陽茉梨が逝ってから、一週間が経った。
葬儀の喧騒も、友人たちの鳴り止まない啜り泣きも、今の蒼汰には遠い世界の雑音にしか聞こえなかった。
彼の時計は、あの日、病室のモニターが一本の線を描いた瞬間に、電池が切れたように止まってしまったのだ。
学校にも行かず、蒼汰は陽茉梨の部屋にいた。
彼女の母親から「あなたに持っていてほしい」と託された、あのひまわり柄のノートを抱きしめて。
部屋にはまだ、陽茉梨の使っていたシャンプーの甘い香りと、微かな消毒液の匂いが混ざり合って残っている。まるで、クローゼットの陰から「蒼汰、勝手に入らないでよ」と、あの意地っ張りな声が聞こえてきそうだった。
「……バカ。……勝手にいなくなんなよ、陽茉梨」
蒼汰は、床に座り込み、背中をベッドに預けた。
ポケットから取り出したのは、傷だらけの二つのピンキーリング。
一つは自分の。もう一つは、セロハンテープの跡がベタベタと残った、陽茉梨のもの。
それを二つ並べて掌に乗せると、あの日、ひまわり畑で繋いだ手の熱が、幻のように指先を掠めた。
(……俺、これからどうすればいいんだよ。お前がいない世界で、どうやって明日を迎えればいいんだ)
絶望が、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。
死ぬまで離さないと誓った。お前が忘れても俺が覚えてると豪語した。
でも、いざ一人残されてみると、覚えていること自体が、心臓を素手で握り潰されるような拷問だった。
蒼汰は、震える手でノートの最後のページをめくった。
あの日、彼が読み終えたはずのページの、さらにその裏。
そこには、陽茉梨が「右手の感覚を完全に失う直前」に、死に物狂いで書き殴ったと思われる、血の滲むようなメッセージが隠されていた。
ページ全体を埋め尽くすような、歪で、力強い文字。
『 蒼汰、泣かないで。 』
その一行を見た瞬間、蒼汰の視界が激しく歪んだ。
『 これを読んでるってことは、私はもう、蒼汰の隣で笑えていないんだね。
ごめんね。最後まで意地っ張りで、可愛くない彼女でごめんね。
でもね、蒼汰。私は幸せだったよ。
病気になったことは不幸だったかもしれないけど、
そのおかげで、蒼汰の本当の優しさを知ることができた。
「大嫌い」って嘘をついた私を、無理やり抱きしめてくれたこと。
動かない手に、魔法だって言って指輪をはめてくれたこと。
お父さんって呼んじゃった時も、泣きながら私の手を握ってくれたこと。
全部、全部、私の宝物だよ。 』
ノートの紙は、陽茉梨が書いている時に落とした涙のせいで、あちこちが波打っていた。
『 お願いがあるの。
私のために、立ち止まらないで。
蒼汰が私のことを思い出して泣く時間は、一日のうち、一分だけでいい。
あとの時間は、蒼汰の好きなことのために使って。
美味しいものを食べて、友達と笑って、いつか……私よりもずっと長生きして。
おじいちゃんになった蒼汰に、天国で「待たせすぎだよ」って文句を言うのが、私の次の夢だから。
私を好きになってくれて、ありがとう。
私を「陽茉梨」にしてくれて、ありがとう。
……愛してるよ、蒼汰。 』
「……っ、……う、あああああぁぁぁ!!!」
蒼汰は、ノートを顔に押し当てて、獣のような声を上げて泣き叫んだ。
あいつは、自分が死ぬ間際まで、残される俺の心配をしていた。
自分が消えていく恐怖よりも、俺が絶望する未来を恐れていた。
どこまで、どこまで「意地っ張り」な女なんだ。
「……ずるいだろ、陽茉梨。……こんなこと書かれたら、死ぬ気も起きねーよ……」
蒼汰は、涙を袖で乱暴に拭った。
窓を開けると、春の温かい風が吹き込んできた。
庭の隅。あの日、蒼汰が陽茉梨のために植えたひまわりの種が、小さな、でも力強い芽を出していた。
季節は巡る。
たとえ最愛の人がいなくなっても、太陽は昇り、花は咲き、時間は無情にも、そして慈悲深く進んでいく。
蒼汰は、立ち上がった。
ポケットに二つのリングをしまい、ひまわりのノートを大切にカバンに入れる。
鏡に映る自分は、まだ情けない顔をしていたけれど、その瞳には、陽茉梨からもらった「生きて」という魔法の光が、確かに宿っていた。
「……行ってくるよ、陽茉梨。……一分だけ、泣いたら。……あとは、お前に自慢できるような人生、送ってやるから」
校門を出る。
通い慣れた通学路。隣にはもう、誰の姿もない。
でも、蒼汰が歩き出すたびに、アスファルトを叩く靴の音が、二人の足音のように重なって聞こえた。
空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
それは、陽茉梨の瞳の色と同じ、どこまでも透き通った、ひまわりの似合う空だった。
(……私なんかを、好きになってくれてありがとう)
(……バカ。……俺の方こそ、ありがとうだよ)
二人の恋は、ここで終わるのではない。
蒼汰が生き続ける限り、彼女の「愛してる」は彼の中で永遠に咲き続ける。
