窓の外では、夕焼けが校庭をどろりと赤く染めている。
私、如月実花(きさらぎ みか)は、手元の単語帳をめくりながら溜息をついた。
「……ったく。どいつもこいつも、色ボケしちゃって」
校門の方を見れば、派手な改造バイクの爆音が響いている。この聖華高校の「王」として君臨する暴走族『黒龍』の総長・龍崎蓮(りゅうざき れん)のお出ましだ。
金髪をオールバックに固め、鋭い三白眼で周囲を威圧する男。女子たちは黄色い声を上げ、男子たちは目を逸らして道を譲る。
バカバカしい。あんな暴力の化身みたいな男、私には一生縁がない人種だ。
そう思っていた。五分前までは。
「……あれ、忘れ物」
購買で買った限定の英単語帳を旧校舎の図書室に忘れたことに気づき、私は踵を返した。
取り壊し寸前の旧校舎。薄暗い廊下を歩いていると、突き当たりの空き教室から、妙な音が聞こえてきた。
「ひっ、ふぇぇ……っ、うぅ……。もう無理、死ぬ、マジで死ぬ……」
……え?
聞き覚えのある、けれど絶対にありえないトーンの声。
私は足を止め、わずかに開いたドアの隙間から中を覗き込んだ。
そこには、床にへたり込み、ピンク色のウサギのぬいぐるみを必死に抱きしめて、鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしている男がいた。
特攻服の背中には、金刺繍で『黒龍総長』の文字。
――龍崎蓮、その人だった。
「お、女の子が……こっち見た……。目が合っただけで心臓が止まるかと思った……。じいちゃん、俺もう無理だよ、総長なんて引退させてよぉ……」
彼はウサギの耳をぎゅーっと握りしめ、赤子のように咽び泣いている。
威厳? 恐怖? 覇気?
そんなものは微塵もない。そこにいるのは、ただの重度の女性恐怖症をこじらせた、哀れなヘタレ男だった。
「…………は?」
私の唇から、乾いた声が漏れた。
その瞬間、龍崎の動きがピタリと止まる。
彼は機械のような動きでゆっくりと首をこちらへ向け――私と目が合った瞬間、顔面を真っ白に染めた。
「あ、が……あ……っ、お、女、女ぁぁぁ!!」
「うるさい。近所迷惑」
私は反射的に、手に持っていた厚さ三センチの英単語帳を、彼の顔面めがけてフルスイングで投げつけた。
バコンッ! と鈍い音がして、総長の鼻に単語帳が直撃する。
「ぶげっ!?」
「何が『女ぁ』よ。あんた、さっきから聞いてれば……情けないにも程があるわね。その特攻服、コスプレか何か?」
私は教室に踏み込み、腰を抜かして震える彼を見下ろした。
龍崎は鼻を押さえながら、涙目で私を見上げている。
「ま、待て……! お前、今の見たのか!? 俺が、本当は女子が怖くて、ぬいぐるみが友達だってこと……!」
「全部見たし、全部聞いたわ。ついでに録音もしたし」
私は嘘をついた。スマホなんてポケットに入れてすらいないけれど、こういうタイプにはハッタリが効く。
「ひぃっ! やめろ、それだけは勘弁してくれ! バレたら俺、他校の奴らに殺される……!」
「じゃあ、条件があるわ」
私はニヤリと、自分でも性格が悪い自覚がある笑みを浮かべた。
実は私、成績はいいけれど素行が悪くて、特待生資格が危ういところだったのだ。「問題児を更生させた」という実績があれば、学費免除の枠を守れる。
「あんたを、私が『本物の男』に叩き直してあげる。その代わり、私の言うことは絶対。いいわね、ポチ?」
県内最凶の総長が、一瞬だけ呆然とした後、またボロボロと涙をこぼした。
「……はい。見捨てないでください、実花さん……」
まさかこのヘタレが、学校中で「私への溺愛」を偽装することになるなんて、この時の私はまだ知る由もなかった。
私、如月実花(きさらぎ みか)は、手元の単語帳をめくりながら溜息をついた。
「……ったく。どいつもこいつも、色ボケしちゃって」
校門の方を見れば、派手な改造バイクの爆音が響いている。この聖華高校の「王」として君臨する暴走族『黒龍』の総長・龍崎蓮(りゅうざき れん)のお出ましだ。
金髪をオールバックに固め、鋭い三白眼で周囲を威圧する男。女子たちは黄色い声を上げ、男子たちは目を逸らして道を譲る。
バカバカしい。あんな暴力の化身みたいな男、私には一生縁がない人種だ。
そう思っていた。五分前までは。
「……あれ、忘れ物」
購買で買った限定の英単語帳を旧校舎の図書室に忘れたことに気づき、私は踵を返した。
取り壊し寸前の旧校舎。薄暗い廊下を歩いていると、突き当たりの空き教室から、妙な音が聞こえてきた。
「ひっ、ふぇぇ……っ、うぅ……。もう無理、死ぬ、マジで死ぬ……」
……え?
