軍神悪役令嬢ロアンナの救国譚 ~英雄の能力と幽霊の知識を借りて、勝利をつかみ取ります~【書籍1巻発売中】

 王太子宮を追い出されたエリーの虚ろな瞳には、キラキラと輝く水面(みなも)が映っていた。

 その輝きは、まるでジーク王子と過ごした日々のようだ。

 美しい理想の王子様が、エリーだけを見つめて愛を囁いてくれる。

『愛しているよ。エリー』

 そう言われると胸がいっぱいになり、エリーは今まで一度だって味わったことのない幸せを感じることができた。

 しかし、ジークには、すでにロアンナという婚約者がいる。本来ならこれは人の道を外れた恋だった。

 エリーから見たロアンナは、侯爵令嬢で、英雄の子孫で、夜空に浮かぶ月のような神秘的な美しさを持っていた。弟と仲がいいらしいと聞いたことがあるので、きっと両親からも愛されて育ったのだろうと思う。 

(私とは大違い。ロアンナ様はもう全部持っているのだから、ジーク様だけは私に譲ってよ。お願いだから……)

 エリーの実家であるハイド伯爵家は、長女次女と続き跡継ぎの男児が生まれず困っていた。
 三人目こそ男児を、と周囲が期待する中、生まれたのが三女のエリー。

 誕生と共に、家族に大きな失望を与えた子どもだった。

 その後、父がメイドに手を出し生ませた子どもの性別が男だったことから、ハイド伯爵家内の勢力図が大きく変わった。

 正妻の母が屋敷の隅に追いやられ、男児を生んだメイドが我が物顔で散財する。そして、当主である父がそれを許していた。

 跡継ぎだけを溺愛する父には、三人の娘達の姿が見えていないようだった。それでも、長女と次女はまだ愛された記憶があったので良かった。三女のエリーなんて、父に抱きかかえられた記憶はもちろんのこと、名前を呼んでもらったことすらなかった。

 年が離れていた姉達は早々に結婚して、それ以降、実家には近寄りもしない。

 エリーの母は、時折暗い目をエリーに向けて「あなたが男だったら良かったのに」とため息をつく。そのたびにエリーは『おまえはいらない子だ。どうして生まれてきたんだ』と言われているようで悲しかった。

 それでも、逃げ場のない母とは違い結婚さえしてしまえば、エリーも姉達のようにこの家から出て行ける。それが唯一の希望だった。

 そんなエリーも十四歳になり、二年後に社交界デビューを控えた頃。
 生まれて初めて父の執務室に呼び出された。

 正面から見た父の顔は厳(いか)めしく、エリーを睨みつける目がただただ恐ろしかった。

「ふむ。母親に似て美しい顔をしているな」
「?」

 父に褒められたのだとエリーが気がつくまで、時間がかかった。

「おまえは半年後に王太子宮に行け。そこで必ずジーク殿下のお心を掴むのだ」

 それ以外の説明はなく、エリーは何を言われているのか分からなかった。

 ただ、生まれて初めて父から褒められたことに胸が弾んだ。その日から、エリーの生活は一変した。

 何人もの優秀なメイドをつけられて、朝から晩まで磨かれたのだ。毎日のように全身マッサージを受けて、花の香りがするオイルを贅沢に肌に塗りこめられた。日に日に、エリーの肌は白く透き通っていく。

 食事も美容にいいものに切り替えられて、それまで食べていたものより格段に美味しくなった。そのせいなのか、髪の艶も以前より増している。

 そんなエリーを父の愛人であるメイドが忌々しそうに睨みつけていたが、手も口も出してこなかった。おそらく、父に強く言われているのだろう。

 初めは事務的にエリーを磨いていたメイド達も、磨けば磨くほど美しくなるエリーに傾倒するようになり、口々に「お美しいですわ」やら「エリー様にお仕えできて光栄です」やらと言うようになった。

 ジーク王子を会話で楽しませられるようにと、一通り勉強もさせてもらえた。一番刺激的だったのは、元娼婦で今は老貴族の後妻に収まっている蠱惑(こわく)的な女性の授業だった。

「あら? 可愛いお嬢さん。あなたは私を見下さないのね? 気に入ったわ」

 彼女の授業内容はとても面白く、男性を喜ばせる会話や仕草などを笑い話と共に教えてくれた。エリーからすれば大好きな先生だったが、周囲の人達は『(しょうふ)白鳥(きぞく)のふり』をしていると彼女のことを嘲笑っていた。

 半年後。
 お世話になった先生達や、離れで一人暮らす母に挨拶する間もなく、着飾ったエリーは馬車に乗せられた。馬車内には、珍しく正装した父がいる。

 相変わらず父から説明はなかったが、窓の外を流れる景色を見ながらエリーは『これから王太子宮に行くのね』と思った。

 そこで、妖精王子と称えられる見目麗しい王子様と、運命的な恋に落ちるのがエリーの役目だ。

 ある先生が言うには、「国王陛下は、ジーク殿下の婚姻によってクラウチ侯爵家と縁を結ぶことを望んでいる。しかし、英雄の子孫達がこれ以上強い権力を持つことをよく思っていない貴族が多い」とのこと。