ーひまわりのように。
葬儀の喧騒も、友人たちの鳴り止まない啜り泣きも、今の蒼汰には遠い世界の雑音にしか聞こえなかった。
彼の時計は、あの日、病室のモニターが一本の線を描いた瞬間に、電池が切れたように止まってしまったのだ。
学校にも行かず、蒼汰は陽茉梨の部屋にいた。
彼女の母親から「あなたに持っていてほしい」と託された、あのひまわり柄のノートを抱きしめて。
部屋にはまだ、陽茉梨の使っていたシャンプーの甘い香りと、微かな消毒液の匂いが混ざり合って残っている。まるで、クローゼットの陰から「蒼汰、勝手に入らないでよ」と、あの意地っ張りな声が聞こえてきそうだった。
「……バカ。……勝手にいなくなんなよ、陽茉梨」
蒼汰は、床に座り込み、背中をベッドに預けた。
ポケットから取り出したのは、傷だらけの二つのピンキーリング。
一つは自分の。もう一つは、セロハンテープの跡がベタベタと残った、陽茉梨のもの。
それを二つ並べて掌に乗せると、あの日、ひまわり畑で繋いだ手の熱が、幻のように指先を掠めた。
(……俺、これからどうすればいいんだよ。お前がいない世界で、どうやって明日を迎えればいいんだ)
絶望が、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。
死ぬまで離さないと誓った。お前が忘れても俺が覚えてると豪語した。
でも、いざ一人残されてみると、覚えていること自体が、心臓を素手で握り潰されるような拷問だった。
蒼汰は、震える手でノートの最後のページをめくった。
あの日、彼が読み終えたはずのページの、さらにその裏。
そこには、陽茉梨が「右手の感覚を完全に失う直前」に、死に物狂いで書き殴ったと思われる、血の滲むようなメッセージが隠されていた。
ページ全体を埋め尽くすような、歪で、力強い文字。
『 蒼汰、泣かないで。 』
その一行を見た瞬間、蒼汰の視界が激しく歪んだ。
『 これを読んでるってことは、私はもう、蒼汰の隣で笑えていないんだね。
ごめんね。最後まで意地っ張りで、可愛くない彼女でごめんね。
でもね、蒼汰。私は幸せだったよ。
病気になったことは不幸だったかもしれないけど、
そのおかげで、蒼汰の本当の優しさを知ることができた。
「大嫌い」って嘘をついた私を、無理やり抱きしめてくれたこと。
動かない手に、魔法だって言って指輪をはめてくれたこと。
お父さんって呼んじゃった時も、泣きながら私の手を握ってくれたこと。
全部、全部、私の宝物だよ。 』
ノートの紙は、陽茉梨が書いている時に落とした涙のせいで、あちこちが波打っていた。
『 お願いがあるの。
私のために、立ち止まらないで。
蒼汰が私のことを思い出して泣く時間は、一日のうち、一分だけでいい。
あとの時間は、蒼汰の好きなことのために使って。
美味しいものを食べて、友達と笑って、いつか……私よりもずっと長生きして。
おじいちゃんになった蒼汰に、天国で「待たせすぎだよ」って文句を言うのが、私の次の夢だから。
私を好きになってくれて、ありがとう。
私を「陽茉梨」にしてくれて、ありがとう。
……愛してるよ、蒼汰。 』
「……っ、……う、あああああぁぁぁ!!!」
蒼汰は、ノートを顔に押し当てて、獣のような声を上げて泣き叫んだ。
あいつは、自分が死ぬ間際まで、残される俺の心配をしていた。
自分が消えていく恐怖よりも、俺が絶望する未来を恐れていた。
どこまで、どこまで「意地っ張り」な女なんだ。
「……ずるいだろ、陽茉梨。……こんなこと書かれたら、死ぬ気も起きねーよ……」
蒼汰は、涙を袖で乱暴に拭った。
窓を開けると、春の温かい風が吹き込んできた。
庭の隅。あの日、蒼汰が陽茉梨のために植えたひまわりの種が、小さな、でも力強い芽を出していた。
季節は巡る。
たとえ最愛の人がいなくなっても、太陽は昇り、花は咲き、時間は無情にも、そして慈悲深く進んでいく。
蒼汰は、立ち上がった。
ポケットに二つのリングをしまい、ひまわりのノートを大切にカバンに入れる。
鏡に映る自分は、まだ情けない顔をしていたけれど、その瞳には、陽茉梨からもらった「生きて」という魔法の光が、確かに宿っていた。
「……行ってくるよ、陽茉梨。……一分だけ、泣いたら。……あとは、お前に自慢できるような人生、送ってやるから」
校門を出る。
通い慣れた通学路。隣にはもう、誰の姿もない。
でも、蒼汰が歩き出すたびに、アスファルトを叩く靴の音が、二人の足音のように重なって聞こえた。
空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
それは、陽茉梨の瞳の色と同じ、どこまでも透き通った、ひまわりの似合う空だった。
(……私なんかを、好きになってくれてありがとう)
(……バカ。……俺の方こそ、ありがとうだよ)
二人の恋は、ここで終わるのではない。
蒼汰が生き続ける限り、彼女の「愛してる」は彼の中で永遠に咲き続ける。
ーひまわりのように。


