希、27歳。
東京芸術大学を卒業してからまだ数年。
けれど彼女の名前は、業界の中では静かに知られ始めていた。
感性は鋭い。
けれど押しつけがましくない。
“可愛い”を知り尽くしているのに、
それを自分の武器にしようとしない人。
コスメブランドの新作発表会。
テーマは「素肌に溶ける光」。
会場に一歩足を踏み入れると、
白を基調とした空間に、淡いピンクの光が揺れている。
花は置かない。
代わりに、透ける布を何層にも重ね、
照明で影を落とす。
風が通るたび、布がゆらぎ、
光が呼吸する。
硬質な展示会場なのに、
どこか柔らかい。
「やっぱり、空間って呼吸してないとダメなんですよね」
設営スタッフにそう微笑む希の横顔は、
静かな自信に満ちていた。
声は強くない。
けれど、芯がある。
指示というより、提案。
命令ではなく、共有。
だから人がついてくる。
「さすがですね、希さん」
スタッフが感心すると、
希は少しだけ首を傾げる。
「いえ、みんなのおかげです」
本気でそう思っている顔だった。
自分が中心に立とうとしない人。
なのに、自然と中心にいる。
一方その頃。
旬、29歳。
大手不動産会社「青山不動産」の三男として生まれた。
物心ついた頃から、
「恵まれている」という言葉と、
「どうせ親の七光りだろ」という視線の両方を浴びてきた。
だからこそ決めている。
誰よりも早く出社する。
誰よりも遅く帰る。
結果でしか、黙らせられない。
今日の会場は、彼の会社が手がけた再開発ビルだった。
ガラスとコンクリートで構成された、
合理的で、機能的で、隙のない空間。
それが“青山不動産らしさ”だ。
内覧に来ていた旬は、エントランスを抜け、
イベントフロアへと足を運ぶ。
そして——止まった。
「これ、誰がやったんだ?」
無意識に、言葉がこぼれる。
冷たくなりがちな商業ビルの中で、
そこだけが“温度”を持っていた。
白い壁に、淡いピンクの光。
布がゆらぎ、影が揺れる。
人工的なはずの空間に、
どこか呼吸の気配がある。
このビルは、
効率と利益を最大化するために設計された。
だが今、このフロアだけは違う。
人が立ち止まりたくなる。
写真を撮りたくなる。
深呼吸したくなる。
旬はゆっくり歩き出す。
光の当たり方。
動線の流れ。
視線が自然と奥へ導かれる構造。
計算されている。
だが、冷たい計算ではない。
「……面白い」
思わず口元が緩む。
自分たちが作った“箱”に、
命を吹き込んだ誰かがいる。
その誰かに、会ってみたい。
ビルを作るのは得意だ。
だが、空気を作る人間は、そう多くない。
旬の視線が、布越しに動く影を捉える。
淡い光の中、
スタッフと話す一人の女性。
指先で空間を整え、
小さく微笑む横顔。
華やかに主張しないのに、
そこだけ景色が柔らぐ。
——この人か。
まだ名前も知らない。
けれど確信する。
自分が作った“器”に、
温度を与えたのは、彼女だ。
旬は足を止めたまま、
初めて胸の奥に芽生えた感情を自覚する。
これは、仕事への興味だけではない。
もっと静かで、
もっと確かな何か。
美しさは、
確かにここで交差していた。
東京芸術大学を卒業してからまだ数年。
けれど彼女の名前は、業界の中では静かに知られ始めていた。
感性は鋭い。
けれど押しつけがましくない。
“可愛い”を知り尽くしているのに、
それを自分の武器にしようとしない人。
コスメブランドの新作発表会。
テーマは「素肌に溶ける光」。
会場に一歩足を踏み入れると、
白を基調とした空間に、淡いピンクの光が揺れている。
花は置かない。
代わりに、透ける布を何層にも重ね、
照明で影を落とす。
風が通るたび、布がゆらぎ、
光が呼吸する。
硬質な展示会場なのに、
どこか柔らかい。
「やっぱり、空間って呼吸してないとダメなんですよね」
設営スタッフにそう微笑む希の横顔は、
静かな自信に満ちていた。
声は強くない。
けれど、芯がある。
指示というより、提案。
命令ではなく、共有。
だから人がついてくる。
「さすがですね、希さん」
スタッフが感心すると、
希は少しだけ首を傾げる。
「いえ、みんなのおかげです」
本気でそう思っている顔だった。
自分が中心に立とうとしない人。
なのに、自然と中心にいる。
一方その頃。
旬、29歳。
大手不動産会社「青山不動産」の三男として生まれた。
物心ついた頃から、
「恵まれている」という言葉と、
「どうせ親の七光りだろ」という視線の両方を浴びてきた。
だからこそ決めている。
誰よりも早く出社する。
誰よりも遅く帰る。
結果でしか、黙らせられない。
今日の会場は、彼の会社が手がけた再開発ビルだった。
ガラスとコンクリートで構成された、
合理的で、機能的で、隙のない空間。
それが“青山不動産らしさ”だ。
内覧に来ていた旬は、エントランスを抜け、
イベントフロアへと足を運ぶ。
そして——止まった。
「これ、誰がやったんだ?」
無意識に、言葉がこぼれる。
冷たくなりがちな商業ビルの中で、
そこだけが“温度”を持っていた。
白い壁に、淡いピンクの光。
布がゆらぎ、影が揺れる。
人工的なはずの空間に、
どこか呼吸の気配がある。
このビルは、
効率と利益を最大化するために設計された。
だが今、このフロアだけは違う。
人が立ち止まりたくなる。
写真を撮りたくなる。
深呼吸したくなる。
旬はゆっくり歩き出す。
光の当たり方。
動線の流れ。
視線が自然と奥へ導かれる構造。
計算されている。
だが、冷たい計算ではない。
「……面白い」
思わず口元が緩む。
自分たちが作った“箱”に、
命を吹き込んだ誰かがいる。
その誰かに、会ってみたい。
ビルを作るのは得意だ。
だが、空気を作る人間は、そう多くない。
旬の視線が、布越しに動く影を捉える。
淡い光の中、
スタッフと話す一人の女性。
指先で空間を整え、
小さく微笑む横顔。
華やかに主張しないのに、
そこだけ景色が柔らぐ。
——この人か。
まだ名前も知らない。
けれど確信する。
自分が作った“器”に、
温度を与えたのは、彼女だ。
旬は足を止めたまま、
初めて胸の奥に芽生えた感情を自覚する。
これは、仕事への興味だけではない。
もっと静かで、
もっと確かな何か。
美しさは、
確かにここで交差していた。
