され、高額で買い取ってもらえるはずです』
ライズが話した内容を、ロアンナがまとめる。
『売る情報は、私は子どもの頃に見えない何かと話していた。それは、失われた【英雄の能力】なのではないか? あとは、クラウチ侯爵家が神殿に多額の寄付をして何かを取り寄せた。これらはすべて真実ね』
ライズは、嬉しそうに両手をピョコピョコと動かしている。
『そうです。そして、真実の中に嘘をコソッと混ぜるとバレないって、俺のじいちゃんが言ってました』
『なるほど。混ぜる嘘は、神殿から取り寄せたものが私の【英雄の能力】をコントロールするものではないか、というところね』
『はい。この情報を得たジーク殿下は、そのアイテムを探さずにはいられないかと。何かそれっぽいものはないでしょうか? 普段からロアンナ様が大切にしているものとか……』
ロアンナは、ライズに向かってちょいちょいと手招きした。そして、不思議そうにフワフワと近づいてきたライズのリボンを指さす。
『私達のおそろいリボンはどうかしら? いつも宝石箱に入れているし、ときどき身につけているから勘違いしてくれるかもしれないわ』
『いいですね! それでいきましょう。では、ジーク殿下が情報屋からロアンナ様の情報を買うように、お飾りメイド達に誘導させてください』
『分かったわ』
ロアンナのティーカップが空なことに気がついた専属メイドのエリーが、すぐに新しいお茶を注ぐ。
「ありがとう。エリー」と微笑みかけてから、ロアンナはライズとの声のない会話を再開した。
『これで、ジーク殿下本人が動くかしら?』
『確証はありません。殿下が誰かを雇うかもしれませんし、侍女長が動くかもしれませんから。しかし、今まで決して超えてこなかった一線を敵に越えさせることにより、今の防戦一方の状況を動かすことはできるかと』
『うまくいくといいのだけど……』
つぶらな瞳が、ニコッと三日月の形になる。
『ロアンナ様。うまくいかなければ、うまくいくまで、いろんな方法を試すだけですよ』
その後もライズは、徹底的にジークを嵌める罠を王太子宮内に張り巡らせた。ロアンナの宝石箱を分かりやすい場所に置き、盗んだ者がすぐにジークの自室に戻らないように、決行日はお飾りメイド達をジークの部屋に配置することに決めた。
ある日の静かなティータイムでは、ライズはロアンナに、しばらく入浴しないように頼んできた。
『難しいお願いをしてすみません!』と恐縮するライズに、ロアンナは「別にいいわよ」と軽く返す。
この国の空気はカラッとしていて、本来なら毎日入浴する必要はない。濡らしたタオルで体を拭くだけでも充分に清潔は保たれる。
クラウチ侯爵家では、異世界から来た亡き祖父の影響で、頻繁に入浴していたのでそれがロアンナの習慣になっていただけだ。
ライズの様子を見る限り、ライズも異世界から来た祖父の影響で、しょっちゅう入浴していたのかもしれない。
ロアンナは、優雅な仕草でティーカップをソーサーに戻した。
『ジーク殿下の指示で、私の宝石箱を盗んだ犯人を捕らえられたとしても大した罪にはできないわ。揉み消されてなかったことにされてしまうかもしれない』
『そうですね。それを防ぐために、王太子宮外の人間の目撃者を作りましょう。馬で早がけ勝負をした騎士団長にお願いするのはどうでしょうか?』
『デュアン卿ね』
元お飾りメイドだったルルの兄デュアンは、その後、ルルから真相を聞いたようで長い謝罪文が届いていた。末尾には、「父が王都に着き次第、共に謝罪に伺います」とあり、「それまでにも何か協力できることがあれば、喜んで協力させていただきます」と書かれていた。
『お願いしてみましょう』
