Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

歩は静かに会場を見渡す。

「すごいね。希らしい」

その言い方に、
“昔から知っている”という響きが滲む。


穏やかな声。


その言葉に、旬の心が揺れる。

自分も知っている。


でも、
最初に見つけたのは——。

胸の奥に、小さな焦燥が広がる。

それでも、表情は崩さない。

負けるわけにはいかない。

過去には。

そして、まだ終わっていないかもしれない何かにも。

旬は、希の隣に一歩だけ近づく。

触れない。

でも、はっきりと分かる距離で。

その時。

希が、ごく自然に、旬の腕に触れる。

意識していない動き。
ただ、そこにある存在に触れるみたいに。

「旬、今日来てくれてありがとう」

それだけ。

特別な言葉じゃない。

でも。

歩はそれを見る。

ほんの一瞬、目が細くなる。

感情は読めない。
けれど、何かを理解した目。

旬は、その小さな接触に救われる。

体温。
距離。

心は静かに揺れている。

歩が、穏やかに言う。

「忙しいのに急に来てごめん。昨日帰国して希の名前検索したらここが出てきて。個展の会場すぐ近くだったから。そしたらやっぱり希だった。すごいね。またゆっくり話そう。」

希は少し戸惑っている

歩はポケットから名刺を取り出す。

白い、余白の多いデザイン。

連絡先だけが、シンプルに印字されている。

「連絡して」

短い。

強くも、押しつけでもない。

けれど、選択肢を置いていく声。

空気が、わずかに冷える。

希は一瞬、名刺を見る。

そして、受け取る。

指先が触れる。

その様子を、旬は静かに見ている。

止めない。
問い詰めない。

ただ、立っている。

歩は軽く会釈をして、背を向ける。

黒いコートが白い空間を横切る。

人混みに溶けていくまで、
誰も何も言わない。

残ったのは、淡い香りと、
少しだけ乱れた呼吸。

希が、小さく息を吐く。

「びっくりした……」

旬は、笑おうとする。

「有名人なの?」

「知らない」

嘘じゃない顔。

——今は、俺の隣だ。

静かな戦いが、始まっていた。