それから一ヶ月。私は奇跡的に一時退院を許された。
もちろん、病気が治ったわけじゃない。ただ、病院の白い天井を見上げ続けるより、少しでも「外の世界」にいさせてあげたいという、先生と親の最後の温情だった。
「ほら、陽茉梨。これ、ずっと食べたがってたろ?」
放課後の公園。蒼汰が差し出したのは、あの日私が振り払ってしまったイチゴ味のジュースだった。
「……ありがと。覚えてたんだ」
今度は、素直に受け取ることができた。
ストローをくわえると、人工的な甘さが喉を通る。それがなんだか、たまらなく愛おしい。
「当たり前だろ。お前の好きなものなんて、全部覚えてるよ」
蒼汰は私の隣に座り、少しだけ冷たくなった秋の風を遮るように肩を寄せてきた。
私たちは、まるで普通の高校生カップルみたいに、他愛もない話を続けた。
テストの点数が悪かったこと。あいつが誰かに告白したらしいということ。
(……ああ。幸せすぎて、死にたくないな)
不意に、視界が滲んだ。
幸せを感じれば感じるほど、それと引き換えに迫りくる「終わり」が怖くなる。
かつては「嫌われて忘れられたい」なんて意地を張っていたのに。今の私は、一秒でも長く、蒼汰の記憶に刻まれていたいと願ってしまう。
「……ねえ、蒼汰。もし私が、ひまわりみたいに笑えなくなっても……」
「またその話か。言ったろ、俺が笑わせるって」
「ううん、そうじゃなくて。……もし、私が全部忘れて、あんたのことも分からなくなっちゃっても。……それでも、側にいてくれる?」
病状が進めば、意識が混濁することもあると説明されていた。
それが一番怖かった。蒼汰を忘れてしまうこと。彼が誰だか分からずに、ひどい言葉を投げつけてしまうかもしれないこと。
蒼汰は私の手をとり、自分の頬に当てた。
彼の肌は驚くほど熱くて、生きている実感が手の平から伝わってくる。
「……いいよ。何度だって、俺の名前を教えてやる。お前が忘れるたびに、また一から恋をしようぜ」
「……っ、……ばか。ほんとに、かっこつけすぎ……」
私は蒼汰の胸に顔を埋めた。
彼の心臓の音がトク、トクと刻まれる。
それは、私の止まりかけている時計を、必死に動かそうとしてくれているリズムのように聞こえた。
でも、神様はどこまでも意地悪だった。
その日の夜、私の指先から感覚が消えた。
握りしめていたはずの、蒼汰からもらったジュースのパックが、力なく床に落ちて中身が広がっていく。
(……まだ。まだ行かせないで、お願い……)
声にならない祈りは、静かな部屋に虚しく消えた。
私の「意地っ張りな時間」は、もう、残りわずかしか残されていなかった。
もちろん、病気が治ったわけじゃない。ただ、病院の白い天井を見上げ続けるより、少しでも「外の世界」にいさせてあげたいという、先生と親の最後の温情だった。
「ほら、陽茉梨。これ、ずっと食べたがってたろ?」
放課後の公園。蒼汰が差し出したのは、あの日私が振り払ってしまったイチゴ味のジュースだった。
「……ありがと。覚えてたんだ」
今度は、素直に受け取ることができた。
ストローをくわえると、人工的な甘さが喉を通る。それがなんだか、たまらなく愛おしい。
「当たり前だろ。お前の好きなものなんて、全部覚えてるよ」
蒼汰は私の隣に座り、少しだけ冷たくなった秋の風を遮るように肩を寄せてきた。
私たちは、まるで普通の高校生カップルみたいに、他愛もない話を続けた。
テストの点数が悪かったこと。あいつが誰かに告白したらしいということ。
(……ああ。幸せすぎて、死にたくないな)
不意に、視界が滲んだ。
幸せを感じれば感じるほど、それと引き換えに迫りくる「終わり」が怖くなる。
かつては「嫌われて忘れられたい」なんて意地を張っていたのに。今の私は、一秒でも長く、蒼汰の記憶に刻まれていたいと願ってしまう。
「……ねえ、蒼汰。もし私が、ひまわりみたいに笑えなくなっても……」
「またその話か。言ったろ、俺が笑わせるって」
「ううん、そうじゃなくて。……もし、私が全部忘れて、あんたのことも分からなくなっちゃっても。……それでも、側にいてくれる?」
病状が進めば、意識が混濁することもあると説明されていた。
それが一番怖かった。蒼汰を忘れてしまうこと。彼が誰だか分からずに、ひどい言葉を投げつけてしまうかもしれないこと。
蒼汰は私の手をとり、自分の頬に当てた。
彼の肌は驚くほど熱くて、生きている実感が手の平から伝わってくる。
「……いいよ。何度だって、俺の名前を教えてやる。お前が忘れるたびに、また一から恋をしようぜ」
「……っ、……ばか。ほんとに、かっこつけすぎ……」
私は蒼汰の胸に顔を埋めた。
彼の心臓の音がトク、トクと刻まれる。
それは、私の止まりかけている時計を、必死に動かそうとしてくれているリズムのように聞こえた。
でも、神様はどこまでも意地悪だった。
その日の夜、私の指先から感覚が消えた。
握りしめていたはずの、蒼汰からもらったジュースのパックが、力なく床に落ちて中身が広がっていく。
(……まだ。まだ行かせないで、お願い……)
声にならない祈りは、静かな部屋に虚しく消えた。
私の「意地っ張りな時間」は、もう、残りわずかしか残されていなかった。


