まるで小動物のように怯えるエリーに、ロアンナはできるだけ優しく声をかけた。
「落ち着いて聞いてね。私はあなたにこれ以上、罰を与えるつもりはないし、エリーさんが望まないことを強要するつもりもありません。だから一度、王太子宮に戻りましょう」
「で、でも、私……。ジーク殿下に、追い出されて……」
ロアンナの口元に困ったような笑みが浮かぶ。
「あなた達は忘れているようだけど、王太子宮の管理責任者は私なのよ。メイドを管理するのは、本来は私の仕事なの」
「あっ……」
ロアンナが持つべき権利を、ジークと共に散々踏みにじってきたことを思い出したのか、エリーの顔は青ざめていく。
これまでのエリーの言動は、ジークから愛されていることが前提であって、ロアンナを追い出した後、自分が王太子妃になるつもりだったからできたことだった。そのすべてを失った今、エリーはようやく現実が見えてきた。
「侯爵令嬢であるロアンナ様に、今まで、なんて無礼を……。私が愚かでした。大変申し訳ありません。この罪をどう償えばいいのか……」
「あなたは、もう罰を受けたわ」
ロアンナは「さぁ、立って」と、エリーに手を差し伸べた。おそるおそる置かれたエリーの手は、冷え切っていて氷のように冷たい。
驚いたロアンナが「あなた、大丈夫なの? 早く身体を温めないと」と手を握ると、エリーの瞳に涙がにじんだ。
「ロアンナ様……」
緊張の糸が切れたのか、体力の限界だったのか、エリーはフッと気を失ってしまった。
倒れそうになるエリーを、レイが抱き留める。
「レイ、丁重に運んであげて」
「分かった」
レイはエリーを横抱きで抱きかかえると、乗ってきた馬車へと向かった。
フゥとため息をついたロアンナの横で、幽霊のライズが『ありがとうございます!』と弾んでいる。
『ライズさんったら急に戻ってきて、助けてください! と叫ぶんだもの。驚いたわ』
『すみません……』
しょんぼりするライズに、ロアンナは微笑みかけた。
『でも、エリー様を止められて良かった。ありがとう、ライズさん』
歩き出したロアンナの後を、ライズが照れながらついてくる。
ロアンナが馬車に乗り込むと、先に乗っていたレイが眉をひそめていた。馬車の御者に聞こえないようにするためか、レイの声は小さい。
「姉さん。血が止まっていないみたいだ」
そう言いながら、レイはエリーの背中の汚れを指さす。
「あら、大変! 急いで治療しないと」
慌てるロアンナを見て、レイはため息をついた。
「姉さんは優しすぎるよ。この子が今まで姉さんにしてきたことを思ったら、僕は可哀想だとは思えない。それでも、一度でも愛を語り合った女性を、こんな状態で追い出すジーク殿下のやり方には嫌悪感を覚えるけどね」
エリーの様子を見る限り、彼女がジークを愛していたのは事実だろう。しかし、ジークにとってエリーは、都合のいい恋愛ごっこの相手だったようだ。
今回のことで、罰を受けたのはエリーだけ。傷ついたのもエリーだけ。その点はロアンナも、納得できていない。
「私としては、今までジーク殿下と婚約破棄さえできればいいと思っていたけど……」
「こんなクズ男がいつか国王になるかと思うと、僕はこの国の将来が心配だよ!」
「そうなのよね」
ジークは、このままだと将来国王になる。王太子の今でさえ好き勝手しているのに、さらに強い権力を持たせたらどうなってしまうのか。
しかも、ジークはロアンナを目の敵にしている。
「私がジーク殿下と無事に婚約破棄できたとしても、ジーク殿下が私を嫌っていることは変わらないわ。その憎しみは、私だけではなく、いつかクラウチ侯爵家全体へと向かってもおかしくない」
「姉さん……」
ロアンナは、馬車内の重い空気をはらうようにパンッと手を叩いた。
「考え方を変えましょう。婚約破棄を目指すのではなく、この婚約を利用してジーク殿下を抑え込むのはどうかしら?」
「何を言って……」
ロアンナとレイの間に、ニュッとライズが顔を出した。
『いいですね、それ!』
「ライズさん!? まだいたの?」
ロアンナの声を聞いたレイも「え? ライズさん、まだいるの?」と辺りを見回す。
ガーンとショックを受けるライズに、ロアンナは慌てて言葉を続けた。
「だって、あなたは自分の身体がどうなっているのか見に行くのでしょう?」
『あっ、そうでした!』
「そうでしたって……」
そうこうしているうちに、馬車は王太子宮についてしまった。
