意地っ張りな私たちが、神様に許された最後の100日間

病室の空気は、あの日からずっと凍りついたままだった。
蒼汰(そうた)は毎日来る。学校が終わると、走って、息を切らして、私の側に座る。
でも、今の私にとって、その献身は鋭いナイフで心を削られるのと同じだった。
(……蒼汰。もう、私のために泣かないで。私のために、放課後を捨てないで)
言葉が出ない私は、震える左手でノートに力任せに書いた。
殴り書きのような、歪んだ文字。
『 こないで 』
蒼汰はその文字を見て、一瞬だけ動きを止めた。でも、すぐに無理やり笑って、持ってきたイチゴミルクのストローを私の口元へ寄せた。
「……何言ってんだよ。ほら、これ。お前の好きなやつだろ?」
「……あ、……あ!!」
私は左手で、そのパックを思い切り弾き飛ばした。
中身が飛び散り、蒼汰の白いシャツにピンク色のシミが広がる。あの日と同じ、最悪な光景。
「……陽茉梨。いい加減にしろよ。俺、お前のために……」
『 めいわく 』
『 だい嫌い 』
ノートに書き殴ったその言葉を見て、蒼汰の顔から、ついに「優しさ」という仮面が剥がれ落ちた。
彼は私の肩を強く掴み、ベッドに押し倒すようにして顔を近づけた。
「……嘘つくなよ! ノートに『愛してる』って書いたのは誰だよ! 毎日、俺が来るのを待ってるのは誰だよ!」
「……あ、……あ、あぁっ!!」
私は、動かない右手を自分の胸に叩きつけ、彼を睨みつけた。
(……そうだよ! 大好きだよ! でも、今の私は、あんたが愛した陽茉梨じゃない! 壊れて、忘れて、ただの肉の塊になっていく私を、これ以上見ないで!)
「……俺は、お前がどんなになってもいいって言っただろ!」
「……あ、……う、……うぅ!!(ちがう! 蒼汰が良くても、私が嫌なの!)」
「勝手に決めんなよ! 俺の人生だろ! 俺がお前を愛して、俺がお前を看取って……それで後悔しないって決めたんだ!」
「……あ、……あ、……あぁぁぁ!!」
私は、枕元にあった厚い医学書を左手で掴み、蒼汰の顔面に向かって投げつけた。
角が彼の額に当たり、鈍い音がする。
蒼汰の額から、ツーっと赤い血が流れた。
沈黙。
時計の針の音だけが、不気味に響く。
蒼汰は血を拭おうともせず、ただ、絶望したような目で私を見つめていた。
「……そうかよ。……そこまで俺が、邪魔か」
彼の声から、全ての熱が消えた。
あんなに温かかった「魔法」の手が、だらりと力なく垂れ下がる。
「……わかったよ。……もう、来ねーよ。……お前の望み通り、消えてやるよ」
蒼汰は、血のついた手で床の荷物をまとめ、一度も振り返らずに病室を出て行った。
バタン、というドアの音が、私たちの十数年の絆を断ち切る処刑台の音に聞こえた。
一人になった病室。
私は、左手で口を塞ぎ、声にならない悲鳴を上げて泣いた。
右側が見えない視界。感覚のない右手。そして、もう二度と会えない、私のたった一人のヒーロー。
(……これで、いいんだ。……これで、いいんだよね?)
シーツを握りしめた左手に、昨日買ったばかりのピンキーリングが食い込む。
痛い。痛くて、死にそうだった。
愛しているからこそ、私は、世界で一番大切な人を、自分の手で地獄へ突き落とした。
窓の外では、季節外れの嵐が吹き荒れていた。
私たちの恋は、あの日部室で聞いた雨音のように、激しく、そして無残に砕け散った。