「好きです。付き合ってください」

「好きです。付き合ってください」

 長いつやつやな黒髪が風に吹かれて揺れている。まっすぐと相手を見る目は少しうるんでおり、緊張が伺えた。それでも視線を逸らさないのは、覚悟を持ってこの言葉を紡いだからだろう。
 彼女のことは何度か見かけたことがある。隣のクラスへ教科書を借りに行ったとき、丁度扉の近くにいて、友達を呼んでもらったこともある。名前は知らない。勉強も運動も、特に目立つことがない女性だ。

 そんな彼女も、まさか不破のことが好きだとは思わなかった。

「えー。ごめん無理」
 彼女の視線を受け止めていた不破は、心底めんどくさそうにそう言った。断るにしてももっとやり方があるんじゃないだろうか。これだからモテるやつは。彼女はごめんなさい、と言い、校舎へと走っていく。隣を通って行ったが、俺には気が付かなかったようだ。ホッとして両手に持っていたゴミ袋を置く。

「なーにしてんの?」
「おわっ」
 びっくりした。聞きなれた声に隣を見ると、案の定不破がいた。
「見てたの?」
「……おん」
「え、何。覗き見? ちょっと、悪趣味なんですけど」
「バカちげぇよ。たまたま見かけたんだって」
 覗き見していたのは事実だから焦った声が出てしまった俺に、不破はケタケタと笑う。そのまま俺が置いていたゴミ袋のひとつを掴んだ。
「え」
「ゴミ出し当番でしょ?オレも手伝う」
「え? あ、うん、ありがと」
 それだけ伝えると、柔らかな金髪をふわふわと揺らしながらゴミ捨て場へと進んでいく。少し足取りが軽く見える。もしかしたら、告白されたこと自体は嬉しかったのかもしれない。
「日野ー? どうしたの?」
 不破がこちらを振り返る。緩やかな垂れ目から覗く瞳が、俺を映している。
「なんでもない」
 置いていたもうひとつのゴミ袋を掴んで、小走りで不破の隣へと並んだ。


 不破裕翔。4月で高校2年生になった男。身長は178センチ。これは不破が身体測定で俺より3センチも高いと自慢してきたせいで知っている。
 サッカー部に所属していて、非常によくモテる。何回も呼び出されているのを知っている。マネージャーと付き合っているという噂も流れるくらいだ。実際は告白されただけで、付き合っていないらしいのだが。
 そんな彼は今、先生に叩き起こされたところだ。

 不破の唯一と言っていいほどの欠点、勉強。あまり勉強を得意としていない彼は、特に古典を苦手としているらしく、授業中に寝ることがほとんどだ。その度に先生に起こされている。
 斜め後ろからそれを眺めて、つい口元がにやけてしまうのを必死で抑える。いつもの光景だ。

 チャイムが鳴る。授業から解放された不破は、いつも真っ先に俺のところにやってくる。……はずだった。

「ねえ裕翔、この前のさあ!」
 彼の机に近づく女。キンキンと響く声は少し苦手だ。確か名前は、……そうだ、宮瀬さん。不破曰く、中学が同じなのだと。特に仲良くないと言っていたが、彼女は下の名前で不破を呼ぶ。本当は仲がいいんじゃないか?
 視線をやる。めんどくさそうにしながらも、ちゃんと相手をする不破。宮瀬さんは怒っている風を装ってはいるが、彼女もまた不破が好きなのだろう。声は弾んでいる。

 うつむき、思わずため息をつく。仕方がない、鞄からお菓子とスマホを取り出す。端末を操作して動画を開き、イヤホンをつけた。この人は不破とやっているゲームの解説をしているらしい。不破から教えてもらって、まだ見ていなかった。画面の中から男の爽やかな声が聞こえてくる。

 急に、右耳から声が聞こえなくなった。

「何見てんの?」
 見上げれば、右耳にイヤホンをさした不破がこちらを見ていた。
「あ、これ。どう? 面白いでしょ」
「や。まだ冒頭」
「えー、早く見てよ」
「見れんて」
 彼は当たり前のように俺の机の上からお菓子を取ると、ひとつ口に入れる。
「うま。これオレ好きな味だ」
「……まあそうかなと思って買ったけど」
「えー、オレのことめっちゃ好きじゃんウケる」
「うるさ」
 不破はケタケタと笑っている。大体チョコ味なら何でも好きな不破の好みがわかりやすいだけだけれど、言わないでおいた。


 不破裕翔。非常にモテる男。何度でも言おう、非常にモテるのだ。
 それが、男性にも通用するとは思っていなかったのだけれど。

「好きです。付き合ってください」

 男の声だ。俺や不破より少し声は高いけど、それでもテノールの声は男のものだった。
 男の姿だ。身長178センチの不破より10センチほどは低いけれど、それでも学ランを着たその姿は男にしか見えなかった。
 誰かわからない、聞いたことのない声をしていた。あいつの交友関係、広すぎやしないだろうか。

「えー。ごめん無理」
 一週間前、隣のクラスの子を振った時と同じトーンで不破は言った。やっぱりもっと断り方とかあるんじゃないだろうか。これだからモテる男は。
 名も知らぬ彼は丁寧に、そうですか、ありがとうございます、と言って扉に手をかけた。咄嗟に身を隠したが見つかった。扉から出てきた彼と目が合う。彼は何も言わず、すぐに去っていった。