ロアンナが「どうするの?」と声をかけると、ライズは小さな手で頭を抱えるように悩む。
『あー、うーん。明日! 明日になったら見に行きます!』
「あなたがそれでいいなら、いいけど……」
馬車から下りたロアンナは、背筋を伸ばして口を閉じた。
ここから先、誰が聞き耳を立てているのか分からないので、不用意な発言はできない。
ロアンナは、出迎えたメイドに医者を手配するように伝えてから自室に向かった。
ロアンナ付きの使用人が控えるための部屋にエリーを運び、慎重にうつ伏せに寝かせる。あとから部屋に来た医者にエリーの傷を治療してもらうと、もう日が暮れていた。
食事と入浴を済ませた頃、エリーの様子を見に行っていた幽霊ライズが報告のために戻ってきた。ナイトドレス姿のロアンナを見ないようにしているのか、ライズは背中を向けながら話し出す。
『エリーさんはまだ目覚めていませんが、血は止まったようです。このまま安静にしていたら、問題ないとお医者さんが弟さんに言っていました』
「そう、良かったわ」
ライズの話を聞きながら、ロアンナはベッドに腰をかけた。
(長い一日だった……)
騎士団長デュアンと馬で早駆け勝負をしたかと思ったら、エリーを助けるために馬車を飛ばした。
ロアンナのため息が聞こえたのか、ライズが気遣うように声をかける。
『ロアンナ様は、これからどうするんですか?』
「どうって?」
『その、先ほど婚約を続けたままジーク殿下を抑え込むと言っていたので』
「ああ、そのことね……」
疲労と共に眠気を感じたロアンナは、小さな欠伸を嚙みころす。
「まずは、お飾りメイドを一掃して、侍女長から管理権限を取り戻さないとね……。ゆくゆくは、王族がクラウチ侯爵家に手が出せないように対策をとって……」
まぶたが重い。ロアンナは、自分が何を話しているのか、分からなくなってきた。
「いっそのこと……新しい王子でも探してしまいたいわね」
『新しい王族といえば、王位継承権を持った公爵家の方達になりますね。あっそういえば、実は初代ノアマン辺境伯も元は王族なんですよ。その当時、武勇に優れた王弟殿下が臣籍降下して辺境伯を賜り――』
ライズの落ち着く声を子守歌代わりに、ロアンナは心地よい眠りに落ちていった。
「落ち着いて聞いてね。私はあなたにこれ以上、罰を与えるつもりはないし、エリーさんが望まないことを強要するつもりもありません。だから一度、王太子宮に戻りましょう」
「で、でも、私……。ジーク殿下に、追い出されて……」
ロアンナの口元に困ったような笑みが浮かぶ。
「あなた達は忘れているようだけど、王太子宮の管理責任者は私なのよ。メイドを管理するのは、本来は私の仕事なの」
「あっ……」
ロアンナが持つべき権利を、ジークと共に散々踏みにじってきたことを思い出したのか、エリーの顔は青ざめていく。
これまでのエリーの言動は、ジークから愛されていることが前提であって、ロアンナを追い出した後、自分が王太子妃になるつもりだったからできたことだった。そのすべてを失った今、エリーはようやく現実が見えてきた。
「侯爵令嬢であるロアンナ様に、今まで、なんて無礼を……。私が愚かでした。大変申し訳ありません。この罪をどう償えばいいのか……」
「あなたは、もう罰を受けたわ」
ロアンナは「さぁ、立って」と、エリーに手を差し伸べた。おそるおそる置かれたエリーの手は、冷え切っていて氷のように冷たい。
驚いたロアンナが「あなた、大丈夫なの? 早く身体を温めないと」と手を握ると、エリーの瞳に涙がにじんだ。
「ロアンナ様……」
緊張の糸が切れたのか、体力の限界だったのか、エリーはフッと気を失ってしまった。
倒れそうになるエリーを、レイが抱き留める。
「レイ、丁重に運んであげて」
「分かった」
レイはエリーを横抱きで抱きかかえると、乗ってきた馬車へと向かった。
フゥとため息をついたロアンナの横で、幽霊のライズが『ありがとうございます!』と弾んでいる。
『ライズさんったら急に戻ってきて、助けてください! と叫ぶんだもの。驚いたわ』
『すみません……』
しょんぼりするライズに、ロアンナは微笑みかけた。
『でも、エリー様を止められて良かった。ありがとう、ライズさん』
歩き出したロアンナの後を、ライズが照れながらついてくる。
ロアンナが馬車に乗り込むと、先に乗っていたレイが眉をひそめていた。馬車の御者に聞こえないようにするためか、レイの声は小さい。