そうして、その日の静かなティータイムは終わった。その後、デュアンから快く承諾する手紙が送られてくることになる。
*
これまでの出来事を回想していたロアンナは、目の前の現実に意識を戻した。
暗がりの中、オイルランプの灯りに照らされたジークの目は、恐ろしいほど吊り上がっている。その姿は、物語に出てくる性格の悪い妖精そのものだ。
(宝石箱を盗んだジーク殿下が、人を避けて庭園に向かったのは、実は王太子宮の騎士達にデュアン卿がその配置につくように命じていたからなのよね……)
ちなみに、王太子宮の本当の管理者であるロアンナの名の元に、デュアンが命じたので問題はない。
(リボンは偽物と入れ替えておいたから、本物は無事だし)
そうとも知らずジークは、リボンを燃やせたと喜んでいた。
ここまでは、本当に何もかもライズの想定通りだ。
『さぁ、敵大将を同じ戦場に引きずり出しましたよ! こちらの準備は万端! ロアンナ様、ボコボコにしてやりましょう!』
ライズはまた、小さな手でシュッシュッと殴るような動きをしている。
『そうね』
夜の冷たい空気をゆっくりと吸い込むと、ロアンナの心は落ち着いていく。これまでの理不尽な仕打ちが思い出されて、胸が締め付けられるように痛んだ。その痛みをこの場ですべて捨ててしまうように、ロアンナは静かに息を吐く。そして、ジークをまっすぐ見据えた。
「ジーク殿下が不当な理由で婚約者である私を虐げていたことは、今回のことで明らかになりましたね。また、私の大切なものを盗み出したことも大きな問題になるでしょう。それらは、こちらのデュアン卿が証言してくださいます」
デュアンは、同意するように右手を胸に当てて会釈した。
「私達の婚約を破棄することには賛成です。ただし、それはあなたの傲慢さや意地の悪さ、そして、配下を使い捨てる冷酷さ、そのすべてを公表したのちに、ジーク殿下の有責で行われることです」
憎悪で顔を歪めるジークには、もう美しさの欠片も残っていない。
「ジーク殿下。あなたに、その覚悟はありますか?」
ロアンナの問いかけをジークは鼻で笑い飛ばした。
「ロアンナ、おまえは間違っている」
端整なロアンナの眉がピクッと動く。
「私がおまえの宝石箱を盗んだだと? そんなことするわけないじゃないか。これはすべて、そこにいる侍女長が勝手にやったこと。私はむしろ、おまえの宝を取り返してやろうとしたんだぞ」
ロアンナは弟レイが取り押さえていた侍女長に視線を向けた。ランプの灯りしかないこの場所でも分かるくらい、侍女長の顔色が悪い。
「殿下。王太子宮で盗みを働いた使用人は死罪になります。しかし、王族のあなたなら罰を受ける程度。それが分かった上で、今回のことを侍女長がやったと言うのですか?」
ロアンナの問いに、ジークは少しのためらいもなく「ああ、そうだ!」と言い切った。
「レイ。侍女長を離してあげて」
拘束を解かれた侍女長は、そのまま倒れるように地面に崩れ落ちた。震えが止まらないようで、歯がカチカチと鳴っている。
(ここまであからさまに捨て駒扱いされたら、さすがに侍女長もジーク殿下を見限るでしょうね)
そう思ったロアンナが「殿下はああ言っていますが、そうなのですか?」と尋ねると、侍女長は暗い目をロアンナに向けた。
「侍女長。答えには気をつけなさい。命にかかわりますよ」
侍女長は、涙を流しながら頬を引きつらせている。それなのに、しばらくの沈黙ののち、すべてを諦めたように穏やかに微笑んだ。
「はい、そうです。すべて私がやりました。殿下に罪はございません」
予想外の答えに、ロアンナは息を呑む。
耳元でライズのあせる声が聞こえた。
『やられた!』
『やりましたね、ロアンナ様!』
『ライズさん、あなたのおかげよ』