 だから、それぞれの家から見目麗しい娘をお飾りのメイドとして王太子宮に送り込み、婚約者をジーク王子の意思で()げ替えさせようと企んでいた。

 この件は、国王に大金を貢ぐことで目を瞑ってもらっている。国王からすれば、この婚約を維持すればするほど勝手に財が増えていく状態なので笑いが止まらないだろう。

 エリー達を乗せた馬車が王太子宮についた。案内された部屋には、薔薇の香りが漂っていた。
 部屋にはすでに三人のお飾りメイドがいたが、彼女達はエリーを見たとたんに自分達の負けを認めたかのように顔をそむけた。

 部屋の中心にいた金髪の少年を見た瞬間、エリーは呼吸を忘れた。相手も同じだったようで、宝石のような青い瞳が見開かれている。

 それは、この国唯一の王子様と、不遇だった美しい少女が恋に落ちた瞬間だった。

 二人は協力して、王太子宮から悪役令嬢のようなロアンナを追い出し、永久(とわ)に幸せになる……はずだったのに。

 ムチ打ち刑を受けたあと、ジークはエリーの部屋に一度たりとも足を踏み入れることはなかった。

 傷の手当てをしてくれている医者に、ジークの行方を尋ねてもまともな返事は返ってこない。

「今は傷を癒すときです。動けるようになるまでは、ここにいてください」

 ただ、それをくり返すだけ。

 一晩たっても背中の痛みは取れなかったが、ジークに会いたい一心で「もう動けるわ!」とベッドから重い身体を引きはがし、エリーは起き上がった。

「今動いたら、傷口が開いてしまいますよ!」

 そう止める医者の言葉を無視して、エリーは部屋から飛び出した。

 回廊でジーク王子を見つけてパァと表情を明るくしたが、その隣にお飾りメイドのルルを見つけてエリーの顔は強張る。ルルは、エリーがジークと恋仲になったあとに、お飾りメイドになった子だ。

 多少、品のないところもあるが、明るくていい子だった。ジーク王子とエリーの恋を応援してくれてもいた。

 どうして二人が一緒にいるのかエリーが不思議に思っていると、ジークのこんな声が聞こえてきた。

「愛しているよ。ルル」

 エリーだけに囁いてくれた愛の言葉を、今はルルに囁いている。

(どうして?)

 少し離れた場所でエリーが見ていることに気がつきもしないジークは、戸惑っているルルの腰に腕を回し、まるで恋人同士のように歩き出した。

 立ち尽くすエリーに、いつのまにか側にいた侍女長が声をかけた。

「動けるようになったのですね」

 すぐに返事はできなかった。ジークに会いたい一心で動けると言ったものの、背中の傷は癒えていない。

 そんなエリーに侍女長は、感情の伴わない目を向けた。

「では、今すぐ王太子宮から出ていくように」
「え?」

 言葉の意味が理解できない。

「これはジーク殿下の指示です」
「嘘よ! ジーク様がそんなこと言うわけないわ! だって私達は愛し合っているのだから!」

 必死に叫んだエリーに、侍女長は残酷な現実を告げる。

「殿下は傷物はいらないとのこと。あなたの代わりは、ルル様がするのでご心配なく」

 ルルの名前を出されて、エリーはようやく今の状況が呑み込めた。

「何よ、それ……。私は、捨てられたってこと? これからジーク様は、私の代わりにルルを愛するの?」

 侍女長からの返事はない。

 ふらつきながらエリーが自室に戻ると、医者の姿はなく代わりに王太子宮の騎士達がいた。エリーの私物は、部屋の外に放り出され無残に散らばっている。

「何を!?」

 そう叫んだエリーに騎士達は、冷たい目を向けた。

「この部屋は、これよりルル様の部屋になる。早く荷物を片付けてくれ」
「ルルの、部屋に……」

 そこから、エリーはどこをどう歩いてここまで来たのか分からない。

 気がつけば、エリーは川べりで一人佇んでいた。いかにも訳ありそうなエリーに、わざわざ声をかける者はいない。

(やっと愛してもらえたのに……。傷物になって美しさを失った私は、またいらない子に……生まれてこなくていい子になっちゃった……)

 実家には戻りたくない。戻ればどんな目に遭わされるか分からない。でも、他に行く場所も頼れる人もいない。

 エリーのキラキラはなくなってしまったが、水面は変わらずずっと輝いている。

 ふと、目の前のキラキラの中に身を沈めたくなった。そして、二度と浮かび上がらず流されてどこか遠くに行ってしまいたかった。

(私が死んだら、ジーク様も少しは悲しんでくれるかな……)

 小さく微笑みながら、エリーは目を瞑った。川へと足を一歩前に出そうとした瞬間、羽交い絞めにされ力強く背後に引っ張られた。

 何が起こったのか分からないが、背中が痛くて悲鳴を上げてしまった。涙を浮かべるエリーの視界に艶やかな黒髪が映る。

「よくやったわ、レイ」

 レイと呼ばれた騎士が、エリーの拘束をときながら「ふぅ、間に合って良かった」と胸をなで下ろしている。

 地面に座り込んでいるエリーは、絶対にここにいるはずのない人を見上げた。

「ロ、ロアンナ、様……。どうして、ここに?」

 風に吹かれた黒髪をかき上げながら、ロアンナは優雅に微笑む。

「エリー様の退職願いは、まだ聞き入れていないのだけど?」