Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する

「でもね」

「ん?」

旬はまだ少し硬いまま、視線を向ける。

「経営は、会社始めた頃からお兄ちゃんが手伝ってくれてるから」

——止まる。

時間が、一瞬だけ空白になる。

「……は?」

低い声。

「私ひとりじゃ、こんなにできなかったよ」

数秒の沈黙。

旬の眉が、ゆっくり寄る。

「お兄ちゃん?」

希、固まる。

「あ」

頭の中で警報が鳴る。

(やばい、兄のこと言ってなかった?)

旬の眉間に力が入る。

「……お兄さん、いたの?」

「いる」

小声。

「なんで今まで言わなかった」

間髪入れない。

「忘れてた」

「兄を?」

「だって遊んでばっかりで実家あんまり帰らないし、木村家の話題にも出ないし……」

言いながら、だんだん声が小さくなる。

旬、無言。

その沈黙が、いちばん怖い。

「何歳」

「2歳上」

「……俺と同い年?」

「うん」

空気が、ほんの少し変わる。

旬の声が低くなる。

「何してる人」

「経営コンサル」

「仕事は、できる」

「へぇ」

それきり、黙る。

完全な沈黙。

希の胸がざわつく。

「旬?」

「聞いてない」

低い。

怒鳴らない。でも、引っかかっている。

「ほんとにただ忘れてただけ。他の家族には会ってるし。旬のご家族に会ったり色々あったし……なんか旬があんまり私が凄いみたいに言うから。私ひとりじゃこんなに出来なかったし。私、別に凄くないし」

言葉が少し早くなる。

旬は黙って聞いている。

「お兄ちゃんね、立ち上げの時に数字全部整えてくれて」

「……」

「ブランドの方向性は私。でも、会社として形にしてくれたのはお兄ちゃん」

旬の胸が、ざわ、と揺れる。

(経営コンサル。俺と同い年。仕事できる。)

「仲いいのか」

「普通だよ?」

「普通ってなんだ」

「普通の家族だよ」


経済誌の華やかなページの裏側に、

兄の支えだと分かっている。

それでも。

「お兄さん、今も関わってるのか」

「うん。顧問みたいな感じ」

旬はゆっくり息を吸う。

そして、はっきりと言う。

「紹介して」

即答。

希が目を丸くする。

「え?」

「会いたい」

「なんで」

「家族なら紹介してよ」

そこにあるのは、嫉妬だけじゃない。

逃げないという意思。

向き合うという覚悟。

希は少しだけ笑う。

「怒ってる?」

「少しね」

素直だ。

「旬すぐ怒る」

「すごい経営者だったとか、お兄さんいるとか、ピアノ弾けるとか、英語喋れるとか……知らないことが多すぎる」

その言葉に、希は一瞬目を見開く。

距離が近くなる。

「でもね」

小さく言う。

「旬に言わなかったの、ほんとに深い意味ないよ」

「……」

「会社は私にとって特別な“武器”じゃなかったし」

旬の目が、わずかに緩む。

「俺は?」

即答。

「特別」

一瞬、旬が止まる。

「特別?」

「唯一無二。変わりはいない。当たり前でしょ?」

静かな夜。

その言葉が、すとんと胸に落ちる。

救われる。

でも。

それでも。

「紹介してね」

まだ少し低い声。

希が笑う。

「いいけど、覚悟してね」

「何を」

「めちゃくちゃ厳しいよ。チャラいけど」

旬の目に、わずかな闘志が灯る。

「上等」

兄でも、コンサルでも、同い年でも。

逃げない。

並ぶと決めたから。

希はその顔を見て、ふっと微笑む。

嫉妬も、不安も、劣等感も。

全部ひっくるめて、この人は前を向く。

その向こうにいた“知らなかった存在”も、
これからは隠れない。

旬は静かに言う。

「ちゃんと知りたいだけだよ。希の世界」

希はうなずく。

「うん」

並ぶ未来を選んだ二人は、

今度は、互いの“過去”とも向き合おうとしていた。