声に出さず心の中で返事をしてから、ロアンナは微笑んだ。そして、すぐにジークに視線を戻す。
「殿下は、今の状況がまだ理解できていないご様子ですね」
ロアンナが暗闇に向かって「出てきてください」と声をかけると、茂みがガサッと大きく揺れた。
ランプの明かりに照らされた、銀髪騎士団長の顔を見てジークは驚愕する。
「ど、どうして、デュアンがここに!?」
デュアンは礼儀正しく頭を下げた。
「王太子殿下にご挨拶を申し上げます。本日は、レイ・クラウチに仕事上の話があり、王太子宮に滞在しておりました」
「聞いていないぞ!」
不思議そうにロアンナは首をかしげる。
「私の護衛騎士の来客を、殿下に報告する必要がありますか?」
もし、デュアンがロアンナに会いに来ていたら、すぐに侍女長に知られて警戒されていただろう。しかし、上司が部下を訪ねただけなので、問題視されずジークの耳まで届かなかったようだ。もちろん、そうなるようにわざと仕組んだことだった。
(それだけではないのよね)
これまでライズと一緒に徹底的に張り巡らせた罠を、ロアンナは思い返した。
*
一番初めにしたことは、ロアンナの専属メイドになったエリーに王太子宮内で、ジークから受けた酷い仕打ちを「ここだけの話……」や「内緒にしてね」と涙ながらに言いふらしてもらうこと。
それと同時に「ロアンナ様はとてもお優しくて」や「ジーク殿下とは違い、味方は絶対に裏切らないわ」という内容も流す。
その結果、使用人達の間でジークの評判は、美しい王太子殿下から、使用人を簡単に切り捨てる冷酷非道な主に変わったようだ。これまでの使用人達は、ロアンナが嫌がらせされていても「関係ない」と高みの見物をしてきたが、自分達の身に危険が降りかかってくるのなら話は別だった。
その噂を耳にしたお飾りメイド三人が、ライズの予想通りロアンナに保護してもらおうと訪ねてきた。
顔面蒼白な彼女達は、かすれた声で「今まで大変申し訳ございませんでした」と謝罪しながら床に座り込んだ。祈るように指を組み合わせて、涙ながらにロアンナを見上げている。
「私達が愚かでした」
「どうか、ご慈悲を……」
カタカタと震える姿を見ながら、ロアンナは内心でため息をついた。
『ここまで怯えるなんて、私、そんなに怖いかしら?』
幽霊ライズが、ブンブンと勢いよく体を左右に振っている。
『違いますよ! 彼女達はロアンナ様に今までどれほど無礼な態度を取ってきたのか、その罪の重さをようやく理解したのでしょう。すぐに許す必要はありません。彼女達の罪悪感を利用します』
白くて丸い幽霊姿に似合わず、ライズの発言はなかなか過激だ。
『今は手段は選んでいられないものね』
『そうです!』
『それで、どうするの?』
『こう言ってください』
ロアンナはライズの指示通り、お飾りメイド達に伝えた。
「これから私の命令に従うのなら、今までの無礼を許し、ジーク殿下からも保護してあげるわ」
お飾りメイド達は、感謝の言葉と共にその提案に飛びついた。
その日から、ジークの言動はこちら側に筒抜けだ。
一方、ロアンナはというと、バルコニーで一人、ティータイムを楽しんでいるように見せかけて、密かに幽霊ライズと声を出さずに会話することが、もはや日課になりつつあった。
『ジーク殿下は、だいぶ荒れているようね』
『睡眠も取れていないらしく、目の下にうっすらとクマができていましたよ。精神的にも参っているようなので、解決策を匂わせてジーク殿下の思考や行動を制限しましょう』
そんなことができるのだろうかと不安になることでも、ライズが言えば「できるのね」とロアンナは納得してしまう。
ライズの提案はこうだ。
『街の情報屋に、わざとロアンナ様の情報を売りましょう。もちろん、知られても問題が起きない範囲で』
