意地っ張りな私たちが、神様に許された最後の100日間

病院のベッドに戻された私は、自由に動かなくなった右手をじっと見つめていた。
昨夜、指先の感覚が消えた時の恐怖が、まだ全身にこびりついている。
(書かなきゃ。忘れちゃう前に……書かなきゃダメなの)
私は震える左手で、ベッドサイドの引き出しから一冊のノートを取り出した。
かつて蒼汰に「大嫌い」と嘘をついていた頃、こっそり買い溜めていた、ひまわり柄の交換日記。
『蒼汰へ。今日は、アイスが食べたいって言えなかった。……本当は、一口ちょうだいって言いたかったんだよ。』
掠れた文字が並ぶ。
書けば書くほど、涙が紙に落ちて、文字が滲んでいく。
意地を張っていた時間の分だけ、伝えられなかった「好き」が山のように積み重なっていた。
「……陽茉梨、入るぞ」
ドアが開く音がして、慌ててノートを布団の中に隠した。
入ってきた蒼汰は、学校帰りの制服姿で、手には小さな花束を持っていた。
「これ、売店で見つけてさ。……お前、こういうの好きだろ?」
差し出されたのは、季節外れの小さなひまわり。
温室で育てられたのか、少しだけ元気がなさそうだけど、今の私にはそれが自分自身のように見えて、愛おしかった。
「……ありがとう。蒼汰、こっち来て」
私は彼を手招きした。
蒼汰がベッドの縁に腰を下ろすと、私は残された力の限り、彼の大きな手を両手で包み込んだ。
「……ねえ、蒼汰。私のこと、ずっと嫌いにならないでね」
「何言ってんだよ。なるわけねーだろ」
「……私が、わがまま言っても。動けなくなっても。……顔がむくんじゃって、可愛くなくなっても。……ずっと、ずっと、陽茉梨のこと、好きでいて」
今まで「嫌いになって」と言い続けてきた私が、初めて見せた「生への執着」。
それは、死ぬことよりも「忘れられること」を恐れる、あまりにも身勝手で、切ない願いだった。
蒼汰は一瞬、言葉を失ったように私を見つめたあと、私の額に自分の額をそっとぶつけた。
「……当たり前だろ。お前がどんなになっても、世界で一番可愛いのは陽茉梨だけだ。……だから、そんな不安そうな顔すんな」
彼の声が、少しだけ震えていた。
強がっているのは、私だけじゃない。蒼汰だって、壊れそうな心を必死に繋ぎ止めているんだ。
私は彼の胸に顔を埋めながら、布団の中で隠したノートを強く握りしめた。
そこには、さっき書いたばかりの、まだ乾いていない一文があった。
『もしも明日、私の声が出なくなっても。このノートが、私の代わりに「愛してる」って言ってくれますように。』
その夜。
消灯後の暗い病室で、私は自分に残された時間が、砂時計の最後の一粒のように、さらさらと零れ落ちていく音を聞いた気がした。