意地っ張りな私たちが、神様に許された最後の100日間

「……そう、た……?」
病室の重い空気の中で、陽茉梨(ひまり)が奇跡のように私の名前を呼んだ。
混濁していた瞳に、一瞬だけ、あの夏の日と同じ強い光が宿る。
「……おう。陽茉梨、わかるか? 俺だよ。……迎えに来たぞ」
蒼汰は、震える手で陽茉梨の細くなった肩を抱き寄せた。
主治医の許可をもらい、看護師さんたちが手際よく、車椅子に点滴スタンドを固定してくれる。
厚手の毛布で陽茉梨の体を包み込み、私たちは夜の病院、誰もいない屋上へと向かった。
エレベーターが静かに上昇する。
ガコン、という小さな衝撃とともに扉が開くと、そこには冬の澄み切った夜空が広がっていた。
冷たい風が、陽茉梨の少し薄くなった髪を揺らす。
「……きれ、い……。……そーた、……みて……」
陽茉梨が、動かない右手を左手で支えながら、夜空を指差した。
街の灯りが宝石をぶちまけたように輝いている。
蒼汰は、車椅子の横に膝をつき、彼女の目線に合わせて隣に並んだ。
「……ああ、綺麗だな。……文化祭の時より、ずっと」
「……うそつき。……あのとき、……わたしのこと、……みてなかった……くせに」
「見てたよ。……お前しか見てなかった。……今だって、そうだ」
蒼汰は、陽茉梨の左手をそっと握りしめた。
そこには、セロハンテープで無理やり固定された、あの銀色のピンキーリングが光っている。
蒼汰は、自分の小指にも同じリングをはめ、彼女の指と絡ませた。
「……ねえ、……そーた。……わたし、……わすれちゃうの、……いやだよ」
陽茉梨の目から、大粒の涙がこぼれ落ち、毛布に染み込んでいく。
「……あなたの、……こえも、……においも、……ぜんぶ……。……消えちゃうのが、……いちばん、……こわいの……」
「……消えねーよ。……俺が、全部持ってるから。……お前が忘れたら、俺がその度に、お前の耳元で全部話してやる」
蒼汰は、彼女の額に自分の額をそっと合わせた。
「……初めて会った日のこと。……喧嘩して泣かせた日のこと。……ひまわりを折った日のこと。……お前が俺に、『大好き』って言ってくれた、あの雨の日の部室のこと」
「……あ、……あ……」
陽茉梨は、泣きながら、歪んだ口元で笑おうとした。
彼女は、震える左手で蒼汰の頬をなでる。
その指先は氷のように冷たいのに、蒼汰には、どんな火よりも熱く感じられた。
「……そーた。……だい……すき……。……せかいで、……いちばん……」
「……俺もだよ、陽茉梨。……愛してる。……ずっと、ずっと、お前だけだ」
屋上の隅、蒼汰がこっそり持ち込んでいた、あの「折り紙のひまわり」が風に揺れていた。
本物の花は枯れてしまっても、二人の心に咲いた花は、決して枯れることはない。
夜空に、一筋の流れ星が走った。
それは、二人の願いを乗せて消えていく、あまりにも短い、でも眩いほどの光。
「……ねえ、……そーた。……ねむ、い……」
「……おう。……寝ていいぞ。……俺が、ずっと手を繋いでるから。……目が覚めたら、また『おはよ』って言おうな」
陽茉梨は、蒼汰の肩に頭を預け、ゆっくりと瞳を閉じた。
その寝顔は、病気になる前よりもずっと穏やかで、本当に、ただ眠っているだけのようだった。
蒼汰は、彼女の体温が少しずつ、夜の空気に溶けていくのを感じながら、空が白み始めるまで、一度もその手を離さなかった。