『私の情報を売る?』
『はい。弟さんにお願いできますか? 親族からの情報提供は信憑性が高いと判断され、高額で買い取ってもらえるはずです』
ライズが話した内容を、ロアンナがまとめる。
『売る情報は、私は子どもの頃に見えない何かと話していた。それは、失われた【英雄の能力】なのではないか? あとは、クラウチ侯爵家が神殿に多額の寄付をして何かを取り寄せた。これらはすべて真実ね』
ライズは、嬉しそうに両手をピョコピョコと動かしている。
『そうです。そして、真実の中に嘘をコソッと混ぜるとバレないって、俺のじいちゃんが言ってました』
『なるほど。混ぜる嘘は、神殿から取り寄せたものが私の【英雄の能力】をコントロールするものではないか、というところね』
『はい。この情報を得たジーク殿下は、そのアイテムを探さずにはいられないかと。何かそれっぽいものはないでしょうか? 普段からロアンナ様が大切にしているものとか……』
ロアンナは、ライズに向かってちょいちょいと手招きした。そして、不思議そうにフワフワと近づいてきたライズのリボンを指さす。
『私達のおそろいリボンはどうかしら? いつも宝石箱に入れているし、ときどき身につけているから勘違いしてくれるかもしれないわ』
『いいですね! それでいきましょう。では、ジーク殿下が情報屋からロアンナ様の情報を買うように、お飾りメイド達に誘導させてください』
『分かったわ』
ロアンナのティーカップが空なことに気がついた専属メイドのエリーが、すぐに新しいお茶を注ぐ。
「ありがとう。エリー」と微笑みかけてから、ロアンナはライズとの声のない会話を再開した。
『これで、ジーク殿下本人が動くかしら?』
『確証はありません。殿下が誰かを雇うかもしれませんし、侍女長が動くかもしれませんから。しかし、今まで決して超えてこなかった一線を敵に越えさせることにより、今の防戦一方の状況を動かすことはできるかと』
『うまくいくといいのだけど……』
つぶらな瞳が、ニコッと三日月の形になる。
『ロアンナ様。うまくいかなければ、うまくいくまで、いろんな方法を試すだけですよ』
その後もライズは、徹底的にジークを嵌める罠を王太子宮内に張り巡らせた。ロアンナの宝石箱を分かりやすい場所に置き、盗んだ者がすぐにジークの自室に戻らないように、決行日はお飾りメイド達をジークの部屋に配置することに決めた。
ある日の静かなティータイムでは、ライズはロアンナに、しばらく入浴しないように頼んできた。
『難しいお願いをしてすみません!』と恐縮するライズに、ロアンナは「別にいいわよ」と軽く返す。
この国の空気はカラッとしていて、本来なら毎日入浴する必要はない。濡らしたタオルで体を拭くだけでも充分に清潔は保たれる。
クラウチ侯爵家では、異世界から来た亡き祖父の影響で、頻繁に入浴していたのでそれがロアンナの習慣になっていただけだ。
ライズの様子を見る限り、ライズも異世界から来た祖父の影響で、しょっちゅう入浴していたのかもしれない。
ロアンナは、優雅な仕草でティーカップをソーサーに戻した。
『ジーク殿下の指示で、私の宝石箱を盗んだ犯人を捕らえられたとしても大した罪にはできないわ。揉み消されてなかったことにされてしまうかもしれない』
『そうですね。それを防ぐために、王太子宮外の人間の目撃者を作りましょう。馬で早がけ勝負をした騎士団長にお願いするのはどうでしょうか?』
『デュアン卿ね』
元お飾りメイドだったルルの兄デュアンは、その後、ルルから真相を聞いたようで長い謝罪文が届いていた。末尾には、「父が王都に着き次第、共に謝罪に伺います」とあり、「それまでにも何か協力できることがあれば、喜んで協力させていただきます」と書かれていた。