「姉さん。血が止まっていないみたいだ」
そう言いながら、レイはエリーの背中の汚れを指さす。
「あら、大変! 急いで治療しないと」
慌てるロアンナを見て、レイはため息をついた。
「姉さんは優しすぎるよ。この子が今まで姉さんにしてきたことを思ったら、僕は可哀想だとは思えない。それでも、一度でも愛を語り合った女性を、こんな状態で追い出すジーク殿下のやり方には嫌悪感を覚えるけどね」
エリーの様子を見る限り、彼女がジークを愛していたのは事実だろう。しかし、ジークにとってエリーは、都合のいい恋愛ごっこの相手だったようだ。
今回のことで、罰を受けたのはエリーだけ。傷ついたのもエリーだけ。その点はロアンナも、納得できていない。
「私としては、今までジーク殿下と婚約破棄さえできればいいと思っていたけど……」
「こんなクズ男がいつか国王になるかと思うと、僕はこの国の将来が心配だよ!」
「そうなのよね」
ジークは、このままだと将来国王になる。王太子の今でさえ好き勝手しているのに、さらに強い権力を持たせたらどうなってしまうのか。
しかも、ジークはロアンナを目の敵にしている。
「私がジーク殿下と無事に婚約破棄できたとしても、ジーク殿下が私を嫌っていることは変わらないわ。その憎しみは、私だけではなく、いつかクラウチ侯爵家全体へと向かってもおかしくない」
「姉さん……」
ロアンナは、馬車内の重い空気をはらうようにパンッと手を叩いた。
「考え方を変えましょう。婚約破棄を目指すのではなく、この婚約を利用してジーク殿下を抑え込むのはどうかしら?」
「何を言って……」
ロアンナとレイの間に、ニュッとライズが顔を出した。
『いいですね、それ!』
「ライズさん!? まだいたの?」
ロアンナの声を聞いたレイも「え? ライズさん、まだいるの?」と辺りを見回す。
ガーンとショックを受けるライズに、ロアンナは慌てて言葉を続けた。
「だって、あなたは自分の身体がどうなっているのか見に行くのでしょう?」
『あっ、そうでした!』
「そうでしたって……」
そうこうしているうちに、馬車は王太子宮についてしまった。
ロアンナが「どうするの?」と声をかけると、ライズは小さな手で頭を抱えるように悩む。
『あー、うーん。明日! 明日になったら見に行きます!』
「あなたがそれでいいなら、いいけど……」
馬車から下りたロアンナは、背筋を伸ばして口を閉じた。
ここから先、誰が聞き耳を立てているのか分からないので、不用意な発言はできない。
ロアンナは、出迎えたメイドに医者を手配するように伝えてから自室に向かった。
ロアンナ付きの使用人が控えるための部屋にエリーを運び、慎重にうつ伏せに寝かせる。あとから部屋に来た医者にエリーの傷を治療してもらうと、もう日が暮れていた。
食事と入浴を済ませた頃、エリーの様子を見に行っていた幽霊ライズが報告のために戻ってきた。ナイトドレス姿のロアンナを見ないようにしているのか、ライズは背中を向けながら話し出す。
『エリーさんはまだ目覚めていませんが、血は止まったようです。このまま安静にしていたら、問題ないとお医者さんが弟さんに言っていました』
「そう、良かったわ」
ライズの話を聞きながら、ロアンナはベッドに腰をかけた。
(長い一日だった……)
騎士団長デュアンと馬で早駆け勝負をしたかと思ったら、エリーを助けるために馬車を飛ばした。
ロアンナのため息が聞こえたのか、ライズが気遣うように声をかける。
『ロアンナ様は、これからどうするんですか?』
「どうって?」
『その、先ほど婚約を続けたままジーク殿下を抑え込むと言っていたので』
「ああ、そのことね……」
疲労と共に眠気を感じたロアンナは、小さな欠伸を嚙みころす。
「まずは、お飾りメイドを一掃して、侍女長から管理権限を取り戻さないとね……。ゆくゆくは、王族がクラウチ侯爵家に手が出せないように対策をとって……」
まぶたが重い。ロアンナは、自分が何を話しているのか、分からなくなってきた。
「いっそのこと……新しい王子でも探してしまいたいわね」
『新しい王族といえば、王位継承権を持った公爵家の方達になりますね。あっそういえば、実は初代ノアマン辺境伯も元は王族なんですよ。その当時、武勇に優れた王弟殿下が臣籍降下して辺境伯を賜り――』
ライズの落ち着く声を子守歌代わりに、ロアンナは心地よい眠りに落ちていった。