「なーにしてんの? 覗き見? やだ日野くんのえっち」
「……違う」
「違わないでしょもう。でもごめんね、さっさとご飯食べよ」
 告白した彼の去った方向から、目が離せなかった。
「……男だから?」
「ん?」
「……あ、いやその」
 つい口から言葉が出てしまい、慌てて不破を見る。不破は小首を傾げてこちらを見ている。あざとくても様になる姿だった。しかし、俺が説明するまで、納得してくれそうもなかった。
「や、だから……男だから、今の告白断ったんかなって」
「あー……別に? 男でも女でも、あんま人に興味ないっていうか」
 不破はため息をつき、頭を掻いた。
「ほら、オレ人の名前覚えるの苦手なんだよね。告白してくる子、大体知らん子っていうか」
「でもお前、マネージャーは?」
「あーマネージャーはギリ上の名前知ってるけど、別に興味なくて」
「断った?」
「断った」
 改めて、なんでこんな奴がモテるんだろうと思う。顔がいいからだろうか。不破に認知されていなかった人たちは、彼のどこに惚れたんだろうか。

 そこまで考えて、ふと気づく。
「あれ。お前って俺の名前……」
「知ってるよ。日野朝陽でしょ?」
 あれ、こいつ俺の名前知ってたんだ。ふーん。少しの優越感が心に浮かぶ。それを急いで掻き消した。
「暗そうな子なのに似合わないなって最初から思ってたよ」
「は? ふざけんなお前」
 やっぱり不破裕翔。なんでこんな奴がモテるんだろう。


 部活が終わり、もうすっかり暗くなった頃。そろそろ頃合いだろうとサッカー部部室の近くに行く。
 別に部活に入ってないわけでもサボっていたわけでもない。ただ早く終わったから、サッカー部が終わるのを待っていたのだ。
 ……我ながら、とても健気だと思う。

「不破くん、やっぱり付き合ってくれないの?」
 サッカー部マネージャーの声がする。
「あー、そういうの暫くいいかなって。好きな子いないし」
「好きな子いなくても、付き合ってるうちにとか、あると思うよ」
 女子特有のキャピキャピした声ではない、少し落ち着いた声。比較的おとなしめな人だと思っていたから、こんなにぐいぐいいく人だとは知らなかった。
「あー……」
 不破の、言いづらそうな、めんどくさそうな声がする。
「そうだとしても、君とは付き合わないかな」
 マネージャーは酷い! と珍しく声を荒げる。その次に発された言葉に耳を疑った。

「じゃあ何!? 日野くんとだったら付き合うの!?」
 何故そこで俺の名前が出てくるのだろう。不破もぽかんとしている。間抜け面だ。写真に撮って送ってやりたい。
「え、なんで日野の名前が出てくるわけ?」
「だって、二人いつもべったりだから……!」
「や、ないないない。え、日野でしょ? ないよ」

「あれ、日野。おーい」
 ハッとする。気づけばマネージャーはいなくなっていて、不破が目の前にいた。
「近いよ、お前」
「あーごめんごめん」
 不破はケタケタと笑った。

 その笑い方が好きだ。
 他の人には見せない、俺だけに見せる姿が好きだった。

「……お前さ、誰とも付き合う気ないの?」
「えーやっぱ聞いてた? ないない、オレ日野といるので忙しいもん」

 俺だけを特別視しているようで、嬉しかった。

「……あの、中学同じだった……」
「あー、ないね。俺キャピキャピ系苦手」
「……あそ。じゃあどういう子がタイプなん」
 聞きたくはない。自分にないものを自覚してしまうから。
「えー……どちらかというと大人しめ? オレ以外とあんま話さないとか。あとまあ、ゲームとか一緒にできたらいいなみたいな」
「ほーん」
「あ、あとあと、オレのことめっちゃ好きで、オレの好きなものわかってくれる子。この前のさあ、……」
 そう言って、不破は立ち止まった。
「不破?」
「……日野、みたいな」
 不破の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。

 この前の俺みたいな人がタイプ。だと、今不破は言った。

「え、お前、それってさあ」
「わー恥ず、ちょっと待ってこっち見ないでうわ自覚今かよー」
 わあわあ騒ぎながら俺から離れていく。手で顔を覆っているせいで、足元が見えてなさそうだ。現に今、軽く地面に躓いた。
「……え、お前、俺のことめっちゃ好きじゃん」
「違いますー! たまたまですー! ……いやでももう誤魔化しきれなくない?」
「誤魔化せんな。いくら俺でもわかるわ」
 深いため息をついて地面に蹲る不破に思わず笑いが漏れる。

「えーじゃあ日野、付き合ってくれん?」
 覆った手の隙間から、うるうるとした瞳が覗いている。俺しか見ていない、見ることのない瞳。
「別にいいけど、ちゃんと言ってくれん? そうしたらちゃんと返事するし」
 期待を込めて、いつもより甘く。その様子に不破は気づいたのか、ぱっと立ち上がった。
「日野!」
 街灯に照らされた顔は、未だ赤く染まっていた。

「好きです。付き合ってください」