『お願いしてみましょう』
そうして、その日の静かなティータイムは終わった。その後、デュアンから快く承諾する手紙が送られてくることになる。
*
これまでの出来事を回想していたロアンナは、目の前の現実に意識を戻した。
暗がりの中、オイルランプの灯りに照らされたジークの目は、恐ろしいほど吊り上がっている。その姿は、物語に出てくる性格の悪い妖精そのものだ。
(宝石箱を盗んだジーク殿下が、人を避けて庭園に向かったのは、実は王太子宮の騎士達にデュアン卿がその配置につくように命じていたからなのよね……)
ちなみに、王太子宮の本当の管理者であるロアンナの名の元に、デュアンが命じたので問題はない。
(リボンは偽物と入れ替えておいたから、本物は無事だし)
そうとも知らずジークは、リボンを燃やせたと喜んでいた。
ここまでは、本当に何もかもライズの想定通りだ。
『さぁ、敵大将を同じ戦場に引きずり出しましたよ! こちらの準備は万端! ロアンナ様、ボコボコにしてやりましょう!』
ライズはまた、小さな手でシュッシュッと殴るような動きをしている。
『そうね』
夜の冷たい空気をゆっくりと吸い込むと、ロアンナの心は落ち着いていく。これまでの理不尽な仕打ちが思い出されて、胸が締め付けられるように痛んだ。その痛みをこの場ですべて捨ててしまうように、ロアンナは静かに息を吐く。そして、ジークをまっすぐ見据えた。
「ジーク殿下が不当な理由で婚約者である私を虐げていたことは、今回のことで明らかになりましたね。また、私の大切なものを盗み出したことも大きな問題になるでしょう。それらは、こちらのデュアン卿が証言してくださいます」
デュアンは、同意するように右手を胸に当てて会釈した。
「私達の婚約を破棄することには賛成です。ただし、それはあなたの傲慢さや意地の悪さ、そして、配下を使い捨てる冷酷さ、そのすべてを公表したのちに、ジーク殿下の有責で行われることです」
憎悪で顔を歪めるジークには、もう美しさの欠片も残っていない。
「ジーク殿下。あなたに、その覚悟はありますか?」
ロアンナの問いかけをジークは鼻で笑い飛ばした。
「ロアンナ、おまえは間違っている」
端整なロアンナの眉がピクッと動く。
「私がおまえの宝石箱を盗んだだと? そんなことするわけないじゃないか。これはすべて、そこにいる侍女長が勝手にやったこと。私はむしろ、おまえの宝を取り返してやろうとしたんだぞ」
ロアンナは弟レイが取り押さえていた侍女長に視線を向けた。ランプの灯りしかないこの場所でも分かるくらい、侍女長の顔色が悪い。
「殿下。王太子宮で盗みを働いた使用人は死罪になります。しかし、王族のあなたなら罰を受ける程度。それが分かった上で、今回のことを侍女長がやったと言うのですか?」
ロアンナの問いに、ジークは少しのためらいもなく「ああ、そうだ!」と言い切った。
「レイ。侍女長を離してあげて」
拘束を解かれた侍女長は、そのまま倒れるように地面に崩れ落ちた。震えが止まらないようで、歯がカチカチと鳴っている。
(ここまであからさまに捨て駒扱いされたら、さすがに侍女長もジーク殿下を見限るでしょうね)
そう思ったロアンナが「殿下はああ言っていますが、そうなのですか?」と尋ねると、侍女長は暗い目をロアンナに向けた。
「侍女長。答えには気をつけなさい。命にかかわりますよ」
侍女長は、涙を流しながら頬を引きつらせている。それなのに、しばらくの沈黙ののち、すべてを諦めたように穏やかに微笑んだ。
「はい、そうです。すべて私がやりました。殿下に罪はございません」
予想外の答えに、ロアンナは息を呑む。
耳元でライズのあせる声が聞こえた。
『やられた!』



