洛陽夜曲

静寂が支配する料亭の奥庭。
先ほどまでの、組長と頭取という相反する権力者たちが
火花を散らしていた喧騒は、今はもう遠い夢の跡のようだった。

湿り気を帯びた苔の香りと、規則正しく響く鹿威しの音が、京司のささくれ立った神経をゆっくりと撫で、鎮めていく。ようやく、肺の奥まで夜の清澄な空気が行き渡るのを感じ、京司は隣を歩く影にそっと言葉を投げた。


「梨花さんは……今回のお話、どう考えてはるんですか?」


その問いは、静水に投じられた小石のように波紋を広げた。
梨花が足を止める。
彼女が顔を上げた瞬間、京司は射竦められるような感覚に陥った。
向けられたその瞳は、抗いがたい熱を孕んで揺らめいている。
それは、理性の言葉を待つ眼差しではない。
ただ静かに、狂おしいほどに雄弁な「情」が、
ねっとりと絡みつくように京司の心へと流れ込んできた。


「どうって…それはもちろん大変に光栄に思っていますわ。
京司さん程の方と結婚できるなんて」

微塵の揺らぎもないその声音は、甘やかな確信に満ちていた。
梨花の瞳には、未だ訪れぬ未来が既定の事実として鮮やかに映り込んでいる。
彼女にとって、京司との婚姻は追い求める夢などではない。
それは、明日には必ず昇る陽光のごとく、
疑いようのない世界の理となっていた。


「申し訳ありませんけど、俺には結婚する気持ちはあらへんのです」


梨花の顔から血の気が引いたのは、瞬きひとつの間だった。彼女は手慣れた手つきで愛想を繕い直し、艶然と微笑む。


「困りましたわ、京司さん。これは組長の強いご意向でもありますのに」

「オヤジは関係あらへん。これは俺たちの問題や」


京司の言葉に、梨花の表情から余裕が剥がれ落ちる。
陶器のような滑らかな肌の下で、隠しきれない険が露わになった。


「俺達?……貴方個人の意向で、私との縁を断つと仰るの?」


京司は言葉を失い、喉の奥で硬い塊を飲み込んだ。

「今は、組の動揺を鎮めるのが先決で……。
私情を挟む余地など今の俺にはないんです」

梨花の顔からは一切の生気が失せ、
白磁の面に描かれた静謐な怒りだけが残った。

永遠かとも思える静寂が二人の間を通り過ぎ、
やがて彼女の唇からこぼれ落ちたのは、
冷え切った月の光のような言葉だった。