聞き覚えのある、けれど絶対にありえないトーンの声。
私は足を止め、わずかに開いたドアの隙間から中を覗き込んだ。
そこには、床にへたり込み、ピンク色のウサギのぬいぐるみを必死に抱きしめて、鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしている男がいた。
特攻服の背中には、金刺繍で『黒龍総長』の文字。
――龍崎蓮、その人だった。
「お、女の子が……こっち見た……。目が合っただけで心臓が止まるかと思った……。じいちゃん、俺もう無理だよ、総長なんて引退させてよぉ……」
彼はウサギの耳をぎゅーっと握りしめ、赤子のように咽び泣いている。
威厳? 恐怖? 覇気?
そんなものは微塵もない。そこにいるのは、ただの重度の女性恐怖症をこじらせた、哀れなヘタレ男だった。
「…………は?」
私の唇から、乾いた声が漏れた。
その瞬間、龍崎の動きがピタリと止まる。
彼は機械のような動きでゆっくりと首をこちらへ向け――私と目が合った瞬間、顔面を真っ白に染めた。
「あ、が……あ……っ、お、女、女ぁぁぁ!!」
「うるさい。近所迷惑」
私は反射的に、手に持っていた厚さ三センチの英単語帳を、彼の顔面めがけてフルスイングで投げつけた。
バコンッ! と鈍い音がして、総長の鼻に単語帳が直撃する。
「ぶげっ!?」
「何が『女ぁ』よ。あんた、さっきから聞いてれば……情けないにも程があるわね。その特攻服、コスプレか何か?」
私は教室に踏み込み、腰を抜かして震える彼を見下ろした。
龍崎は鼻を押さえながら、涙目で私を見上げている。
「ま、待て……! お前、今の見たのか!? 俺が、本当は女子が怖くて、ぬいぐるみが友達だってこと……!」
「全部見たし、全部聞いたわ。ついでに録音もしたし」
私は嘘をついた。スマホなんてポケットに入れてすらいないけれど、こういうタイプにはハッタリが効く。
「ひぃっ! やめろ、それだけは勘弁してくれ! バレたら俺、他校の奴らに殺される……!」
「じゃあ、条件があるわ」
私はニヤリと、自分でも性格が悪い自覚がある笑みを浮かべた。
実は私、成績はいいけれど素行が悪くて、特待生資格が危ういところだったのだ。「問題児を更生させた」という実績があれば、学費免除の枠を守れる。
「あんたを、私が『本物の男』に叩き直してあげる。その代わり、私の言うことは絶対。いいわね、ポチ?」
県内最凶の総長が、一瞬だけ呆然とした後、またボロボロと涙をこぼした。
「……はい。見捨てないでください、実花さん……」
まさかこのヘタレが、学校中で「私への溺愛」を偽装することになるなんて、この時の私はまだ知る由もなかった。



